【5人目のビートルズ】ビートルズを
完成させた名プロデューサー、ジョー
ジ・マーティン

アーティストが成功を収めるためには、そのアーティスト自身の実力もさることながら、それを支えるスタッフも重要です。
ビートルズには商業面で彼らを支えるブライアン・エプスタインという名マネージャーが存在しました。
そして、音楽面で彼らを支えたのはジョージ・マーティンという名プロデューサーです。
今回は、この人物についてお話します。

ビートルズと出会うまでは不遇だった

後に「ビートルズを育てた名プロデューサー」と高く評価されたマーティンですが、彼らのプロデュースをはじめる前は、パーロフォンレコードというEMIレコードの子会社でコメディーものを主に手がけていました。
つまり、音楽界では王道のクラッシックやポピュラー音楽は扱わせてもらえず、会社内部の評価も決して高いとはいえなかったのです。

優れた音楽家だった

ビートルズに出会うまでは不遇であったマーティンですが、正当なクラシック音楽の教育を受け、楽器の演奏や譜面の読み書きができるだけでなく、作曲もできました。
ビートルズのメンバーは音楽を独学で学んでいたため、マーティンはビートルズのサウンド面で彼らの活動にとてつもない貢献ができたのです。

ミュージシャンに紳士的に接した

ほとんどのプロデューサーは、特に若手のミュージシャンに対しては上から目線で指示しました。
しかし、マーティンは決してそのようなことはせず、たとえ新人であっても彼らと同じ目線に立って、彼らの持ち込むアイデアに決して否定的な答えを出さず、何とかものにできないかを一生懸命考えました。
いわばビートルズは、彼がいっぱいに広げた仮想空間の中で自由に飛び回ることができたのです。

初のチャートNo.1を誕生させた


2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」をレコーディングした時のことです。
実は、オリジナルはもっとゆったりとしたテンポで、「プリティ・ウーマン」で有名なロイ・オービソン風のアレンジでした。
しかし、オリジナルを聴いたときにマーティンの頭にひらめくものがあったのです。
彼は、モニタールームのマイクでスタジオにいるビートルズに「もっとアップテンポにしよう」と提案したのです。
ポール・マッカートニーは、戸惑いながらも「ええ、よいですよ」と答えました。
すると、スピーカーから信じられないほどキラキラと輝くあのサウンドが流れてきたのです。
普段は冷静なマーティンもこの時は、やや興奮した口調でこう言いました。
「おめでとう。君たちにとって初のチャートNo.1が誕生したよ」
ビートルズが初めてレコーディングにおける編集の重要性に気づいたのもこの時でした。
マーティンは、この後もさまざまなアイデアでビートルズの楽曲を名曲に仕上げていきました。

ア・ハード・デイズ・ナイト


「チャーン」というイントロが鮮烈(せんれつ)な印象をリスナーに与える名曲です。
マーティンは、インパクトの強いイントロでリスナーの心をつかむことが重要だと常々考えていて、他の曲でも同様の手法を採用していました。
この曲は、ビートルズの初主演映画のタイトル曲であるため、大ヒットさせることが絶対条件でした。
曲はジョン・レノンがほとんどを作り、ポールがBメロの部分を補足して完成したのですが、マーティンは、さらに印象深いイントロを作れないかと考えたのです。
彼の狙いは当たり、映画の冒頭のシーンでこのイントロが流れると、観客は熱狂してスクリーンに向かって絶叫したのです。
ところが、不思議なことに他のバンドがライブやレコーディングでこのイントロを演奏すると、どうやってもレコードと同じサウンドを出せなかったのです。
考えられるありとあらゆるコードを試してみたのですが、近いサウンドは得られてもピッタリ同じサウンドは再現できず、この謎は「ア・ハード・デイズ・ナイト・コード・ミステリー」と呼ばれ、ミュージシャンはもちろん学者までも加わって、50年にもわたり論争が続けられました。
そして、2015年になってようやくその謎が解明されたのです。
たった一つのコードでこれだけ長きにわたり世界中を翻弄(ほんろう)したバンドはビートルズだけです。
そんな大きな謎を生み出したのもこのジョージ・マーティンなのでした。

イエスタデイ


ロックに世界で初めて弦楽四重奏をフィーチャーした作品です。
当初は、ポールのボーカルとアコースティックギターの演奏だけでした。
すると、また、マーティンの頭にひらめくものがあったのです。
彼は、ポールに「弦楽四重奏をフィーチャーしてみよう」と提案したのです。
しかし、ポールは「ロックに弦楽四重奏をフィーチャーする?冗談でしょ!」と受け入れませんでした。
それでもマーティンは引き下がらず「やってみようよ。それでうまくいかなかったら、君のソロを使えばいいじゃないか」とポールを説得しました。
そして、マーティンが譜面を書き、楽団を手配してレコーディングし、それをポールのテイクにオーバーダビングしたのです。
ポールは、曲を聴いた途端、椅子から飛び上がるほど驚き、感激しました。
ポールのソロに荘厳(そうごん)さが加わり、ドラマティックな作品に仕上がったのです。

トゥモロー・ネバー・ノウズ


これは、ジョンの作品ですが、最初に作ったときはコードがCしかありませんでした。
彼は、アコースティックギターを弾きながら自分の作品を紹介しましたが、それを聴いたポールは面白いと思ったものの、さすがにこのクオリティーではレコーディングは無理だろうと感じました。
しかし、マーティンは決してこの作品を否定することなく、何とかものにできないかとじっと考えていたのです。
ジョンは、自分のボーカルを「ダライラマが山のてっぺんから説教しているようなサウンドにしてくれ」と要求しました。
この無茶振りに見事に応えたのが、マーティンの部下でレコーディングエンジニアのジェフ・エメリックです。
彼は、レズリー・スピーカーでジョンのボーカルを拾うことでこの難題を解決してみせました。

ストロベリー・フィールズ・フォーエバ


これもジョンの作品ですが、2つの異なるバージョンでレコーディングされました。
1つは大掛かりなオーケストラを使ったアレンジ、そしてもう1つは穏やかで幻想的なアレンジです。
何とジョンは、マーティンに対し両方を使ってくれと要求しました。
マーティンは、この2つのアレンジはキーもテンポも違うから無理だと答えたのですが、ジョンは、あなたならできるはずだとゆずりませんでした。
この頃はコンピューターのような便利な道具はもちろんありませんから、手作業ではさみを使ってテープをカットしたり、つないだりして見事に幻想的な曲が生まれたのです。

ア・デイ・イン・ザ・ライフ


これはジョンとポールの全く違う作品を合体させたものです。
ジョンの作品からどうやってポールの作品につなぐかが大きな課題でした。
そこで、弦楽四重奏よりもっと大規模なオーケストラをつなぎとして入れることにしました。
マーティンは、24小節のそれぞれの楽器の最も低音から譜面を書き始めました。
例えば、チェロなら低音のCから演奏を開始し、最後の部分では最も高音のEに合わせたのです。
そして、24小節を通して少しずつ音階を上げて頂点に達したところで、突然バシッと切ってしまうという大胆な手法を採用しました。
リスナーは、ジョンの幻想的な歌詞と相まって、壮大なドラマを観ているような異次元の世界へ誘われます。
マーティンの手腕がさえわたった楽曲は、「イン・マイ・ライフ」「キャント・バイ・ミー・ラヴ」「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」「フォー・ノー・ワン」などまだまだたくさんあります。
残念ながら、彼は、2016年にこの世を去りました。
ポールは「もし、5人目のビートルは誰かと問われたら、ジョージだと答える」と語っています。
彼の息子のジャイルズも音楽プロデューサーの道を歩み、偉大な父の背中を追いながら名プロデューサーとして着実に実力を付け、ビートルズの楽曲をリミックスしたコラージュ・アルバム「ラヴ」を2006年にリリースし、翌年グラミー賞を獲得したのです。
ジャイルズは父に「父さんがビートルズを作ったおかげで、世界中の人々がどれだけ幸せになったか想像してみなよ」と話しかけると、ジョージは、「私はただ一生懸命やっただけだよ」と答えました。
どこまでも謙虚な人だったのです。

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