【Dewspeak vol.06】世界に轟かせ、
様々な活動でダンスシーンを先導し続
けるHIRO(ALMA)

言わずと知れた日本を代表するハウスダンサーHIRO。90年代NYハウスオリジナルダンスクルー「DANCE FUSION」日本人初のメンバーとなり、帰国後日本における超重要ハウスチーム「ALMA」を結成。日本における1ハウススタイルを築き上げる。
更にその後もそのスタイルの進化、活動はとどまる事を知らず、国内外問わず様々なバトル、コンペティションにて輝かしい戦歴を残し続け、現在に至るまで常にHIROの名を世界に轟かせ続けている。またダンサーとして以外に国内外大小様々なイベントオーガナイズやダンススタジオプロデュース等々、、幾つもの顔を同時に持ち合わせ日々ダンスシーンを先導し続ける強烈且つ希有すぎる存在。
彼のダンサーとしてもシーンの先導者としてもその強靭すぎるモチベーションはどこから来るものなのか?
時は同じくハウスダンスシーンを築き、現在は共にHOUSE DANCE CROSSINGをオーガナイズする盟友TAKUYA (SYMBOL-ISM)がその背景に迫る。
TAKUYA
個人的にはいつも沢山喋っているのであまり今更聞くこともないが(笑)。
けれども改めて世界を渡り歩くトップハウサー、ダンサーとしてそのスタイル、バックグラウンドについて、そして現在はそれと並行してオーガナイザー、プロデューサーとしてシーンをどう見て何を感じどこに導こうとしているのか?等、、皆聞きたいかなと。
今日は宜しくお願いします。
HIRO
宜しくお願いします。
TAKUYA
まずはバックグランドについて。ダンスのスタイルとしてはヒップホップからですよね?
HIRO
静岡の熱海出身なんですけど高校生の時に中学生の終わりの時にTV番組「DADA」を見て影響を受けて。
TAKUYA
90年代初期の。
HIRO
ZOOですね。
ダンスを始めて情報もあんまりなかったので見よう見まねで練習をみんなでし始めて、そこから場所柄、土地柄もあって静岡の仲間の人とか名古屋とか東京とか同世代だったりとか、ダンスを通じて知り合いが出来てきて、色々活動を広げていった感じ。その頃からPINOCCHIOのPInOとかKENJIとか知り合いになっていきましたね。
TAKUYA
PINOCCHIOのヒップホップスタイルの時代ですか?
HIRO
うん。
知り合いになって、そういうところも情報交換しつつやってて、その時代は俺らの年代はやっぱり東京に出てダンスをやるというのがある意味スタンダードだったんだけど。
TAKUYA
情報に差がありましたからね。勿論ネットもない時代で。
HIRO
でもその中で俺は、地元に残ることを選んで、20歳まで地元に残っててそこからNYに留学しようと決めました。
TAKUYA
その大胆の選択は何故?ただただ学びたいみたいな?
HIRO
そうだね。
観光で16歳の時と18歳の時、二回NYに行きましたね。
そこでやっぱり魅力を感じて、これは観光で行くというよりもちょっと住んでみたいなと思って、英語もそうだし色々学びたいと思って。
留学して向こうにしばらく居れる間は居てみようというつもりで移ったんですよね。
TAKUYA
何年間ですか?
HIRO
結局20歳から24歳まではNYに居たんで4年間ですね。そのタイミングで向こうに移ったんだけど、もちろんレッキンショップ(Wreckin' Shop)とかそういう映像も見ていたしZOOのビデオとかでもNYのダンサーも勿論見ていたので、元々影響を受けた人達だから。実際にタイミングがすごく良くて皆がレッキンショップ(Wreckin' Shop)とかの時代を経て、5、6年経って残っている人達がまたNYで集まりだしたタイミングだったんだよね。そのタイミングにちょうど上手くハマったので、そこで向こうで皆と練習をさせてもらったりとか。
TAKUYA
行く前からハウスですか?それともヒップホップをやりに?
HIRO
うーん、どっちも。
TAKUYA
もう既に日本にいるときからハウスも情報をつかんでいましたか?
HIRO
相方のSOICHIROというダンサーが早くからハウスをやっていたのもあるしROOTSの影響もあるしでハウスには興味があった。けれども音楽的、カルチャー的にはヒップホップの方が好きで、ヒップホップも一緒に学ぶというか知りたいなと。
でもヒップホップはダンス的というよりは音楽だったり、カルチャー的なものがすごい強くて、ダンス自体はハウスに興味があったので、そこからハウスを本格的にやるようになって。で、たまたまダンスフュージョン(DANCE FUSION)を大きくファミリー的にやるというタイミングでもあったのでそこにちょうど合流できて、それ以外にもエリートフォース(Elite Force)だったり、ブライアン・グリーン(BRIAN GREEN)だったり、そういう人たちとも接点を持たせてもらってバックダンサーだったりダンスのお仕事を一緒にやらせてもらう機会もあったので、どんどんNYの生活が馴染んでいった感じですかね。
TAKUYA
それらを経て90年代後期くらいですか、日本に帰国ですか?
HIRO
そうですね。ちょうどそういうダンスの仕事を貰えるようになってNYに住んでいる間に他の国にも行く機会が多くなって、学生ビザだったのでビザのステータスを保つのも大変だったし、という中で一つ大きいツアーの仕事が貰えたんだけど、その時はちょうどアーティストビザの申請がすごく厳しい時期で、2回アプライしたんだけど結局下りなくて、下りないということはタイミング的に今は、、と思ったし、元々日本で戻ってやりたいというのがあったから帰国したんだよね。
TAKUYA
そこが初めての上京ですか?
HIRO
そうです。そこが初めての上京。
TAKUYA
帰ってきてALMAの結成までどれくらいですか?1年ぐらいですか?
HIRO
1年ぐらいかな。
TAKUYA
それはどういう思いでアプローチしたんですか?
HIRO
イベントでのオファーがきっかけで、自分とKOJIさんと一緒にショーやらないかっていう話を貰ったので、KOJIさん大先輩なんだけど声をかけさせてもらって一緒に踊ってもらって、そのきっかけで世代が違うけどハウスで新しいチームを創ったらどうかなという話になり、お互いに誘わせてもらってHyROSSIさんとPInOを誘って、ALMAという形で始めようと出来た感じですね。
それが2003年くらい。それから様々なイベントを通じてハウス普及に努めました。
バトルを通じて知れた世界の様々なスタイル
TAKUYA
その後HIRO君はバトルへ日本でも世界でも率先して出ていって、というイメージが強いと思います。
でバトルを通じて世界各国の色んなダンサーに触れてきた日本人代表だと思うんですよ。そういう中で何を知り、感じますか?
今現在特に日本のシーンの中でも若いハウスダンサーの多くは様々なスタイルの出どころも解らなくなっているのかなと。このステップはどこから来たとか、国産のステップもあるだろうし。
HIRO君も元々はNY直系のハウスをやっていたけど、近年で見るとそれだけとは言えないかなと。そういうところも含めてHIRO君から見たハウスの歴史観を聞かせてもらえますか?
HIRO
ハウスに関していうとおそらく日本はNYの影響ってすごく強くて。
ハウスという存在が知られるようになってカリーフ(Caleaf)とかピーターポール(PeterPaul)が日本に初めて来るようになってからのNYダンサーの影響はすごく色濃く受けていたシーンだと思ってて、そこから引き続き今も幹は根強く残っているんだけど、実際自分がNYに行ってみて、その中にポンって入った時に結局誰かの真似じゃ成立しないことになるので。ひとまず自分的にはできることといえば、日本人は器用だしそういう意味ではちゃんと組みたてができるので自分は色んな人の影響をひっくるめて、意外と全方向型みたいな。
TAKUYA
確かに。帰ってきた時にはNYの匂いはしつつも既に誰にも似てはなかったかも知れないですね。
HIRO
そう。ステップもフロアワークもいいとこ取りじゃなけれども、そういう風にできるのがある意味個性かなと思って、そっちを考えていたので。
で、その中で俺達がALMAを創ったりとかTAKUYA達がSYMBOL-ISMとして活動したりJAPAN DANCE DELIGHTで優勝したり、その後俺らもGLASS HOPPER + PINOCCHIOでも優勝したりとかする時期からちょっとずつ国産のハウスの影響が強くなってきたと思っていて、若い世代とかそういう人達もそこから少なからず影響も受けて、スタイルが変わっていったと思います。
TAKUYA
世界的にはどうですか?
HIRO 
世界的に見ても大元のNYスタイル以外を主にザックリ分けるとしたら、今言ってたような日本人的な解釈をしていった日本型のスタイルと、フランス中心にヨーロッパでハウスを始めた人達のスタイル、あとはプラスでアフリカン的な要素を入れたスタイルとか、大きく分けたら3つぐらいだったかなと、正直思っていて。
でもそれが今になってすごく多様化していて。まずNYの人たちもNYのスタイルというよりはその人のスタイルそれぞれの踊り方が全然違くなっていて。日本も日本でスキルフルにステップとかそういうものを踏んでいくバトル型みたいなね、皆からしたら俺とか、SHUHOとかPInOとかTATSUO君とかもそれにあたるのかもしれないけど、そういうようなタイプの人達。あとTAKUYA達みたいにジャッキンを取り入れつつ自分達の拘りを持っている代々木のスタイル。でそれらからプラスアルファで派生したいったスタイルだったりとか。
あとは大阪かな。影響はそれぞれ受けているところはあると思うけど、例えばJIGとかBOUNSTEPだったりとかそういう人たちはまた自分たちの解釈でそれを経て独特になっていくスタイルみたいに思う。
ヨーロッパもフランスはオートリップハウス(O TRIP HOUSE)みたいによりスピリチュアルなものを追い求めているスタイルと、ウォンテッド(Wanted Posse)、後のシリアルステッパーズ(SERIAL STEPPERZ)を代表とするようなバトルでスキルを入れていくスタイルもあるし。ロシアはMIJのようにUKジャズとかそういうスタイルを取り入れたりとか、、なので結構現在2017年はハウスといっても多種多様な色んなスタイルがあると思います。
TAKUYA
スタイルが実際に多様化していったのは2000年代初中期くらいからですかね。
HIRO
うん、以前はハウスって意外とビートに、スピード感に純粋なだけであって音のアクセントをとっていくというスタイルはあまりなかったと思う。それを俺たちはショーアップする為も含めて、あえて例えばブロークンビーツを使ってみたりとか新しいアプローチとかそこに音をハメていくというかその音に反応するような動きみたいなのを取り入れていって、それが浸透したり、定着したりして、最近は、アプローチの仕方も変わってきていたし。
そこも多少なりとも影響力があってその国産のスタイルも色々進化していったと。それが2000年中期くらいからしばらく続いていて。その中で自分的にはNYに行った時の繋がりから今度ヨーロッパとか他の国との繋がりも増えてきて行かせてもらう機会が増えたときに、またヨーロッパのシーンは違う捉え方をしていたりとかNYの影響を受けているという意味では日本と似ているんだけど、そこからまた日本の国産型みたいに各国のその国の形、やり方がやっぱりプラスされてて。それを見てすごい新鮮だった。
あと多様化のキッカケの一つには2000年代初期に「Juste Debout」っていうのが始まってヨーロッパでバトルっていうシーンも浸透していって、そのバトルに対してダンスをするっていうアプローチの仕方がまた増えてきたのでそこも経てちょっとスタイルが変わってきたなと。
そういうのも俺は実際に肌で感じて刺激を貰ったし新しいインスピレーションみたいのを沢山貰ったので次のテーマはどっちかというとクリエイティブなところなのかな、と。
TAKUYA
HIRO君、よくその言葉を使いますよね、「価値とクリエイティブ」みたいなのを。色んなクリエイティブがあると思うんですけれど、HIRO君が言っているクリエイティブはどこに重きを置いているのかなと。
HIRO
やっぱりハウスの音楽もクリエイティブだと思うから元の脈を受け継ぎつつ新しいアプローチを沢山作って進化しているわけで。ダンスはどうなんだっていったら、ヒストリーとして古いものを知って理解するのは大事だけどそこに縛られすぎるのはよくないと、今の時代だから今の感性で今の音楽で考えたら必ずしもこれが正解、これが間違いってあんまりないの。
TAKUYA
そもそものニュースクール的な発想ですね。
しかしながら元々はHIRO君はそういう発想じゃない人に見えてました。どっちかというとすごいオーセンティックに拘っている人みたいなイメージで。それはヨーロッパに行っての流れがあるんですか?柔軟になっていったみたいな。
HIRO
たぶん本当の意味でクリエイティブってすごい難しいからそこに行きつくまでにはすごい時間も経験も本来必要で本当にクリエイトできるようになるまでに俺はすごい時間が掛かっていたと思う。
TAKUYA
発想自体は元々そんな固い方じゃないと?
HIRO
そんなに固い方ではないと思う、元々は。そういう意味ではそこのクリエイティブというのはやっぱりオリジネイターだったり元々のハウスのカッコよさとか、そういうものはやっぱり無くしてはいけないけど、それだけに拘りすぎていると新しいものが生まれないし興味も薄れていっちゃうだろうし、やっている自分達自体は最終的にマンネリというかルーティンワークみたいになっていくのはあんまり良くないこと。そこは常に新鮮だったり、発見したりとかそういう興味を自分で持てるように自分から色んなものを取り入れたりとかクリエイトしたりとかそういう中でダンスだけではなくてダンスに対する考え方とかコミュニティーの作り方とかイベントの意味とかそういうところまで段々考えるようになってきて今イベントをやったりとかに繋がると。
TAKUYA
例えば、ハウスって色々、元々パーティー中でのダンスで、どちらかというとバトル志向じゃない意見があったりとか。そんな中で今HIRO君はどう踊りたいとか、どう活動したい、ハウスを今後どう盛り上げたいとか言うのはあるんですか?
HIRO
やっぱりバトルということに関しては闘うことになるんでそれに肯定も否定も多分あると思うし、日本の昔からあるショーケース、ショーをするという文化もね。
TAKUYA
ある意味日本は特殊ですよね。
HIRO
うん、元々は世界から見たら独特な文化だし、それが良いところもあるし悪いところもあると思っていて、その中で唯一俺とTAKUYAとで「HOUSE DANCE CROSSING」やってみたり今はこれがハウスですとかこれが正しいアプローチですって決めつけないほうがいいんじゃないかなって思っていて、それぞれ立場も年齢も環境も経験も違うから、その人なりのダンスの接し方の全てが正解なんじゃないのと思っていて、沢山色んなアプローチの仕方をし続けていることでまた沢山時間を使ったり、経験することで段々変わってきて自分にはこれが合っているとか、こういう楽しみ方がいいんじゃないかなって自分で見つけるスタイルだと思う。
TAKUYA
シーンについてもダンススタイルも自由に、という事ですね。ではハウスダンスに全く定義はないと考えますか?
例えばロックだったらやっぱロックはしないと、ホップだったらヒットはないとっていう定義的なものはハウスでいうと。
HIRO
俺の中ではやっぱりフットワーク、その中にグルーヴ、リズム。
リズムキープもそうだし、ジャッキン、、、うーんジャッキンというとなんかそれだけに固執しちゃう感じがするからちょっと違うかな。フットワークとそういうリズム感というかグルーヴ。根本のダンスに近いもの。あとはフロア。そういうのをひっくるめてハウスって言うのはありなんじゃないかな、とは思います。
現在の自身のスタイルについて
TAKUYA
では現在のHIRO君自身のスタイルについてあえて言葉にするならばどんなスタイルですか?
HIRO
色んなものを見てて、それらをバランスよく取り入れて、で、やっぱり俺は今でもそうだけど、俺の中では無個性が結構好きで。
TAKUYA
無個性、、いいですね。面白い。
HIRO
個性がいきすぎるとたぶん癖になっちゃう。でもその癖が強いから良いというわけではなくて癖がないのも逆に個性かなと思っていて。それぞれ個人個人のスタイルとか沢山ある中でそういう色んなところの要素を取り入れて複合的にバランスとるみたいなものもできる人っていうのはまた新たな個性かなと思っているので。マルチタスクというかそういう形で無個性に見えるかもしれないけど俺の中でそれは個性かな。
代表的に例えばステップの形、やっぱりこの人はこういう感じだよねっていうイメージが強くなると思うのね。個々のスタイルが強くなると。
でも俺の中では、じゃあ俺のスタイルはって言われたらみんなが俺っぽいって真似するのは動きの部分で、スタンダードなステップやった時にこの人っぽいねっていう風に真似るのをもしかしたらちょっと難しいかもなと思う。あんまりそこの癖を強く出さないようにしてるのね実は意識して。
なので異端児とは違う感じ。でもその中でフロアをやるアプローチも今までのスタンダードとは違うやり方したりとかその中でそのくくりの中で色々と新しいこと挑戦する感じ。
TAKUYA
逆に言えば周りには沢山の個性強いダンサーが多い印象なんですか?
HIRO
そう、勿論そういうダンサーが悪い訳じゃないんだよね、本来殆どがそうじゃなければいけないと思う。
そういう風になっていくのが正解だと思うんだけど、俺はちょっとあまのじゃく部分があるんだろうね。
TAKUYA
変な言い方ですけどそういう人達へのコンプレックスみたいなものも、、?
HIRO
そうだね。
だからそこはある意味その癖が突出するのであればその癖はすごい難しいことやろうとか、そこの部分をスキルでちょっと出す的なスタイルかな。
価値あるダンサーが育ってほしい
TAKUYA
HIRO君、よく「価値」みたいな言葉も使うじゃないですか?
どういうダンスがフォーカスされてほしいとか、その価値ってなんだろうみたいな、これからの未来こういうダンスが価値があるんだよとか、こういうシーンに成長していってほしいなとかありますか?
HIRO
今ダンスってすごい認知されている。その中でここまで多くなって浸透したら全体的に認められるか、もしくは逆にすごく昔に近くなって人間力というかそのそれぞれの人に魅力があって、その人達がすごく評価されて、浸透していくものに変わっていくじゃないかなと思っていて。
全体的に含めてダンスっていいよね、ではなくて、そのダンスをしている中でこの人のダンス好きだよね、この人のやり方好きだよねみたいな人がもっともっと増えていってほしい。
俺はそれが色濃く出ている人、そういう風に見える人たちが価値があると思っている。それには他の人とやっぱり違うなって見えたりとか、その人じゃないとこういう風に踊らないよなとかその人の存在感が価値があると思っていて、そういう価値があるダンサーがこれからもっと沢山出てほしいと思うんですよ。
TAKUYA
確かにそうですね。
HIRO
これだけ絶対数が多くなった中でやっているとやっぱりみんな同じに見えたりするのも現実あると思う。
その中で名前が通っているというか色んな影響力がある人達ってほかの誰とも似つかないというか。元々は誰かのスタイルに影響を受けてやっているけど、そこからその人でしかないものになっていって。でその影響力の発信はこの人だな、その大元になっている人達はすごく価値があると思ってて。そういう人達になるっていうのが一つの目標というか、指標になってほしいんだよね。
TAKUYA
確かにそういう人がしっかり評価されるシーンになりたいですよね。
HIRO
そこに価値があるって思ってほしい。漠然としているけれども。
そういう意味ではその価値を作るために色んな年月をかけて経験もクリエイティビティもオリジナリティをつくることもダンスに対する考え方も成熟しないとそこの位置になれない気がする。
ポンって上手かったからなれるものでもなくて、そこが俺が言う価値があるダンス。ただ単にバトルで勝ったからそれに行き着くかというとそういうものでもない。
その人の存在自体に価値がある、その人がいることで凄く多大な影響を与えるとか色んなことを定義できるみたいな。
そういう名前が出てくる人は現在進行形でそれを提示している人。そういう風に活動している人達一人ずつに価値があると思っているからそこに行きつくまでに目標を高く持ってもらって視野を広げてもらいたいというのが一番伝えたい。
TAKUYA
言い方難しいですが、その時代毎、スタイル派生元のある種のオリジネイターってことですかね?
HIRO
俺は海外で使うときはイノベーターって言ってる、イノベートしている人。
その人たちがいることで実際にすごく影響を与えていることが多くて。昔を知ってオリジネイターをリスペクトすることは当たり前だけどれども、本当の意味でリスペクトするのと、ただ単にフォローするのは違うと思ってて。俺は価値があるダンサーは現在進行形で引き続きその影響を発信している人で、それが試行錯誤しながらも常に提示している人になってほしいからそこにいきつくまでの過程として自分は例えばバトルだったり、コンテストだったり、ショーケースだったり、ティーチングだったり、そういうのをやっていく。
最終的な目的、それを経てどういう風になるのかというのが俺は価値のあるダンサーになってほしいと言っているところにあって。でそれは必ずしも世界一上手い人になるわけじゃない。
それはイベントオーガナイズかもしれないし、スタジオを経営することかも知れないし、普通の仕事をしてダンスのことをサポートすることかもしれないし、そういうものに繋がる価値を見つけてほしい。ただ上手くなったからOKというわけではなく、コンペティションに勝つということも過程でしかなくてそれを勝ったから完成形になることは勿論ないし。
でも逆にそういうので切磋琢磨をして向上心がなかったら最終的にどんなものであれ価値があるものっていうのを自分で自覚するまでにいかないかな。なのでいろんな経験はして欲しいです。
イベントプロデューサーとしての真意、価値あるシーン創り
TAKUYA
HIRO君はダンサーと並行して様々な活動をしているわけですが、その中でも近年は大きいイベントを仕掛けている側としての活動も目立ちます。
それは正に今話していたような価値あるダンサーやシーン創りを考えてですか?
HIRO
そう、俺は価値があるダンサーをもっと価値が高くなるようにしたいというだけかもしれない。
TAKUYA
それはそこの矛盾を実際感じているということですか?いまいちHIRO君が思うそれらダンサーや
シーンが評価されていないように感じると。
HIRO
そうですね。
TAKUYA
それはどこと比べてとかではなくて、世間的に?
HIRO
そう、世間的に。
全体的にダンスのシーンがすごく広がって人数も増えてきて、認知もされていると思うんだけど、昔はそれが少なかったけど逆に昔のほうが上り詰めた時の凄さはあった気がする。
山に例えると昔は、狭いけど一つの山の頂上はすごく高くて、今は広くなったけど、その分頂上は低くなってる気がする。
どこでも、誰でもその頂上にリーチできるようなイメージ。
昔は色んな形があったけど一番大きい山は一個だった気がする。今はそれが沢山色々ある。全体的には広く見えるけど一個一個の山に集まっている人は他の山にあまり興味がなくなってしまったというのが今の現実で、俺としてはもう一回一個の大きい山に戻したいなと思っているんですよ。
それが凄く人数が多くて規模が大きいものでなくてもいい。で、ただ単に解かりやすくしてもっと知ってもらって良さを伝えていくという考え方とはちょっと逆行しているかもしれない。俺としてはダンスは身近なものになったけれども、やっぱり身近なものの先にはすごくディープな部分とかすごく繊細な部分とか文化的な側面が強いと思っていて。今それをエンターテインメントとかフィジカルトレーニングとか色んな形でより身近に楽しめるようになったプロスポーツとかは身近なところにもあるけれども、けれどもトップの皆が憧れているところ自体はすごく高いところにあって。ダンスもその図式でいてほしいと思う。
身近なところを広めてくれている人がいるのは解っているので、あえて身近じゃないところを作りたいと思っているんで、そういう意味ではすごく敷居が高いというか志が高いというか。
TAKUYA
読んでいる人はイマイチ伝わりづらいかもですね、、要は身近なところというのは例えばダンススタジオ、イベント、発表会、、これら気軽にダンスに触れられるコンテンツが増え続けていて、それはそれで勿論素晴らしいことではあるが、それらが良くも悪くも個々に完結していて、HIRO君が今言っているような価値あるダンサーや文化的なシーン、重要と考えるイベントがフォーカスされにくくなってるってことですかね。勿論全シーンがという訳ではなく。
なので皆が憧れる、目指せる場所をもう一つ改めて作りたい?
HIRO
そう。それが例えば1万人とかの人数に広まらなくて100人しか集まらなかったとしても、その100人しか集まらなかった人がすごく色濃く影響受けてくれるとまたその人達が影響を他のところに出してくれる、一気に沢山のキャパシティの人にアプローチすることで広まっていると考えるよりは薄まっているって思っちゃうんだよね。俺は薄まらずに濃いものを少ない人でもいいから伝えたいかな。
TAKUYA
HIRO君が思うストリートダンスの本質部分みたいなものを広めたいということですよね?
HIRO
そうですね。文化的なところがあるよというところをできる限り沢山の人にも勿論知ってほしい。けど、さわりの部分だけではなくて最後本質まで見えるようなところまで知ってもらいたいなと思う。
シーンが薄まっている?様々な要因を考える
HIRO
例えばでいうと大学生のサークルのコミュニティーとか高校生のダンス部とかキッズダンサーとか、ダンスを生業としているような人たち、あとは俺たちみたいに違う側面からもやっているけどそこに影響力を持っている人たち。色んな住み分けがあると思う。そういう人たちがそれぞれ一個一個が意味を成しているんだけど、深い方にというよりは意外とただ薄く広まっていく方だったり。
TAKUYA
ただそういう意味で言うと多分俺ら世代にも責任はありますよね。例えば俺ら世代が15年前くらい?異常に増え始めたダンススクールでどんな趣旨の場所でも選ばずにとめどなく教え始めて、、、の罰?みたいなものが回ってきている感じもしますよね。
HIRO
そうだね、俺らの責任でもあると思う。イベントやりすぎになっていったのも俺ら世代がいけなかったと思うし。
TAKUYA
誰でも教えられるように広がっていって、そこに誰も異論は唱えなかったし、大学生達にも広まって、で結果その中でしか楽しまなくなって。で今HIRO君が言っている本質的なシーンへの興味も結果薄れて。
HIRO
むしろ全然興味がない・・・。
けど変な話その子たちも悪気がないんだよね。本当に別物だと思っているからそこと直接関わりがないんだよね。
TAKUYA
どうすればいいんでしょうね、アンダーグラウンドシーンにももはや興味ない子の方が圧倒的に多いし。今の時代ナンバーとかが楽しすぎて完結しちゃうんでしょうね、特に東京は。ナンバーとかはダンスというよりある意味新手の合コンとかボウリング?カラオケ?みたいだなと自分は思ってて。という観点でいたら今の時代の参加者は楽しいんでしょうけど。
HIRO
そりゃそうだよ。
TAKUYA
何というか新しいエンターテインメントですよね。なので社会的に見たら自分は決して否定的ではないんですけど。ダンスをルーツに持つ新たな楽しみ方が開発されたわけで。けど本来本格的なダンスを生業にしている人からしたらそれだけが盛り上がっていくのはメリットだらけのものではない。そこをそういうダンサー達が理解してたらこんな広まり方はしないかもですね。
HIRO
逆に戻すというかいい方向にもっていくのは何個かしかないと思っていて、方法としては俺たちの責任もあるけど一生懸命広めようとした結果、ダンスって体現型のエンターテインメントにしか残らなくなってしまった。
自分が踊ることか、体現することだけになっちゃったの。でもスポーツで考えたら全員が全員Jリーガーになりたいがためにサッカーをやるわけではないじゃん?体現もするけど観覧型、要はそれに憧れて見ること、ダンスも本来それに近かった、昔の上手い人とかのライフスタイルに憧れるけど自分はそうはなれないかもしれない、だけどそれに近いことをやって楽しむけどその人自体になりたいわけではないというか。
TAKUYA
ステージが違ってみえましたからね。
HIRO
そう、でも今はそれがなくて。ナンバーとかの話で言うと、結局ナンバーに出ている人たちが自分たちが楽しんで踊ることの方が一番プライオリティが高くて、見に行くとか研究することの価値がどんどん落ちていると思う。
でもやっぱり元々の価値があることでそれに影響されて行かなかったら続けるモチベーションにならないと思う。で、どんどん薄くなっていくと最終的にその子たちが続けるモチベーションが持つんだろうっていったときに、あんまり目標もなくて憧れがないから、続けないんだよね。
なのでただ単に自分たちの仲間のブレーンを集めて楽しみたいと思ってやっているけど、それをやりすぎたり、ナンバーに出る子が悪いんじゃなくてナンバーを担当、振り付けする人が何を思ってナンバーをやるのか、ナンバーをブッキングするオーガナイザーも何のためにナンバーというものをやるのかというのを一回考える必要がある。
TAKUYA
まあけど後戻りも出来ない人も沢山いるんでしょうけど。
HIRO
それで少なくとも生計を立ててそれを生業にして小銭を貰うことが現実だから解るけど・・・。けど簡単にナンバーで稼げるからナンバーやるんですっていうのは実は普段自分達が教えているスタジオ経営する人たちに苦労かけているんだよね。その人たちが破たんしちゃったら要はもっとホームレスみたいな状態で、その日暮らしの生活がもっともっと続く。だから実は自分たちで自分たちの首を絞めているんだよね、教えさせてもらっているのにやたらとナンバーをやっちゃうから、教えているところに人が集まらなくなることを、自分達で気付けてないんだよね。
自分はナンバーをむやみやたらとやったらちょっと悪いかなって、自分が雇われていて取引先があって縦横無尽にどこの取引先ともやってという風な考え方だとやっぱり駄目だと思うのよ。
打算的にはいいけど、将来的に考えたときにそこには正義はないけど義理人情は一応残ってほしいわけ。そしたらナンバーもね、何個も羅列してやるよりもそこのスタジオの発表会に集めてあげようって本当は思わないといけないし。
TAKUYA
そもそもでいうと、ストリートダンス的に言うとナンバーっていう風潮に対して少し違和感を感じるっていう感覚があってほしいですかね。むしろこういう事に人数が集まっていることとかがちょっとカッコいいとか思っている節があるとしたらちょっと問題かなと。本来セルフビルドしていく事を伝えなきゃいけないストリート的発想からは完全逆行していますからね。ある種カッコ悪いとすら感じてほしいとこもあるくらい・・・。と言いつつ自分もスタジオやっていたのでそういったイベントも少なからずやっててあれだけど。ただそこを理解して例えば初心者の人の人前で踊る最低限のキッカケ作りを手伝いをするっていうような発想でいればそんなにむやみやたらにはやらないかなと・・・。過剰にそこがストリートダンサーの本気の作品発表の場みたいに考えるのは違和感かなと。勿論さっきも言ったようにサービスとしてはとても初心者に優しいし、出た人も楽しいしで良いことなんだけど、けどそもそもの観点で見たらそんなにSNSとかでガンガン募集してやるものにはしたくないですね。
HIRO
ナンバーやった人も参加した人がその時楽しいから全然いいとは俺も思う。けどその時の楽しいの後に何が残るかっていうので考えた時にはほとんど何も残ってないけど。
イベントとしては間違ってないよねって話で、だから別にやめてほしいとは言わないけど、ただ他にちゃんとそういう意味でやったほうがいいし残した方がいいっていう価値があるイベントに人を突っ込むような影響力さえもそれをやりすぎちゃってなくなっている現状が危ないよっていうことをただ単に言いたいだけ。その人達が出たいとかそういう目標になるところを自分たちでなくしているっていうね。
自分たちがやりすぎてなくしている現状にちょっとでも気づいてほしいと思う。なので誰が賛同するかわからないけど定期的にそういう風に思う人、そういう状況を危惧している人たちでちょっとずつ集まってその話をディスカッションして何が正解というわけじゃないけど、せめて自分らが思う中のそういう価値だけは残したいよねっていう人達で何ができるかというのを話したりする機会は俺はあったほうがいいと思う。
TAKUYA
どう考えるかですね。正解は勿論ないわけですから。なので結局は無言で何かを生み出すしかないのかなと思ったりもしますね。
HIRO
でも導いてあげるのも必要だと思う。別に誰かと敵対するつもりじゃないけど、意見として。日本はディスカッションする考えが薄いんだよ、なんか言われたらそうしなきゃいけないと思ってしまう。
そうではなくて、ディスカッションは一方通行でいい。一方通行でそれを聞いたことで何人かに一人は考え方が変わる人がいるからディスカッションするわけであって。
次世代ダンサーへメッセージ
HIRO 
自分の中で確立した部分があるとしたらそれは海外で。
要は英語が喋れるようになってハウスダンスで、ヒップホップのようなメジャーなジャンルじゃなくともこうやって色んな国に呼んでもらったりとか活躍できることって自分の時間とかお金を投資してそのために努力しなかったら待っていても来ないわけで。
でもそれを今まで実現できないよねって思っていた節があるけど俺がもしそうなれたんなら他になれる人もいるんじゃないかなって思う。日本の中で活躍するのもそうだけど、世界のマーケットで考えたらそういう位置に行く人だったり、そういう活動ができる人ってこれから本当は増えていってほしいと思う。でもそのためには自分で努力して、英語もわからないといけないだろうしコミュニケーションも取らなきゃいけないし、時間使ってそこに行かなきゃいけない。それができるようになった俺ら、アジア人なのに海外に行って黒人にダンスを教えること自体が本来あり得ない話。
だから俺は高みを目指すことの1個としては、日本人だけど海外に影響も与えることができて、海外に行くことができてっていうのはお金稼げる稼げない別として、1個の狭き門だけど到達できたらすごく価値がある。
TAKUYA
それは確実にHIRO君が創り上げたロールモデルですね。今の若い子の中でもそこに大きな目標を掲げてる子は多いのではと思います。
HIRO
そういうのに行く人は少なからずちょっとずついて。すごく狭き門だから100人がなれるわけじゃないと思う。でもその一人が世代ごとにいて続いていくっていうのは1個新しい形なんじゃないかなって思っていて。なかなかイメージつかないかもしれないけど、でもなれる可能性もあるよね挑戦すれば。やってみないと一生なれないからね。
TAKUYA
今日は改めて話できて良かったです。自分も刺激になりました。HIRO君がいるかいないかでダンス界は全然違う。その一つ一つの行動には勿論大きな価値があると思います。
HIRO
そこだけ伝わってくれたらありがたいかなと思います。
TAKUYA (SYMBOL-ISM / worcle co.,ltd)
90年代初頭ストリートダンスに触れ、様々なジャンルを模索、横断する。 その後ダンスチームSYMBOL-ISMを結成。ハウスを基盤にしつつも様々なスタイル、音楽性を 反映させた独自のスタイルを形成し、DANCE DELIGHT、DANCE@LIVE、JUSTE DEBOUTをはじめとする 様々なコンテストにて優勝、入賞多数、その他様々なステージを通し強烈なインパクトを残す。 そのスタイルは彼の拠点東京・代々木に因んで「代々木系」とも呼ばれる現象を起こし、 ダンスのスタイルのみならず音楽、ファッション、ライフスタイル、様々な切り口からあらゆるヘッズに影響を与えている。 またダンスプレイヤーと並行し2004年に起業。レンタルスタジオの先駆けとなったstudio worcleをはじめイベントスペースANCE、その他音楽バーshirokumaやレコードレーベルyygrec、セレクトショップCONTE-NU、等、これまでに無かったダンスやカルチャーに直結するコンセプチュアルなスペースやビジネスアイディアを数々生み出しダンサーのライフスタイルを変革させ続けているキーパーソンとしてもシーンに大きな影響力を持つ。
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