過去から抜け出したくて 溢れる才能
…majikoを形成した“土壌”
シンガーソングライターのmajikoが2月15日発売のミニアルバム『CLOUD 7』でメジャーデビューした。“まじ娘”の名でネットシーンで活動していた彼女。ストレイテナーのホリエアツシや元AIRの車谷浩司に才能を見込まれ、彼らのプロデュースのもとで開花した才能をお披露目するのが今作といえる。作詞作曲だけでなく編曲・プログラミングや購入特典のアナザージャケットイラストを手掛けるなどまさにマルチ。今回みせる音楽性はこれまでのロックに加え、ジャズやプログレなど多岐に渡り、シングルでは収まり切れないとしてミニアルバムとなった。その今作は、芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」のような世界観を群像劇として表現。極楽から地獄に蜘蛛の糸を垂らすように「prelude」から始まり紆余曲折を経て「Lucifer」へと向かう。自身が手掛けた6枚のアナザージャケットイラストも曲の物語と重なる。圧倒的な歌唱力とは裏腹に歌には皮肉を込めているという。彼女の才能はいかにしてできたのか、その背景を追うとともに今作に込めた思いを聞いた。今回は前編と後編に分けて、前編は彼女が音楽活動を始めたきっかけを中心に、後編は今作の収録曲に寄せる思いを紹介する。
過去の成績から抜け出したくて
――音楽を始めたきっかけを教えてください。
中学2年生の時に学校に軽音楽部があるのに気づいて。そこからボーカルで入ったのがきっかけです。
――その頃からボーカルを?
最初はボーカルだったんですけど、私たちが高学年になる頃には「もう新入部員はとらない」と顧問に言われて。それまでは先輩のドラマーが私たち後輩のドラムを叩いてくれてたんですけど、卒業しちゃったらギターとベースと私だけになってしまうと。それで、ドラムをやる人をジャンケンで決めようとなって。私が勝ったんですけど、1年生の時からギターをやっている男の子が「やっぱりギターを2年やっている訳だから最後までギターを貫きたい」と言い出して。ベースも同じく…みたいな感じになっちゃったんです。「そんなこと言われたら、私がやるしかないじゃん」となって。それでドラムボーカルをやるようになって、3年生までやっていました。
――ドラムができたんですね。凄いですね。
ドラムは出来ちゃいました。「なにくそ!」と思って、悔しくてやっちゃいました。
――ドラムは練習環境を整えるのも大変ですよね。
親も音楽をやっていたので、たまたま家にドラムがあって。軽音楽部のドラムもお昼休みには開放してくれてたんで、死ぬ気で「形にせねば」と思って練習していました。でも必死に頑張れたのは、アマチュアバンドが集まって競う大会に参加したことがきっかけなんです。
それは賞を期待していたわけではなくて「うちらなんも青春の想い出がないから」という理由で大会にエントリーして。そこでは色んなジャンルの年上の方々が歌っている訳ですよ。「勝てるわけない。終わったな」と。本番でもギターがソロのときにアンプを倒して何をやっているのか聴こえないみたいなハチャメチャな感じになっちゃって…。
そんななかで一組一組発表されていく訳ですよ。オーディエンス賞とか。審査員賞とか。泣いてる子もいて。「めっちゃ嬉しいです! 夢だったんです!」みたいな。その光景を見て初めて「登竜門みたいな大会だったんだ」とも驚いて。当時は最年少だったんですよ、私たちは。だから「私たちまだ早かったね」と諦めていたけど、その私たちがなんとその予選のグランプリになっちゃいまして。
そこからとんとん拍子に進んでいくんです。録音審査にも受かって、その大会ではZeepTokyoでも演奏させてもらって。「私たちの青春はここまでで十分だよね、楽しかったね、ありがとう」という充実感がありましたね。それから何日か経って顧問の先生から「聞いて欲しいことがある」と言われて「なんだろう? 結婚でもするのかな?」と思っていたら「全国大会に出場できます!」となって「え! まじか!」と。審査員の方々が決める推薦枠みたいものに選ばれたみたいで。最後は品川ステラボールで演奏しました。
でも、そこでもバタバタがあって。その全国大会の日が学校の修学旅行だったんです。うちの親は音楽をやっていたので「どうしても出させてやりたい」と。学校の一大行事だから、先生からすれば「修学旅行に出ないのはいかがなものか」と言われたりもしたんです。それでも母が「この子のことを考えたら修学旅行よりも音楽の大会に出た方がためになる」と説得してくれて。最終的に、修学旅行を京都で1日過ごして途中で抜けて大会に参加することになったんです。その大会に出て演奏し終えて「まあどうせ選ばれる訳ないし」と思っていたんですけど、そこでも奨励賞に選ばれたんです。
そういう経験は10代の私の心には甘い汁みたいなものでしたね。アイデンティティがまだ確立されてない10代の頃ってそれにすがってしまうというか。それがあれば、皆ちやほやしてくれるし、認めてくれる。そういうこともあって、本当はやりたくなかったけど、しばらくはドラムボーカルで活動してたんですよ。高校の軽音楽部でも、そのバンドでも、ドラムボーカルをやっていました。
でも、そこから抜け出したいという気持ちもどこかにあって。高校2年生の時に、ニコニコ動画の「歌ってみた」というのをやるようになって、そこでやっと疑問に思えてきたんですよ。「本当にドラムボーカルでいいのか? 本当はボーカルがやりたかったんじゃないのか」と。そのモヤモヤを晴らすために「歌ってみた」にのめり込んで。ここなら私の名前も知られないし、誰だかも分からないから、ちょっと腕試しにと思って。そうしたら、ダメ出しをドンドンされながらもファンがついてきてくれたんです。ファンがつくことでボーカルとしての自信にも繋がって。
高校卒業後の進路を考えるなかで、専門学校に行くつもりだったんですけど、ドラムか、それともボーカルという道を選択しないといけないという状況になって親に相談したんです。「やっぱり私、ボーカルがやりたいんだよね」と。怒られると思ったけど「あなたの好きなようにすればいいじゃない」と背中を押してくれて。それでボーカルの道に入りました。
それでもやっぱり凄い不安はあって。ボーカルだけをずっとやってきている人と比べたら空白というか、歌だけに向かい合ってきた時間がどうやっても短い。どんなに早く走ってもその時間の差、練習量の差は追いつけない、だから私は人一倍頑張らないといけない。そういう覚悟で専門学校に入ったのに、その学校の授業がしっくりこなかったり、回りの人のやる気のなさにショックを受けてしまったり、気がついたら家に引きこもるようになってしまって。
当時は光を見るのもつらくて、部屋の窓を全部閉めて黒い布で覆って、真っ暗な朝か夜かも分からない環境のなかで過ごしていました。そのなかで死ぬほど歌って。徐々に表に出られるようなった矢先にEXIT TUNES ACADEMY(ボカロ系に強いレコード会社)からお声がかかって。そこからライブにも出るようになって、皆に見てもらえるようになり、今に至る…みたいな。
デビューのきっかけ
――EXIT TUNESから声がかかったのは「歌ってみた」がきっかけ?
はい。家にこもっていた時もずっと「歌ってみた」をやっていて。ニコ動にはカラオケとかもあって、ずっと歌いまくってました。「これは作品にしたいな」と思うものだけをちゃんと作品にして、あとはもう色んなのを歌っていましたね。
そうやってしばらく引きこもった後、このままじゃいけないと思って実は別の専門学校に編入させてもらったんです。編入先は親も教師を務めているところで、凄く温かい学校でした。それでも最初は前の学校のトラウマで途中まで行くのがせいいっぱいで怖くて入れなくて。行って泣きながら帰ってくるという。そういうのを経て徐々に教室に入れて、人と話して、1歩1歩そこで回復したという感じです。
そこの学校で色んな曲、海外の曲も歌ったし、私が普段歌わないような歌も歌わされたし。そういう環境で「色々養われたてきたのかもな」と思います。あの時は凄く楽しかったです。
――そのとき、歌はどういう役割を果たしましたか?
もうなくてはならない。これがなかったら私はどうなってたんだろう? というぐらい救いになっていて。歌を歌うたびに、全部忘れることができたんですよ。嫌なこととか心配なこととか。「音楽は裏切らない」と言うけど「本当にそうだな」と。いつも傍いてくれましたね。
たまたま生まれた副産物
――家にいるときは曲作りはやってたんですか。
高校生の時にセッションでは作っていたんですけど、自分で全部作ったのは『Contrast』というアルバムの「end」が初めてですね。専門学校の時も、ギターは買っていたんでフレーズごとのネタはあったんですけど。最初から最後までを完全に作ったのはその曲が初めてです。
――曲作りはギターで?
いつもはエレキで作っています。でも、今回のミニアルバムの楽曲を作るときに、ちょうどシールドが壊れちゃって。だから「ノクチルカの夜」はピアノで「ちょっと試しに作ってみるか」と思ってできた曲だったりします。「Lucifer」もその時期に作りました。シールドがないから5年ぐらい眠っていた、埃がかぶっているモーリスのアコギを引っ張り出してきて、手を真っ黒にしながら弾いた思い出がありますね。
――それは弦が錆びていたということですよね。曲調も変わりますよね。
はい、錆びていました(笑)。私、シタール(インドの民族弦楽器)の音が大好きなんでけど、年季の入った弦のおかげか、意図せずシタールっぽい音になっていました。知り合いのミュージシャンの方に「5年間使っていなくてサビているギターはやっぱりダメですかね」と聞いたら、「あえてそういう風にしている人もいるからいいんじゃない?」と言われて。それからは、じゃあ、敢えてこのままでいいか、と思っています(笑)。
――その「Lucifer」にシタールのような音色が入っていますよね。それはそのときの錆びた音を表そうと?
普通のアコギでもシタールみたいな音に聞こえるときがありますよね。私の「モーリス5年」も弾き方や弦の状態次第でシタールみたいな感じになるから、私としては好きなんですけど、そのまま入れるのはちょっとあれだなと。なので、レコーディングでは、ギタリストの方に改めてアコギで弾いていただきました。
後編は19日掲載予定。
(取材=木村陽仁)
◆majiko 母親がボーカリスト・ボーカルトレーナーということもあり幼少の頃からROCK、SOUL、JAZZ、ときには民俗音楽も流れる音楽の絶えない環境で育つ。2010年6月に動画共有サイトに自身の歌を初投稿。2013年12月に人気ライブイベントETA(EXIT TUNES ACADEMY)に初出演を果たすと、その圧倒的な歌唱力で、観衆、共演者、関係者をも驚愕させる。2015年4月、1stアルバムとなる「Contrast」をリリース。2015年6月、自身初のワンマンライブを東京キネマ倶楽部で開催。チケットはソールドアウト。近年は海外のライブイベントにも多数出演。2017年2月、アーティスト名を「まじ娘」から「majiko」へと変更し、ポニーキャニオンよりメジャーデビューが決定。
作品情報
majiko「CLOUD 7」 2017年2月15日(水)発売 品番:PCCA-04473 価格:1,620円(税込) 収録曲 タイアップ情報 majiko「ノクチルカの夜」 majiko「CLOUD 7」販売店別先着購入者特典 各販売店にて先着購入特典として、majikoオリジナル特典をプレゼント。 majiko 描き下ろし「CLOUD 7」アナザージャケット6種 ○アニメイト/ゲーマーズ(オンラインショップ含む) 上記特典実施店以外(一部店舗を除く)の応援店には、majiko「CLOUD 7」告知ポスターをプレゼント。応援店詳細は後日オフィシャルHPで発表となる。 |
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