【インタビュー】森友嵐士が語るT-B
OLAN30周年と激動、「励まし合う力が
原動力に」

完全復活を宣言したT-BOLANが2018年、インディーズデビューから数えて30周年というアニバーサリーイヤーを迎える。これに際し、7月10日に待望のバンドスタイルでのライヴ<T-BOLAN 30th Anniversary LIVE「the Best」〜励〜>を中野サンプラザで開催するほか、7月22日には<Tears Summit 2018 ~約束の場所~>と題した渋谷 eggman公演を開催することが決定している。また、2018年1月に発表されて大きな反響を呼んだ、名曲「Bye For Now」を新たな挑戦を志す人のもとへ歌いに行く企画『みんなで贈ろう「Bye For Now」未来の君のために!』も着々と進行中だ。
ますます活発化するT-BOLANの動向に迫るべく、『「Bye For Now」企画』、インディーズデビュー30周年、そして今の想いを、森友嵐士(Vo)に訊いたロングインタビューをお届けしたい。熱くまっすぐ語る森友の瞳の先には、新曲制作や全国ツアーも映っていたようだ。
   ◆   ◆   ◆
■僕の中には今、“誰かのための何か”

■という想いが強くある
──まずは『「Bye For Now」企画』のことからお聞きしますが、第一回目を実施されたんですよね?
森友:はい。FM NACK5さんと連動して、応募者の方のところへ伺ってきました(番組『GOGOMONZ』の5月2日放送回にてオンエア)。目の難病を抱えた方で今は視力がない状態だそうで。元々は音楽が大好きでコンサートに行ったり、普通に外出してたんですけど、目が見えなくなってからは一歩も外に出られなくなってしまったらしいんです。でも、“もしT-BOLANが歌をうたいに来てくれたら、それが何かの勇気に変わるんじゃないか”ってことで応募してくれて。僕の中には今、“誰かのための何か”という想いが強くあって、彼女のところへ行きたいね”と。“できれば音響もしっかりした環境で”と思ったんですが、彼女はまだ、どうしても外には出られない……ということで。ここは彼女の気持ちを一番に、五味と一緒に彼女の部屋に行ってきました。アコギと66鍵の小さなエレクトリックキーボードを持って。
──応募者のご自宅で歌ったんですか?
森友:そうです、ごく一般的なマンションで。歌う前に彼女といろんな話をして。でも、過去に縛られてもどこにも進めないし、人の命、人生にも限りがある。だとしたら、「後ろを振り返るよりも、今を未来をここから少しでも楽しくハッピーに生きたほうがいいんじゃないかな。ここをマイナスじゃなく、0にしようよ」っていう話をして。
──森友さんご自身が“声を失った”経験もありますし。
森友:僕も自分にとって一番大切な歌を失った時、最初は過去に全てを奪われていました。戻りたかったんです、T-BOLANで歌ってた頃の自分に。だからT-BOLANの歌を、CDに収められてる過去の音源を、ずっと自分のリハビリに使ってたし。だけど10年ぐらい経った頃かな、ふと“もう振り返るのはやめよう”と思ったんです。歌えなくなったことはマイナスだけど、時間と共に自分の中で深くなった想い、経験、いろんな気持ちとの出会い。そう考えると手に入れたものもたくさんありましたから。だから、“ここを0にしてまた一歩ずつ進んでいけばいい”と。過去の自分に戻りたいと思ってた頃は、足りない自分を責めてばかりいたんですけど、0からのスタートにしたら、“今日は100のうち10進んだな”とか前に進んだ自分を認めてあげられるようになったんです。今日の意味が全く変わってきました。そんな自分の経験も彼女に話しながら。
──説得力があります。
森友:あと、「今回応募してくれたってことは、君自身がすでに一歩を踏み出してるんだよ。僕らが今ここにいるのがその証明だよ」っていう話もして。で、何を歌おうかなと思ってね。流れが大事ですよね、この話の流れから、僕自身の始まりの歌、「上を向いて歩こう」を彼女のために歌いました。僕が0からスタートした時、最初にリハビリの曲として選んだ曲で、“この曲からだな”って思ってね。実は今回、ショートタイムのワンステージできるぐらい五味と一緒にセットリスト用意して行ってたんですね。でも、その中に「上を向いて歩こう」は入ってなくて。だから五味は一瞬“えっ?”て顔してたけど、「なんとか絡んで来いよ!」みたいな(笑)。
──あははは! そしてその後に「Bye For Now」を?
森友:そうですね。その後に「Bye For Now」でした。本当は7月10日にT-BOLANのライヴ(<T-BOLAN 30th Anniversary LIVE「the Best」~励~>@中野サンプラザ)があるので、そこに来てねって約束して、この曲はその日までのお楽しみにしようかなとも思ったんですけど。でも、「Bye For Now」は新しいスタートを切るっていう始まりの歌でもある。リピートのサビの歌詞に“すべての明日はいつだって君の味方さ”というフレーズがあるし、これを今の彼女に届けたいなって思って。「じゃあ、「Bye For Now」を贈るね」と。
──ものすごく濃くて有意義な企画になりましたね……話を聞いてるだけでグッと来ました。この企画はこの後も続けられるんですか?
森友:先のことはわからないですけど、どこへでも歌いに行きたい気持ちです。実は次に行くところも決まってたりするんです。
──そこでもまたドラマが生まれそうですね。ところで、さっき「誰かのための何か」という言葉が出ましたけど、それが今、森友さんの中にあるテーマだという?
森友:そうですね。T-BOLAN自体、こうやって完全復活したのも“励まし合うチカラ”──そんな想いがあったからで。この復活にはベースの上野が倒れたことが大きなキッカケのひとつになっているんです。遡ると、東日本大震災の後、人生には限りがあるってことを自分自身すごく感じて、“いつか”なんて想いが心のどこかにあるのなら、その“いつか”を待ってる時間は無駄だなと思ったんです。“今でしょ”だよね(笑)。
──はい。
森友:それでメンバーそれぞれの、何よりT-BOLANに対する本当の気持ちを知りたくて、山中湖で3日間合宿することにしたんです。音を出したり、一緒に食事をしたり、ゆっくり流れる時間の中でいろんな話をしました。それが、<“BEING LEGEND”Live Tour 2012>、さらには2014年の大阪・オリックス劇場と東京・渋谷公会堂(<T-BOLAN LIVE HEAVEN 2014~Back to the last live!!~>)に繋がったんですよ。もう一度このメンバーで、T-BOLANとしてライブをやりたい。ただ、その先のビジョンは何もありませんでした。ライブを終えた後、そのまま過去のT-BOLANという集合体になだれ込んでなんとなく続けるのは違う気がして、そこで1つ“マル”を打つことにしたんです。それぞれの挑戦のために。その矢先でした、上野がくも膜下出血で倒れて……。上野の場合、発見まで5日間もかかったので、大変な状況でした。
■メンバーの気持ちも聞かずともわかっていた

■バンドってね、家族みたいなものなんですよ
──えっ!?
森友:だから、本当に奇跡なんですよ。最初はかなり危険な状態で、1ヶ月ぐらいICUに入ってたんですけど、その後、脳圧も落ち着いて、一般病棟に移ってから彼に会いに行きました。全く反応がない彼に一生懸命、声をかけたんです。30分くらい経った頃かな、最期にメンバーや仲間たちの心配しているという思い、それを話してる時に上野の目から涙がこぼれたんです。“こいつ、絶対聞こえてる!”って確信しました。“絶対に俺たちが諦めたらダメだ”とご家族やメンバーたちといろいろなアクションを起こしたんですけど。早かったなぁ、少しずつだけど、反応が返ってくるようになったんです。メンバーも時間を見つけては上野に会いに行ったり、ご家族からも「今日は指が動きました」「腕が上がりました」とか、細かく報告をもらいながら。退院まで1年はかからなかったのかな。
──まさに奇跡ですね。
森友:で、退院する時も連絡をもらって、「もう一人で歩けるし、食事も自分で食べられる」って聞いてびっくりでした。それならメンバー揃って、上野の退院祝いをすることにしたんです。その退院祝いの席でいろんな会話をしました。もちろんその時の上野はまだ短い音のような言葉でしか話せなかったんですけど、「おまえ、神様からもらった二度目の命だよな、その命で何をやりたい?」って。そうしたら「ライヴ」って言うわけですよ。「ライヴっておまえ、ベース弾けるのかよ?」。うなづくんですよね、「大丈夫」って。その時はまだ全然そんな未来を想像できる状況じゃなかったし、でも、それでも、そこが奴の一番欲しいものなら、そのゴール目指してメンバー一緒に進んでいきたいと思ったんです、「大丈夫」って(笑)。「本当にやりたいのか?」「やりたい」「じゃあほんとに決めるぞ? T-BOLANとしてのライヴを決めたら、おまえやるんだな?」……大きくうなづくんです、「やる」と。
──それが2016年末の<T-BOLAN~一夜限りのカウントダウンLIVE~>開催につながったと。
森友:僕自身、身をもって実感したことなんですけど、どんなことでも明確なゴールがあるのとないのとでは、全然違うんですよね。ゴールがあれば、それに向かって頑張れる。状況が状況だけに周囲はなんて言うかわからなかったんだけど、メンバーは全員賛同、“じゃあ俺たちに出来る限りのことはやってみよう”と思って、「よし、わかった」と。そこから周辺関係者にお願いに行って、みんな同じ気持ちになってくれましたよね。嬉しかったなぁ。そうやって決まったライヴが2016年12月31日のカウントダウンライヴだったんです。そこで上野は4曲弾きましたからね。俺の中では、弾けなくても上野が最後ステージに上がって元気な姿を見せて手を上げるだけでOK!大成功!と思ってたんです。でも、本当にリハビリを頑張って4曲弾けるようになったから、あの時は涙腺がヤバかったです(笑)。特にリハーサルで「Hear Of Gold」を弾いてる彼を見た時、歌詞と上野が重なってグッと来ちゃって、本番では泣かないようにしないとな!と思いましたよ(笑)。
──いいお話です(笑)。じゃあ、そのカウントダウンライヴを決めた段階で、T-BOLANの完全復活も決めたんですか?
森友:いや、いつも“点”ばかりで申し訳ないんですけど、その時、先のことは全く決めてなかったです。ただ、上野が4曲、スタジオに入るたびに少しずつ進化していって、どんどん弾けるようになっていって、“すげぇな!”と思ってて。だけど、ライヴが終わったら彼のゴールがなくなるじゃないですか? ゴールのない毎日の繰り返しのリハビリの大変さは俺自身、自分の体験で嫌というほど分かってたし、“どうしたらいいんだろう……”と。そんなことを考えていく中で、大義名分はもういいや、これはもうT-BOLANとしてずっとやっていくことを決心をしなさいっていう運命みたいなものなんだなって感じてしまって。それで、カウントダウンライヴの最後のアンコール、独断で発表しちゃったんです。「2017年、T-BOLANは再始動します!」って。誰にも許諾も何も取ってないまま、メンバーにさえもです(笑)。
──その場でとっさに?
森友:自分の中ではそれまでに“やるしかないな”と思い続けていたんですよ。もちろんメンバーの気持ちも聞かずともわかっていたし。とはいえ、言葉をとおしての意思確認をしたほうがいいに決まってるし、でもライヴの準備で目の前のことに翻弄されてたりで、改めた時間を作れなくて。そうこうしてるうちにカウントダウンライヴの当日が来て、アンコールで、“今しかないや、発表しちゃえ!”みたいな。その時メンバーを見たら、みんなポカーンとしてて(笑)。まぁ終わってから、ちゃんと話し合いましたけど。バンドってね、家族みたいなものなんですよ。だから、それぞれ外に出ていって、各々のフィールドで怪我をしたり、力をつけたり、そしてその先にまた意味をもってこの4人で集まる、そんな時がやってくればいいなぁって。逆に、ずっと居心地のいいこの実家みたいな場所、T-BOLANに、ただなんとなくそこにいることで安心なんてしたくなかったから。
──だから、2014年に開催した19年ぶりの単独公演<T-BOLAN LIVE HEAVEN 2014~Back to the last live!!~>で、T-BOLANとしての活動休止を発表したわけですよね。
森友:それは17年ぶりの復活となった<“BEING LEGEND”Live Tour 2012>のときから考えていたことで、単独公演で一度“マル”を打ったんです。だけど今回、上野が倒れたことで、励まし合い、力を合わせることの意味に改めて気づかされたんだよね。2017年は『T-BOLAN 〜夏の終わりに BEST〜 LOVE SONGS+1&LIFE SONGS』というコンセプトベストを初めてリリースし、「夏の終わりに」をコンセプトに据えたアコースティックツアー(<T-BOLAN LIVE HEAVEN 2017 夏の終わりに「再会」~Acoustic Live Tour~>)をやって。2018年はインディーズデビューから30周年ということで、7月10日にまずは中野サンプラザで花火を久しぶりのバンドスタイルで打ち上げようか……というところまで来ています、今。
■繋がり合ってる気持ちが会場のみんなと共鳴して

■励まし合う力がそこでまた膨らむ
──バンドって多かれ少なかれ、歩いていく道程にアップダウンがありますけど、T-BOLANのここまでの30年間は激動……とも言えますね?
森友:まぁよく事件が起こるバンドだなぁと(笑)。それと、活動もショートタイムですよね。1991年にメジャーデビューして、すごいスピードでリリースもして、3年半、全力で駆け抜けてぶっ壊れて倒れて解散して。で、解散から13年後に復活して、続けるのかと思ったら“ここでマルにします”と宣言して、ファンの人達は“え?”みたいな……ほんとにやりたい放題のバンドです(苦笑)。でも、僕らなりにひとつひとつ意味合いを考えてやった結果がこういう状況になっているんです。だから音楽ビジネスの軌道に乗って企画通りにやってるというよりは、今は4人のライフスタイルだったり、それぞれの人生の流れの中で、お互い声をかけあったり、励まし合うことを大切にしているっていう。それがすごく大きくなってきてるなと感じています。実際、人と人が思いを寄せたり、かけ合わせたりぶつけたりすることで、何かがショートして物事が始まったり、起きるはずのなかったことが起きたりもするじゃないですか? 今回特にそれを感じて。だから7月10日のライヴも、励ますという漢字の“励”をサブタイトルにしました。
──“励”は“レイ”と読むんですね?
森友:はい。T-BOLANも励まし合う力が原動力になってるし、ファンとの関係も一方通行ではなく、お互いに励まし合うことで何かが重なって何かが生まれて何かが繋がっていくといいなと思ったので。励まし合う力“励”をテーマにしようと。
──30年前、インディーズデビューした頃に見ていた未来と、実際30年間歩んできた現在地、そこに何か違いはありますか?
森友:音楽を作るという、ミュージシャンとしてのスタンスは変わってないと思います。ただ、やっぱり経験が違いますよね。あの頃は10代からバンドをやって、スタジオに入って“俺たち最高だね!”みたいな。音楽に対する憧れや理想だけを追いかけていた。でも今は、音楽を通して人ともっとどういうふうに関われるか、音楽を通して誰と何が出来るのかとか、音楽が目的ではなくツールになった。先ほど話をした『「Bye For Now」企画』にしても、昔だったら準備したものしかできなくて、それ以上のことはできなかったと思うけど、今はいろんな経験を経て人間的、音楽的な筋肉も付いて、臨機応変にできるようになった。そういう幅は出来たんじゃないかなって。
──そんなT-BOLANのインディーズデビュー30周年を記念して行われる、先ほどからお話に出ている7月10日の中野サンプラザでのライヴは、どんなものになりそうですか?
森友:アイコンタクトでお互い繋がり合ってる気持ちが会場に届いていって、それが会場のみんなとも共鳴して、励まし合う力がそこでまた膨らむ、そういうものが感じられるライヴになったらいいなと思います。
──完全復活したT-BOLANの動向に、ファンの人達は期待を寄せていると思います。7月10日以降の動きは考えていますか?
森友:7月10日以降……言っちゃっていいのかな? 俺は全国も廻りたいなと思っています。ファンの皆さんも年代的に仕事や家庭を持って、中央に出てくるのが大変な方々も多いと思うんです。で、出てくるのが大変なら僕らが行くか、みたいなことも……まぁいろいろ揃わないとできないことも多いんですけど、どうやったら可能かな?っていうことを今、企んではいます。
──おおっ!! 書いちゃっていいですかそれ(笑)?
森友:いいですよ(笑)。
──他にも何か企てが?
森友:7月10日に何か新曲をやろうかなと思っていて。やるなら「励」という曲だろうなって。まだ何も書いていないんですけど(笑)、ライヴでは発表できるように作りたいと思っています。
──次々グッドニュースな発言が(笑)。楽しみにしています!
森友:うん。お楽しみに(笑)。
取材・文◎赤木まみ

撮影◎田中聖太郎写真事務所
■<T-BOLAN 30th Anniversary LIVE「the Best」~励~>


2018年7月10日(火) 東京・中野サンプラザ

開場18:00/開演19:00

チケット一般発売:2018年6月9日(土)

・指定席 7,500円(税込)

・VIP席 25,000円(税込) ※SOLD OUT

(問)ディスクガレージ 050-5533-0888

■<Tears Summit 2018 ~約束の場所~>


2018年7月22日(日) 東京・渋谷 eggman

開場16:30/開演17:00

チケット一般発売:2018年6月9日(土)

・全席自由 4,500円(税込)

※<T-BOLAN 30th Anniversary LIVE「the Best」~励~>のVIP席購入者はご招待

(問)ディスクガレージ 050-5533-0888

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