【連載コラム】大鶴義丹、年配者の若
者バッシングについて考える(第9回
)
本の目利き屋、大鶴義丹でございます。第9回目に紹介する本は、古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」です。
「近頃の若者は…」
この本は五年ほど前に26歳になろうとしている著者によって書かれた「若者論」である。そして文庫本化において、今30歳になった著者の新たな注釈を加えたモノが本書である。
著者自身、東日本大震災前夜である2010年の日本を見つめている20代の「若者」の視線であると明記しているが、私がこの本を手に取った理由の一つに、今30歳になった著者の世の中への視線はどう変化したかということだ。たった五年弱かもしれないが、20代から30代に代わる瞬間というものには良しにしろ悪しきにしろ、とても大きな意味があるはずだ。
現代において30歳になるということは、色々な意味やシステムにおいて、本当の成人式であると思う。その理由は、言い訳が通用しない、または言い訳をしない年齢になるということが、本当の意味での成人だと思うからだ。今の複雑な世の中でそれを20歳に与えてしまうのは酷過ぎる。
私が30歳の誕生日を迎えたのは、NHKのドキュメンタリー番組のロケで訪れた、南米ペルーにある標高4781メートルにあるガレラ駅であった。当時は世界で一番高い場所にある鉄道駅であった。
晴れ渡った空の下、異様に乾燥した風に吹かれながら、20代が終わってしまったことの意味を一人考えた。異界で考え出した答えは、20代の自分を超える30代になる方法が何一つ見つからないという、お先が真っ暗という現実だった。
少し前に、20代を終えようとしている同業者の後輩に、仕事上の悩みを相談されたことがある。俺自身もその時代には酷い目に遭ったから、きっと君も酷い目に遭うだろうと、まったく役に立ちそうもないアドバイスをした。
「切り抜けられるか、否か」
あれから20年近くの時間が経っているが、いま冷静に振り返っても出てくる答えはそれくらいである。若者に対してアドバイスなんて出来る訳がない。
古代エジプトの石板に刻まれたとある文字を解読すると、「最近の若者はなっていない」と言う一文であった。
一種の都市伝説だとされている話ではあるが、昔は良かったとばかり言う年寄りや、無意味な若者バッシングに対してこれ程効果的なカウンターはないであろうと笑ってしまった。
新しい世代というものが、徐々に劣化していくと言う理屈が通ると言うのなら、古代エジプトの時代から見たならば、今の歳よりも若者も大して変わらない劣化の果ての世代と言うことになってしまう。また、数千年前から、いつの時代も年寄りは若者に対して同じことを言っているということを、上手く言い表している話である。
実際、世の中に溢れる年寄りの言葉は、物事の真実に迫る云々ではなく、ただ文句を言いたいだけのことが多いということが多い。自分も少しづつそちら側に近づいているからこそ分かることであるが、年寄りと言うのは不安の塊なので、少しでもそれを誤魔化すために自分を安全地帯に置きたがるものだ。
「自分たちの時代は良かった」
「自分たちはもっと頑張った」
「自分たちの作り上げたモノは素晴らしい」
年配者の言葉を黙って聞いていると、過去に遡るほどに優れた時代であるかのようだ。
だが今現在五〇代くらいの方が若者だった1980年、いわばバブル前夜の時代を経済企画庁の消費者動向データとして調べると、暮らしが良くなったと答えた若者は9.1パーセントで、悪くなったと答えた33.6パーセント、変わらないか57.3パーセントという結果である。
また社会に希望があったかも怪しいという結果も出ている。暮らし向きが良くなると答えた若者はわずか7.2パーセントで、悪くなると答えたのが43.6パーセント、変わらないが49.2パーセントだという。
1980年というのは私が中学一年生のときである。確かに当時を振り返ると、駅前のゲームセンターには今より分かり易い雰囲気の不良がたくさんいたし、暴走族の兄貴がいる同級生が威張り散らしていた。受験戦争が原因でのノイローゼ的な事件がニュースを賑わし、学校内でも教師と生徒の暴力沙汰が日常茶飯事であり、私たち少年の目に映る世の中が未来的であったかは疑問である。
当時の時代のことを、バブル経済に向け、世の中が凛々しく前進し続けいたかのように誇張して語る五十代から上の方もいるが、冷静に考えると、経済指標は上向きであったかもしれないが、市井の全てが未来志向とは言えないのがリアルであるような気がする。
たった35年前くらいのことを検証してもこのようなモノである。さらに戦後へと遡ると、若者文化がマスメディアを騒がした出来事に、1950年代・太陽族、1960年代・みゆき族というものがある。
太陽族とは作家・石原新太郎氏が書いた「太陽の季節」という小説に出てくるような、戦後という世の中において、既成の秩序にとらわれずに行動するドライな感性の若者たちのことである。戦後と言う新しい世界に生まれ、新しい自由を謳歌する彼らのような若者を、戦争という苦労をリアルに体験した世代は激しく忌み嫌ったと言う。
みゆき族とは銀座のみゆき通りに意味もなく集い、当時最先端のファッションをしている若者たちのことで、行ってみれば今の渋谷や原宿に意味もなく集う若者のようなもので、直接何も悪いことをしていないというのに、風紀を乱すという理由で警察はバスを動員してまで彼らを大量に補導したという。
またその後の学生運動に対する世の中の風当たりも然り、メディアや大人たちはいつの時代も若者に対して「いちゃもん」を付けたがると言うことなのであろう。
そして私自身も否応なしに「いちゃもん」をつける側の世代になろうとしている。
その現象を著者は「大人の自分探し」と断じている。新しい世代の感覚を認めてしまうと自分が異質であることを認めることになり、それを避けるために新しい世代を異質な存在としたがると言う。
このように若者バッシングはいつの時代も起きる現象であり、それは戦後に遡っても大正、明治に遡っても同じことが繰り返されていたのは容易に判断が付く。
「これだから明治生まれはダメだ」
きっと江戸時代生まれの高齢者はそんなことを言っていたであろう。
著者自身、東日本大震災前夜である2010年の日本を見つめている20代の「若者」の視線であると明記しているが、私がこの本を手に取った理由の一つに、今30歳になった著者の世の中への視線はどう変化したかということだ。たった五年弱かもしれないが、20代から30代に代わる瞬間というものには良しにしろ悪しきにしろ、とても大きな意味があるはずだ。
現代において30歳になるということは、色々な意味やシステムにおいて、本当の成人式であると思う。その理由は、言い訳が通用しない、または言い訳をしない年齢になるということが、本当の意味での成人だと思うからだ。今の複雑な世の中でそれを20歳に与えてしまうのは酷過ぎる。
私が30歳の誕生日を迎えたのは、NHKのドキュメンタリー番組のロケで訪れた、南米ペルーにある標高4781メートルにあるガレラ駅であった。当時は世界で一番高い場所にある鉄道駅であった。
晴れ渡った空の下、異様に乾燥した風に吹かれながら、20代が終わってしまったことの意味を一人考えた。異界で考え出した答えは、20代の自分を超える30代になる方法が何一つ見つからないという、お先が真っ暗という現実だった。
少し前に、20代を終えようとしている同業者の後輩に、仕事上の悩みを相談されたことがある。俺自身もその時代には酷い目に遭ったから、きっと君も酷い目に遭うだろうと、まったく役に立ちそうもないアドバイスをした。
「切り抜けられるか、否か」
あれから20年近くの時間が経っているが、いま冷静に振り返っても出てくる答えはそれくらいである。若者に対してアドバイスなんて出来る訳がない。
古代エジプトの石板に刻まれたとある文字を解読すると、「最近の若者はなっていない」と言う一文であった。
一種の都市伝説だとされている話ではあるが、昔は良かったとばかり言う年寄りや、無意味な若者バッシングに対してこれ程効果的なカウンターはないであろうと笑ってしまった。
新しい世代というものが、徐々に劣化していくと言う理屈が通ると言うのなら、古代エジプトの時代から見たならば、今の歳よりも若者も大して変わらない劣化の果ての世代と言うことになってしまう。また、数千年前から、いつの時代も年寄りは若者に対して同じことを言っているということを、上手く言い表している話である。
実際、世の中に溢れる年寄りの言葉は、物事の真実に迫る云々ではなく、ただ文句を言いたいだけのことが多いということが多い。自分も少しづつそちら側に近づいているからこそ分かることであるが、年寄りと言うのは不安の塊なので、少しでもそれを誤魔化すために自分を安全地帯に置きたがるものだ。
「自分たちの時代は良かった」
「自分たちはもっと頑張った」
「自分たちの作り上げたモノは素晴らしい」
年配者の言葉を黙って聞いていると、過去に遡るほどに優れた時代であるかのようだ。
だが今現在五〇代くらいの方が若者だった1980年、いわばバブル前夜の時代を経済企画庁の消費者動向データとして調べると、暮らしが良くなったと答えた若者は9.1パーセントで、悪くなったと答えた33.6パーセント、変わらないか57.3パーセントという結果である。
また社会に希望があったかも怪しいという結果も出ている。暮らし向きが良くなると答えた若者はわずか7.2パーセントで、悪くなると答えたのが43.6パーセント、変わらないが49.2パーセントだという。
1980年というのは私が中学一年生のときである。確かに当時を振り返ると、駅前のゲームセンターには今より分かり易い雰囲気の不良がたくさんいたし、暴走族の兄貴がいる同級生が威張り散らしていた。受験戦争が原因でのノイローゼ的な事件がニュースを賑わし、学校内でも教師と生徒の暴力沙汰が日常茶飯事であり、私たち少年の目に映る世の中が未来的であったかは疑問である。
当時の時代のことを、バブル経済に向け、世の中が凛々しく前進し続けいたかのように誇張して語る五十代から上の方もいるが、冷静に考えると、経済指標は上向きであったかもしれないが、市井の全てが未来志向とは言えないのがリアルであるような気がする。
たった35年前くらいのことを検証してもこのようなモノである。さらに戦後へと遡ると、若者文化がマスメディアを騒がした出来事に、1950年代・太陽族、1960年代・みゆき族というものがある。
太陽族とは作家・石原新太郎氏が書いた「太陽の季節」という小説に出てくるような、戦後という世の中において、既成の秩序にとらわれずに行動するドライな感性の若者たちのことである。戦後と言う新しい世界に生まれ、新しい自由を謳歌する彼らのような若者を、戦争という苦労をリアルに体験した世代は激しく忌み嫌ったと言う。
みゆき族とは銀座のみゆき通りに意味もなく集い、当時最先端のファッションをしている若者たちのことで、行ってみれば今の渋谷や原宿に意味もなく集う若者のようなもので、直接何も悪いことをしていないというのに、風紀を乱すという理由で警察はバスを動員してまで彼らを大量に補導したという。
またその後の学生運動に対する世の中の風当たりも然り、メディアや大人たちはいつの時代も若者に対して「いちゃもん」を付けたがると言うことなのであろう。
そして私自身も否応なしに「いちゃもん」をつける側の世代になろうとしている。
その現象を著者は「大人の自分探し」と断じている。新しい世代の感覚を認めてしまうと自分が異質であることを認めることになり、それを避けるために新しい世代を異質な存在としたがると言う。
このように若者バッシングはいつの時代も起きる現象であり、それは戦後に遡っても大正、明治に遡っても同じことが繰り返されていたのは容易に判断が付く。
「これだから明治生まれはダメだ」
きっと江戸時代生まれの高齢者はそんなことを言っていたであろう。
タグ