【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#48 歌
手・西城秀樹の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

人間だれしもゴール地点は「死」だが、
そのゲートをくぐるとき、きちんと前を
向いた「進行形」でいたい

『ありのままに 3度目の人生を生きる』(廣済堂出版/著・西城秀樹)より

※2018年5月16日に、63歳の若さで惜しくも他界した西城秀樹。この言葉は、彼が2度目の脳梗塞(2011年12月20日)から復帰して書かれた本(2012年10月発売)からの抜粋である。右半身麻痺や言語障害などといった後遺症を残すも、厳しいリハビリや筋力トレーニングを続けることで、その言葉通り生涯現役を貫いた。まさに有言実行となったのだ。「大事なのは、今、このとき」、「一日を一生のつもりで生きる」と、本の中で自身に向けた言葉も、西城からのメッセージとして受けとめて欲しい。今日という日を生き抜くすべての人へ。

西城秀樹(さいじょうひでき)
1955年4月13日生まれ、広島県広島市出身。幼少期よりジャズスクールにてドラムを学ぶ。小学5年生の時、兄とともにエレキバンドを結成し、ドラムを担当する。中学時代には、米軍岩国基地などでライブ活動を始める。高校時代、ジャズ喫茶にてバンド演奏中、たまたま歌を披露していたところスカウトされプロ歌手の道へ。1972年、「恋する季節」でデビュー。1973年、「情熱の嵐」のヒットによりトップアイドルとなる。同年、「愛の十字架」で第15回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。デビューが近かった、野口五郎郷ひろみらと共に「新御三家」と呼ばれた。1974年、「傷だらけのローラ」で、第15回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。1976年、「若き獅子たち」で第17回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。1978年の「ブルースカイブルー」から1983年の「ギャランドゥ」まで、日本レコード大賞金賞を、6年連続で受賞する。NHK紅白歌合戦は、1974年から1984年まで11年連続出場を果たす(生涯で18回の出場)。歌手以外でも、テレビドラマ『あこがれ共同体』(TBS)、『寺内貫太郎一家』(TBS)、映画『愛と誠』(松竹)などで、俳優としても活動。2003年から、2度の脳梗塞を発症し、後遺症を残しながらも不屈の精神で芸能活動を続けた。2018年5月16日に急性心不全のため死去。

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