ウィル・タケット×福島成人~異色の
舞台『良い子はみんなご褒美がもらえ
る』のクリエイターとプロデューサー
の理想的な関係

俳優とオーケストラのための戯曲『良い子はみんなご褒美がもらえる』が、堤真一と橋本良亮の主演で今年(2019年)4月~5月に上演される。作者は、『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』『アルカディア』『恋に落ちたシェイクスピア』等の作品で日本でも知られるイギリスの劇作家トム・ストッパード。『良い子は…』はストッパードが1977年に発表した作品。オーケストラも舞台に上がり、役者のセリフとときに掛け合いも行なう異色作である。作曲を担当したのは指揮者・作曲家、そしてジャズ・ピアニストであるアンドレ・プレヴィン。演出を手がけるのは、アダム・クーパー主演『兵士の物語』、首藤康之主演『鶴』が日本でも上演されている、イギリスの演出家・振付家、ウィル・タケットだ。そんなタケットと、『兵士の物語』『鶴』で彼とタッグを組んだプロデューサー福島成人との対談がこのほど実現した。
――お二人は『兵士の物語』で初めて仕事をご一緒されました。
福島 ある知り合いから突然、アダム・クーパーのスケジュールが空いているけど、『兵士の物語』やってみませんか?と言われて。タイミングよく劇場も押さえられたので、2009年に公演の来日が実現しました。そのときの演出家がタケットさんで、それ以来のおつきあいですね。これまでさまざまな形で『兵士の物語』を手がけてきて、自分が携わった以外のプロダクションもたくさん観てきましたが、悔しいけれど、彼が演出した『兵士の物語』が一番優れていると思うんです。あれを超えるものはなかなかないなと。
タケット ありがとう!
福島 テキストに彼は少し手を入れていて、メッセージが観客に非常に届きやすくしています。強いメッセージには強くアクセントがおかれていて、それがとても衝撃的だったし、オーケストラと舞台装置の世界観もぴったり一致している。作曲家のストラヴィンスキーが実現したかったのではないか、とさえ思える、古いさびれた芝居小屋の空間に悪魔がいて、観客の皆さんをご招待しているという構成の仕方がとてもいいなと。それから、ダンサーが皆俳優でもあって、お芝居をして踊るという舞台は、日本ではなかなか作れないですし。すばらしい演出だなと思って、その後、仕事のオファーをすることになりました。
タケット 『兵士の物語』を日本で二回上演できたのは自分にとっても非常にすばらしい経験でした。そんなにたびたび上演される演目ではないにもかかわらず、この作品について、テキストも音楽も熟知しているプロデューサーが日本にいて、しかも自分の演出した版を非常に気に入ってくれて、とてもうれしかった。最初の来日と再来日とではキャスト変更がありましたが、主演のアダム・クーパーは私の昔からの友人で、たびたび一緒に仕事をしてきていますし、日本でも非常に人気のあるダンサー・役者ですよね。彼のみならず、キャストは全員才能のあるパフォーマーで、一緒に仕事していてすばらしい時間を過ごすことができました。
ウィル・タケット
――そしてお二人は2012年の『鶴』でもタッグを組まれています。
タケット 『鶴』は、踊りを伴う音楽劇と言ったらいいかな。『兵士の物語』での経験から発展していったプロジェクトでしたが、これもまたすばらしい創作過程を味わうことのできた作品でした。自分自身でも本当に大好きな、美しい舞台だと思っていて。今でもよく舞台写真を見て、いいなあ、美しいなあとよく感慨にふけっています。ゴールに至るまでは、大変でしたがすべてのことが昇華されていて、すばらしい思い出だけが残っていて。
福島 あれはまた再演したい作品ですよね。
タケット 次は日本人俳優でやりたいですね。そして2015年に『兵士の物語』で来日したときから、この『良い子はみんなご褒美がもらえる』のプロジェクトが持ち上がってきて。その前から、二人とも好きな作品だということはわかっていたんです。よく憶えているんだけれども、すごく騒がしい店で夕食を一緒にしていて、その場にいた中でこの芝居のことを知っているのが僕たち二人だけだった。それで、比較的静かな店の片隅に行って、二人で、ロンドンで過去に観たこの作品のプロダクションについてだとか、トム・ストッパード作品についてあれこれ話をして。そして今や上演の運びとなり、うれしい限りです。
福島 長いこと話し合ってきた作品ですよね。
タケット そう、創作のマシーンの中にずっと入れて温めてきた作品。
――イギリス人演出家として、日本の観客に演出作を見せるというのはどのような経験ですか。
タケット 『鶴』では日本の観客にとってなじみ深い民話を扱い、字幕も入れました。劇作家はイギリス人、舞台装置家はアイスランド人、そして日本人ミュージシャン(藤原道山)も参加してくれて、文楽のような鶴の操り人形=パペットも登場しましたし、衣装や美しい織り物(ワダエミ)など、皆さんの目にどう映ったかはわかりませんが、自分にとってはあまりイギリスの舞台作品という感じはしない作品だったなと。その経験が、いい流れで今回の作品にもつながっていると思います。今回、美術・衣裳を手がけるスートラ・ギルモアさんは、ダンス作品も手がけてはいますが、どちらかというと演劇の分野で多く仕事をしてきている人。ご一緒するのは初めてですが、これまでの彼女の仕事に非常に敬意を抱いています。彼女は5月に上演されるシアターコクーンの『ハムレット』の仕事もしているんですよ。1月にシアターコクーンで上演されていた『罪と罰』も演出のフィリップ・ブリーンをはじめイギリス人チームが手がけていますし、劇団四季の『パリのアメリカ人』もクリストファー・ウィールドン率いるイギリス・チーム担当ですし、ミュージカル『ラブ・ネバー・ダイ』にも私の友人が関わっていますし、日本の舞台芸術界にイギリス人が非常に数多く来ていますよね(笑)。日本で仕事をしていて思うのは、日本の観客は、舞台芸術に対して非常に知識と教養があり、作品を尊重してくださる方が多いということ。そしてそのような観客がさらに増えてきているというように感じます。
福島 仕事の関係上、イギリスに行く機会が多いのですが、そこで発せられている舞台芸術の表現は、方法だったり見せ方だったり、惹かれることが多いんです。見た瞬間は奇抜さに驚かされるんだけど、その後、深くかみくだいていくと、そういうことなのねと、さらに奥深いモノが感じ取れる楽しさがある。渡英のたびに、上演されている作品からその感覚を受け取ることが多いですし、我々日本人にとって何か刺激を受ける部分が、イギリスのクリエイターたちの才能の中にいっぱいあるんじゃないかなと思います。タケットさんの場合もそうなんですが、紹介されて出会う人たちが才能にあふれているということなのかもしれないけど、あの作品を(日本に)持っていけたらいいな、これも(日本に)持っていきたいな、という思いへとつながっていく。アダム・クーパー主演のミュージカル『雨に唄えば』もそうして来日公演が実現した作品ですし。ハリウッドを舞台にした、もともとはアメリカの作品ですけれども、イギリス人演出家ジョナサン・チャーチの手がけたあのバージョンは非常にすばらしくて、日本人にぜひ見てほしい、みんなに見せてあげたい、と思ったんです。日本人ってまじめってよく言われますけれども、観劇の前に、前もって学習・予習するという人が多いです。観劇後も、作品の戯曲や台本なんかが売っていると、自然と買い求め、長い列にむかう。そういう研究心、向学心をくすぐるというか、刺激してくれる作品を英国のクリエーターは提供してくれていると感じますね。
福島成人
――『兵士の物語』や『鶴』、そして今回の作品にも通じますが、テキストと音楽、ダンスなどが混在する作品にひかれる理由とは?
福島 僕はもともとクラシック音楽が好きで、音楽のもつ力にすごく憧れてきました。社会人になってからことば(言動)を伝える演劇の力にふれて、両方の持っているメッセージ性を一つの舞台の上に乗せて、総合体のかたちとして感じられないかなと考えるようになりました。オペラってなると昔からの体質、型からなかなか逸脱できないところも多そうだけど、こういった新しい形のジャンルのものは、作り方も解釈も自由で、エンターテインメントとしてはなじみやすい作品になるんじゃないかなって。音楽とことば(言動)の二つの力が客席に降りかかって、二倍、三倍、四倍にも感じ取れると思うので、このようなモノ作りを続けているんだろうな。
タケット 僕自身、20年近く、「こういった作品を何のジャンルと呼べばいいですか」という質問に答え続けてきていて。しかし、興味深いのは、『兵士の物語』の初演は1918年、もう100年も前のことなのに、いまだにこのジャンルをどう呼び表すか、その言葉が定まっていないということですよね。僕が興味深いのは、自分も福島さんも、異なる表現方法がクロスする形でのコラボレーションに興味を抱いているということ。クロスさせることによって、それぞれの表現が薄まるのではなく、さらに深い形で観客に届くと僕も信じています。組織を運営しているような人たちはまだまだジャンル分けにこだわっているところがあるかもしれませんが、若い世代は分け隔てなく受け入れるようになってきていると感じますね。その意味でも、福島さんのようなプロデューサーが存在することが非常に心強いです。
この作品については、まずはトム・ストッパードへの興味からスタートしたんですよね。福島さんはストッパード作品がお好きですし、パルコ側のプロデューサーである毛利美咲さんも『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』をこれまでに二回手がけられてきています。それで、話し合っているうちに盛り上がって、次はぜひこの作品に一緒に取り組もうということになったわけです。
――作品からいかに現代へと通じる普遍性を引き出されるのか、楽しみです。
タケット 例えば歴史物の作品であっても、演出家として、今の時代に生きる人間としてのレンズを通さずに作品を考えることは不可能です。今回の作品についても、新たな時代のレンズを通して視て、そして新たな物語をそこから引き出してゆくということになると思います。そこにおいては当然、若い世代が今直面している事柄についての問題提起や、世界がおかれている危機的状況に関する何らかの表明がされていくわけであって、それは不可避とも言えることですよね。どんな作品を観ているときでも、我々を取り巻く世界から逃げ出すことはできません。
例えば、先ほど福島さんがおっしゃっていた『雨に唄えば』は、時代を超えた、非常に楽しい作品です。けれども、あの映画が作られた1950年代当時の状況、当時女性が果たすべきと考えられていた役割について言えば、ここ数年の世界的な「#MeToo運動」の高まりにより、非常に難しい問題となってきています。ですから、今を生きる我々のレンズを通して『雨に唄えば』について考えるということは非常にエキサイティングな経験だと思います。
今日、イギリスでは、シェイクスピア作品においてジェンダーを超えて上演するという試みが多くなされていて、女性が『ハムレット』や『リア王』のタイトルロールを演じたり、スティーブン・ソンドハイムのミュージカル『カンパニー』でも女性が主人公を演じたりしています。アメリカで最近作られている舞台の多くは、自らの性的アイデンティティについて扱ったり、問いかけたりするものが多く、ときには観ていて、……そんなにすべてを複雑に考えなくてもいいんじゃないかな(笑)と、ちょっと疲れてしまったりもしますけれども。クリエイターとして大切なのは、こうしなくてはいけないといった制約を自分に課すことなく、自由に創造にあたるということですし、結局のところ、すべての作品は政治的な可能性を秘めていて、その中に、よい舞台、悪い舞台があるだけの話だと思っています。
――今回の作品において、アンドレ・プレヴィンの音楽には、ショスタコーヴィチの音楽を思わせるところがあるともおっしゃっていました。ショスタコーヴィチもまた、ソビエトという国家体制の中で創作を続けていた作曲家です。
タケット すごく似ている旋律があるというわけではないんですが、コード進行なんかにどこかショスタコーヴィチ的なものを感じるというか、無意識のうちに影響を受けているところもあるのかなと思うんです。指揮者のヤニック・パジェさんと話していたら、彼もそう感じると言っていたので、僕だけじゃないんだなと。そして、音楽が登場することで、この作品は、トム・ストッパードの戯曲の中でも特殊な構造となっていると思います。話しているとき音楽がいかに流れるかについても細かい指定がありますし、いわゆるミュージカルとは異なる作品ですから、セリフと共に流れる音楽も、そのセリフにふさわしい情景を奏でるものとなっている場合もあれば、そのセリフに対する何らかのコメント、ツッコミのように響く場合もある。音楽が明らかに一つの意見として流れるんです。しかしながら、音楽は本来、ダンスと同様、聴く人、観る人によってそれぞれ受け止め方の異なるものであるところが非常に興味深いですよね。
――クリエイターにとって、プロデューサーの存在とは?
タケット 絶対不可欠の存在ですよね。才能のあるプロデューサーは、クリエイターに自由に創造に取り組む意識を与えてくれます。そしてよりよいアイディアを育むことができるよう励ましてもくれますから、すばらしいプロデューサーのいる現場ではチーム全員士気高くクリエーションにあたることができますし、その方が、観客にとってもよりよい観劇の機会となりますよね。抑え込むのがプロデューサーの役割と思っている人もいるんですが、それは果たすべき役割のほんのわずかな部分だと考えています。しかも福島さんは全然そういった感じのプロデューサーではありません(笑)。お金、予算というものは現実的な問題ですから、もしアイディア的にお互い同じ立ち位置にいるのであれば、合意はなされ得るものなんです。ときどき、「クリエイティブ・プロデューサー」という肩書を目にしますが、あれには何だか違和感があって。プロデューサーたるもの、みんなクリエイティブな役割を果たすべきだと思っています。
福島 もう何度も一緒に仕事をしてきているので、ある程度受け入れてもらっているのかな(笑)。タケットさんをはじめ海外のクリエーターの方々と仕事をしてゆくなかで、コスト意識と作品の目指すところがどこなのか。そのバランス感覚を持ってクリエーションするコミュニケーションを大切にしてゆきたいと思います。
――今回の作品にそれぞれ期するところをお聞かせください。
福島 トム・ストッパードの戯曲、アンドレ・プレヴィンの音楽ということで、演劇ファンはもちろんのこと、クラシックを始め、幅広い音楽ファンにもぜひ観に来ていただきたいです。でも、それだけじゃなくて、家族で観に来てほしい作品だよねって話してるんです。「良い子は〜」はオーケストラが舞台上で生演奏しながら、出演者の演劇(言動)と呼応し合う内容。登場人物の一人イワノフはオーケストラは見えていると言う。でも他のキャストたちはみんなオーケストラはいないと言う。それを客席に座っている子供が観たら、「オーケストラ、いるじゃん!」と親に言うでしょう。でも親は「ううん、いないってことになっているのよ」と言うかもしれない。これは苦しいね。自由とは何かを考えさせる作品なんですが、この芝居を観に来て、親は不自由という自由を感じるかもしれないし、子供は自由に見ているのかもしれない。そういった、ある種抑圧されたような状況を考えると、どうぞファミリーで観に来てくださいと申し上げたいのですよ。そしてみんなで自由について考える機会になれば、よりこの作品を楽しんでもらえるんじゃないかな。信じる自由、考える自由、実際に行動する自由、自由にもいろいろあるわけで、この作品が提示する自由の幅が実は非常に広いのではないかと思うので。幅広い層、世代に観ていただけたら幸いです。
タケット 今のその言葉、非常に納得しますね。二人で、トム・ストッパードはなぜこの作品を書いたのか、その動機についていろいろ話し合ってきていて。この作品の根幹を成すアイディアは視覚的にも非常にわかりやすいですよね。オーケストラを舞台上におく、そのことによって、すでに意思表示ははっきりされているわけですから。すべてのシーンは短く、早く展開しますし、決して難解ではない、とても見やすい芝居だと思います。そして非常に笑いの要素にあふれた作品でもあって。もちろん、どのような歴史的文脈において書かれた作品であるか、大人の観客にとっては深い興味が尽きないところはあると思いますが、決して子供が退屈するような内容ではないので、家族で観に来てほしいという福島さんの意見に同意します。ある種の軽やかさをもった作品ですが、観終わったとき、観客があれこれ考えざるを得ない作品であるとも思っています。これまで信じてきた足元、土台が覆されるようなところもあるというか。帰り道の電車の中で、ついみんなで語り合いたくなるような作品だと思うんですね。ここに登場してくる人物は誰一人として間違ったことは言っていない。大人はついつい、親として子供に正しい意見を言いたいと思うかもしれませんが(笑)、この芝居に関して言えば、どの意見も正しいと思うんです。そのような意味で、すべての観客にとってすばらしい贈り物であるような作品だと思っています。
取材・文=藤本真由(舞台評論家)  写真撮影=福岡諒祠

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