華やかに音楽を奏でる氣志團の「One
Night Carnival」
ボーカルの綾小路翔は「房総の狂犬」、ギターの星グランマニエは「薩摩隼人は泣きの竜」などキャッチフレーズひとつとっても徹底して彼らの世界を作っていると理解できる。
綾小路翔はメンバーが自分を信じてくれなかったことの悔しさから、DJ OZMAを始めたという。
言葉ではなく態度でメンバーを鼓舞しようとするリーダーの綾小路翔の存在は大きい。
氣志團といえば、2002年に発売された「One Night Carnival」を懐メロとして感じる人も多いのではないか。
ヤンキーファッションに身を包んでバッチリと踊る姿は世間に衝撃を与えた。
しかし、氣志團は決して個性的なだけではない。容姿と歌詞の世界観は統一された上で、素晴らしいメロディを奏でる。
「氣志團」を「氣志團」たらしめている要素は何なのか。
今回は、大ヒット曲「One Night Carnival」から彼らの世界を覗いてみたい。
氣志團の「One Night Carnival」
「俺んとこ こないか」と冒頭から何とも氣志團らしい歌詞が続く。
日常では絶対に吐かないような歌詞ではあるが、氣志團が歌にしても全くダサさを感じさせない。
それは格好からも分かるように、「一つのキャラクターとして演じている」とリスナーが理解できるためである。
リスナーは前提として氣志團を「キャラクター」として認識しているため、非日常的な歌詞もすんなりと耳に入れられる。
キャッチーなメロディ
キャラクターを確立し、エンターテイメントの要素を強くする音楽で大事になってくるのはやはりメロディだ。
メロディがコア過ぎても大衆は巻き込めない。やはりキャッチーなメロディが必要となってくる。
メロディは普段音楽を聴かない人にとっての入り口となる要素を果たす。
氣志團のメロディは一見さんでも入りやすいお店のようであり、耳の肥えたリスナーも唸らすものとなっている。
ギターフレーズもだれがどう聴いてもカッコよく、音楽自体のクオリティが高くなっているのだ。
見て聴いて楽しめる氣志團のエンタテインメント
個性を確立している氣志團に取って代わるアーティストはいない。
ヤンキースタイルを見事に音楽へと昇華し、氣志團の世界を作る。
音楽は耳で聴くものだが、「アーティストを好きになる」のは視覚が関係していることも多い。
「歌う姿を見てファンになった」などは、まさに視覚が関係している。
ライブを観るというのは、自らの目でそのアーティストを確かめることだ。
「音楽を耳で聞く」という概念を脱し、視覚要素をも視野に入れる氣志團に一切の隙はない。
バンド内であがる意見に「演奏が下手くそでいずれお客さんがいなくなる」というものがあり、お客さん目線で物事を捉えていると分かる。
彼らの世界観から理解できるように、氣志團はサービス精神が旺盛なのだ。
彼らが主催している野外フェス「氣志團万博」では数万人の人々を集客している。
それだけの人を集める原点には「人々」に振り向いてもらおうという純粋な心があるはずだ。
その気持ちの延長線上が今の氣志團を築き上げたのである。
TEXT:笹谷創