【amazarashi】前作で言い足りなかっ
たことを全部吐き出した

小説、楽曲、ライヴ、アートワークの有機的な結び付きが、かつてないスケールの衝撃と感動をもたらす。最新ミニアルバム『虚無病』でamazarashiが到達した新たな次元とは?
取材:宮本英夫

虚無病とは恒常的に諦めて生きるようになる状態のこと

アルバム『世界収束二一一六』とツアー『世界分岐二〇一六』から始まった2016年。あのアルバムとツアーのプロジェクトを終えた手応え、得たもの、感じたものについて、今思うところを教えてください。

バンドとしてはツアー毎に成長できてる実感があります。やっぱりツアーが一番得る経験値が大きいなと思いました。作品としては、とても熱量を使ったので少し燃え尽きた感がありました。でも、アルバムを振り返ると、ちょっと極端に振れすぎてた感じもあるので、何となくこれから向かいたい方向も今になって見えてきました。

その後リリースされたライヴDVD『世界分岐二〇一六』についてですが、映像作品としてこだわった部分、観てほしいところ、気に入っているポイントなど、改めて作品紹介をしていただければと思います。

ツアーファイナルをまるまる全部収録した作品なので、アルバムを作り終わって、ツアーを回って、そこから何を得て、アルバムからどうメッセージが変わったかとかを意識して観てもらえたら嬉しいです。

次にオーディエンスの反応について。前よりもこんなふうに変わってきた、最近こういうことを感じる…など、オーディエンスとのコミュニケーションや会場の雰囲気について思うことがあれば知りたいです。

お客さんの雰囲気はそんなに変わらないです。“amazarashiのライヴはこう観るもの”みたいなローカルルールができつつあるように思うんですが、もうちょっと気楽に観てもらいたいです。距離感は縮まった気がします。あまりコミュニケーションをとるタイプのライヴではないですが、僕らもお客さんも心を開いてる実感はあります。

6月にはtacicaとツーマンをやりました。あまりない企画だったと思いますが、どんな感想がありますか?

あまり対バンやイベントの機会がないので、ありがたいイベントでした。とても刺激を受けました。

『虚無病』は小説、アルバム、ライヴとリンクしたプロジェクトですが、最初のきっかけ、キーワード、動機はどんなものだったのでしょうか?

最初は幕張でのライヴが決まって、“せっかくだから何かしたいよね”みたいなとこから始まりました。ライヴに合わせてシングル出そうか、物語にしようか、やっぱりミニアルバムにしようか…って感じでアイデアが段々大きくなってこういうかたちになりました。

前回の小説+映像+音楽プロジェクト『千分の一夜物語 スターライト』で得た手応え、今後の可能性への期待が、今回の動機のひとつになっていますか? また、それは音楽とライヴという通常のスタイルとは、違うレベルの創作の喜びを感じるものなのでしょうか?

そうですね。毎回こういうライヴはしんどいんですけど、要所でやっておきたいなと思ってます。いろんな人が関わってひとつの作品を作り上げるという感覚が、大変だけどそれだけに充実感も大きいので、自分の血と肉になる大事な作業です。

小説、楽曲、ライヴとのリンクの仕方というのは、同時進行で考えていったのですか? それともひとつひとつ作り上げてから組み合わせていったのでしょうか? そして、それはかなり大変な作業でしたか? 制作の状況について、実感を教えていただければと思います。

始めに小説から考えました。それをライヴでどう表現するかとか考えていくうちに、物語に合わせて曲を作ろうかとか、膨らんでいった感じです。ライヴを終えるまで完成とは言えないので、何とも言えないですが、大変でした。

小説のプロット、主人公のキャラ設定、物語の進行など、小説を考える時には、例えば詩を書く時とは違う脳の部分を使うものなのでしょうか? 

詩を書く時とは違う感じがします。小説に関しては素人なので、欲張らず、やりたいことをひとつでも表現できればいいと思って書いてます。

例えば、主人公のひとりが秋田さんの意図を超えた言動を始めるとか、そういうことはありましたか? そのへんを含めて、小説を書く面白さについても知りたいです。

あまりそういうのはなく、ずっと悩みながら書いてました。ライヴや音楽に還元するために書いてるので、楽しさはあまりなかったです。

ずばり、“虚無病”とはどんな病なのでしょうか? 事前に言える範囲で構いませんので、教えてください。

何をやっても空しいという気持ちがずっと続いてると、恒常的に諦めて生きるようになってしまうんですが、そういう状態を“虚無病”としました。小説ではまた違った意味があります。

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