【Little Parade インタビュー】
底や端っこにはいたくなかったけど、
だからこそ見えた情緒があった
元Aqua Timezのヴォーカル•太志によるソロプロジェクト、Little Paradeから2ndミニアルバム『藍染めの週末』が届いた。多彩な音と言葉を鳴り響かせながら、リスナーの心の奥底にある無数の風景、記憶、感情を浮き彫りにしてくれる同作。そこに収録されている6曲について、じっくりと語ってもらった。
日記の切れ端のようなものが
歌詞になっている
1stミニアルバム『止まらない風ぐるま』のリリースが今年の1月でしたね。
『止まらない風ぐるま』が前編、今回の『藍染めの週末』が後編という感じで、それは当初から思っていました。
今作は8月に先行配信された「long slow distance」も含めて、やさしくて温かいものが伝わってくる作品だと感じました。
自分の年齢のせいもあるのかもしれません。Aqua Timezでデビューしたのは20代の半ばくらいですが、その頃は威勢良く、背伸びをしなくてはいけないという気持ちがすごく強くて。等身大のラブソングを歌いつつも、等身大ではなかなかいられない年齢でした。でも、今は本当の意味で身の丈に合った暮らしをしたいと思うようになっているし、崇高なことを歌いたいとも思っていないし、暮らしの中で活かせるようなメッセージになっているのかもしれないです。
「long slow distance」も穏やかなトーンでメッセージが届いてくる曲でした。
“long slow distance”というのは、ゆっくり長く走るというランニングの方法なんです。自分もそういう生き方を受け入れて、長く走っていきたい気持ちがあるんですよね。
少年時代の自分自身に対するやさしい眼差しを、この曲から感じましたよ。
“なんで俺はできないんだろう?”という言葉が自分の中にいつもあって、自己批判をすごく繰り返していた子供だったんですね。“みんなはできるのに、どうして俺にはできないんだろう?”と思いつつも、“でも、その“みんな”って誰?”みたいなことが自分を苦しめていて。そういう繊細さは大人になったからといってゼロにはできないし、そのまま年齢を重ねていくのが人間なのかなと。おっしゃる通り“今の自分が昔の自分に声をかけるとすれば、こう言うだろうなぁ”みたいな歌詞を書いています。
《教えてあげたかった 力を抜いた時こそ/君らしい 本当の 力を出せるんだよと》とか、まさにそういう言葉ですよね。
僕はスポーツ少年団でソフトボールをやっていたんですが、バットを振る時も地に足が着いていなかったというか(笑)。監督が言っていた“バットは腰で振れ”の意味は、あの頃は周りのみんなも分かっていなかった気がします。“うまい子がいるなぁ。なんで俺はできないんだろう?”っていう大半の子の中に僕はいたので、こういうことを歌うべきなんじゃないかと思うんですよね。
歌も力んだからといって伝わるものではないですしね。
そうなんですよね。中学の頃に内申書のために口を大きく開けて歌っている子が隣にいて、やっぱりその子は通知表の音楽の評価が5で、口を大きく開けて歌うのが恥ずかしかった僕は2で(笑)。そうやって世間を生きていくというのもひとつの勉強ですけどね。心を込めたふりをすることも授業の中でできたとは思うし。でも、そういうことではないんですよ。
歌や表現に対する向上心はどんどん高まっているんじゃないですか?
最近、スタジオに頻繁に入って歌の練習をするようにしていて。日本語と自分の歌詞を大切にしたいという想いがあるので、そのためにも表現をさらに磨きたいですよね。
太志さんの歌詞の日本語は独特な表現がたくさんあるのも大きな魅力です。例えば《めげずに生きてゆきたい 喜びに押しつぶされるまで》とか、すごくイメージが湧きます。
“悲しみに押し潰される”ってよく言いますけど、僕は“喜び”も同じ性質だと思っていて。喜びで部屋が埋め尽くされて“うわっ!”ってなるような経験をしたいと思ってその歌詞を書きました。昔から空想することが好きなんですよ。でも、空想がいきすぎると苦しみになるので、それを作品に落とし込むということをしています。普段感じていることをiPhoneにメモをしたり、そういう日記の切れ端のようなものが歌詞になっているので、自分の本音が出ているのかもしれないですね。