紀平凱成がリビングルームカフェに凱
旋、『デビューリサイタル アンコー
ル公演』レポート

異才ピアニストとして各方面から大きな注目を集めているピアニスト・紀平凱成(きひらかいる)が、2019年6月24日、渋谷のeplus LIVING ROOM CAFE&DINING(以下、リビングルームカフェ)で『デビューリサイタル アンコール公演』を開催した。
2001年生まれの紀平凱成は、2歳の時に自閉症との診断を受けたが、幼児期から数字、アルファベット、漢字など記号に興味をもち、難解な熟語や計算式や音符で落書き帳をいっぱいにするなど、その異才ぶりを発揮しはじめる。また同時期にロックやジャズ、クラシックなど幅広い音楽に興味を持ち、一度聴いただけの曲をエレクトーンで再現。それらの英語の歌詞も耳で聞き取り丸ごと覚え、いつしかコード本で和音も習得。風の音、雨のしずく、鳥のさえずりなどをコードネームで表現するようになっていき、小学校に入ると、徐々に簡単な意志を伝え始め、ピアニストになりたいと宣言。聴覚過敏の為、生活音にも嫌悪感を示す一方、読譜も自然と身につけ、書きためた楽譜の数は膨大なものになっていった。13歳の時には、東京大学と日本財団が進める、突出した才能を伸ばす人材養成プロジェクト「異才発掘プロジェクト」のホーム・スカラーに選ばれる。16歳でイギリスの名門音楽学校“トリニティ・カレッジ・ロンドン”の“advanced certificate“(上級認定)に高得点で合格。さらに17歳で”diploma(卒業認定)”を取得。感動を沢山届けるピアニストになりたい、と日々チャレンジを続けている。
そんな紀平は、2018年7月に、今回とところも同じリビングルームカフェ『サンデー・ブランチ・クラシック』でソロデビューコンサートを開催。9月には横浜赤レンガ倉庫特設会場での『STAND UP! CLASSIC FESTIVAL 2018』、11月には『世界まるごとクラシック2018』にゲスト出演。12月にリビングルームカフェ『サンデー・ブランチ・クラシック』に再登場してクリスマスコンサートをおこなった。2019年4月にはついに浜離宮朝日ホールという本格的なコンサートホールでソロリサイタルを開催、と破竹の勢いの活躍を続けている。「羽鳥慎一モーニングショー」「ザ!世界仰天ニュース」「スッキリ」などテレビ番組でも取り上げられ、露出頻度を高めていくうち、大勢の聴衆にピアノを聴いてもらうことで自信を重ね、感覚過敏も次第に克服しつつあるという。
かように各方面から注目を集め続ける紀平が、昨年初めてのソロコンサートを行った、つまりは「ピアニスト・紀平凱成」が産声をあげた場所であるリビングルームカフェに凱旋するとあって、この日の同会場は超満員の大盛況。その熱気の中を登場した紀平は、万来の拍手に迎えられてピアノに向かい、彼独特の両腕を上に、天を仰ぐような仕草を見せたあと、演奏を開始した。
■演奏に加わった余裕と遊び心
まず1曲目はウクライナ出身の作曲家にしてピアニスト、ニコライ・カプースチンの「24の前奏曲より第11番」。ラヴェル、バルトーク、プロコフィエフなど近現代の作曲家に強い影響を受けたカプースチンは、クラシック音楽をベースにしつつも、ジャズやラテンロックなど様々な現代的音楽のリズムや感性を取り入れた独自の世界を展開している作曲家だ。紀平がリビングルームカフェでデビューリサイタルを行った2018年の夏には、まだまだ非常にコアなファンしかいない作曲家という印象だったのに、この1年で我が国でも作曲家自体への注目度が一気にあがっているのを感じる。こんなところにも紀平の感性の鋭さと先見性が表われているように思える。そして、この第11番はしっとりとしたブルース。紀平凱成の演奏自体も格段に大人び、この1年の成長が顕著に感じられる演奏となった。
2曲目も同じカプースチンの「8つのコンサートエチュードより第5番“冗談”」デビューリサイタルでも演奏されたロックテイストの楽曲だが、一心不乱に弾いていた独特の味わいがあった当時よりも、演奏に余裕が感じられ遊び心が前に出てきたのが新鮮。演奏家による生の演奏の一期一会感を強く印象づけた。
ここでマイクを持って「こんばんは、紀平凱成です。皆来てくれてありがとうございます! カプースチンの曲を聴いて下さい!」との本人のMCがあり、3曲目、4曲目とカプースチンの楽曲が続く。そのはじめの「ビッグ・バンド・サウンズ」はタイトル通り、ピアノ1台でビッグバンドのサウンドを表現しようとしている楽曲だが、様々な楽器がまさにセッションしているような各パートの弾き分けが際立つ。演奏者がこの曲をとても愛していることが伝わり、華麗なフィニッシュに大きな拍手が湧き起こった。続けて「24の前奏曲24番」。細かい技巧、難度の高いテクニックの面白さが詰め込まれている楽曲を、あくまでも軽々と弾いている紀平の演奏力が光った。
ここから、MCとして紀平の父親が登場。誰よりも紀平を知る肉親だからこその本人との会話や、披露されるエピソードから演奏を通じてだけでなく、紀平のキャラクターを知ってもらいたいとの思いから実現した形で、これは非常に効果的なMCになった。カプースチンは紀平が小学校4年生の時にハマった作曲家だそうで、まず音源を耳でコピーして覚えたが、楽譜が欲しいとサンタさんにリクエスト。当時日本ではカプースチンの楽譜は入手困難なもので、サンタさんも大変苦労したそうだが、その甲斐あって楽譜を手にした紀平は「とても綺麗だ」とニコニコと楽譜を見続けていたとのことで、カプースチンへの憧れと同時に、家庭のサポートの強さも感じられた。
そこから5曲目、6曲目は紀平の自作曲が演奏される。はじめの「ティキング・オブ・ロンリネス」は昨年、17歳の時に書かれた楽曲。「寂しさを取り除く」というタイトルが示すように、ヒーリング効果の高い、親しみ易く心に染みる美しいメロディが奏でられる。それでも和声感の複雑なのが独特の世界観になっていて、後半は更に優雅に展開。高音部がオルゴールのように美しいアルペジオが耳に残った。
続いて「ロック・デッドリー・ファースト」=「激しく素早く揺らせ!」というタイトル通り、華やかなグリッサンドから入った演奏は非常にアグレッシブ。駆け抜けるように一気に弾いたあとは、美しい大海原にでたかのような中間部へ。その潮が静かに引いていくと、冒頭の強いメロディーが再び現れ、緩急の効果も抜群。華やかなグリッサンドで締めくくられた演奏に大喝采が贈られた。
そして第1部ラストの7曲目は、セルゲイ・ラフマニノフの最も有名なピアノ曲の一つ「前奏曲 嬰ハ短調」作品3-2「鐘」。日本ではフィギュアスケートの浅田真央選手がオリンピック・シーズンを滑り一般知名度を高めた楽曲だが、ラフマニノフ自身がどんな演奏会でもこの曲を演奏するまでは聴衆が帰ってくれないことを嘆いたというほどの代表曲。この1曲を書いた時にラフマニノフは19歳。18歳の紀平は、まだ1年あるから「ラフマニノフに追いつき、追い越そう!」が目標だそうで、非常に優しい奏法で滑り出し、この楽曲の演奏としてはとても新鮮。テクニックを聴かせ、ひとつひとつの音を重々しく響かせるが、 あくまでも大向こうに訴えるのではない、音楽の中に入り込み本人の情熱と曲が呼応していることに感銘を覚える、第1部の締めくくりに相応しい演奏になった。
■心象風景を映し出す紀平凱成独自の音楽世界
20分の休憩を挟んで始まった第2部はスコット・ジョプリンの「メイプルリーフ・ラグ」からスタート。ラグの軽快さに、紀平凱成のスピード感一杯の演奏が独特の妙味を生んでいた。
続いて、紀平が「耳で聴いて好きだった曲を僕のアレンジで弾きます」と言って始まったのは「オーバー・ザ・レインボー」。ジャズの趣がたっぷり入った演奏だが、メロディーがあくまでも美しく聴こえてくるのが印象的。そこから「見上げてごらん夜の星を」。むしろシンプルにアルペジオを多用したクラシック奏法に通じる演奏で、前曲とは異なるアレンジが効果的。最後に再び「オーバー・ザ・レインボー」に帰ってきて終わる流れも美しかった。
そこからクラシックの世界に入りドビュッシーの「月の光」。全体にしっとりと内省的な月の光で、演奏者の世界観が広がる。大空から家並みを照らす月の光というよりも、窓から部屋に差し込んでくる月の光を想起させる優しさがあった。
ここで紀平の作曲法が説明される。心の中にある楽譜をすべて思う通りに書いてしまってから、ピアノに向かって練習するので、本人のテクニック以上に難易度の高い楽曲を書いてしまうこともある!という秘話を披露。それでも、とにかくその曲が弾けるようになるまで練習し、いっさい楽譜には手を入れないという紀平の異才ぶりが改めて感じさせられるエピソードだった。その後に演奏されたのは、自作曲「ウィンズ・センド・ラブ」。紀平のコンサートには欠かせないオリジナル曲で、様々な風が愛を運んでくる様が描かれていく。多彩なパッセージから広がる風のイメージがクラシカルな中で、紀平が弾き続けてきた楽曲ならではの良さがあり、これからも折に触れて演奏して欲しいと願う1曲になった。
「本日はありがとうございました。最後に変奏曲を聴いて下さい」との本人のMCで、ラストはやはり極めつけ、カプースチンに帰還しての「変奏曲」。音楽にセッション感が増し、後半になるにつれスピードもアップ。内省的な演奏から一気にアグレッシブに主張し、フィナーレまで駆け抜けた演奏で大いに盛り上がり、会場は大興奮の嵐に。
その歓声に応えて手を振って戻ってきた紀平がアンコールに選んだのは、ラテン音楽の「マラゲーニャ」。情熱的なラテンに、紀平ならではの音楽に対して真っ直ぐ突き進むイメージが加わり、まるでオーケストラ演奏かのような迫力が引き出される素晴らしい演奏だった。
鳴りやまぬ拍手の中、リビングルームカフェでの『デビューリサイタル アンコール公演』は終了。昨年(2018年)国内初のクラシック野外コンサートとして大成功を納め、今年は9月28、29日の2デイズに拡大されて開催することが決まった『STAND UP! CLASSIC FESTIVAL 2019』(横浜赤レンガ倉庫特設会場)にも出演が決まっているピアニスト・紀平凱成の、無限の可能性が感じられる一夜となっていた。
取材・文=橘涼香  写真撮影=安西美樹

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