Am Amp テーマは“全員主人公”、2
.5次元舞台で活躍する須賀京介が人生
を賭けて結成したバンドに迫る

バンドで頂点を目指すというティーンエイジドリームは今も色褪せない少年の野心の一つだが、それにアラサーの男たちが挑むというドラマがAm Amp(アムアンプ)のダイナミズムだ。俳優として数々の2.5次元作品の舞台で活躍し、それのみならず、ぶっ飛んだキャラクターと才能で耳目を集める須賀京介が、昨年“一人バンド”として立ち上げたAm Ampを自身の夢であるバンドとして立体化したのが、4人編成となった現在のAm Ampである。メンバーは、このバンドで本格的なドラムに初挑戦となる元俳優の宮城紘大(Dr)、いくつかのヴィジュアル系バンドで活動してきた矢沢もとはる(Ba)、さまざまなバンドを経て近年は倖田來未夢みるアドレセンスなどのサポートを務めてきたJOHN(Gt)。バックボーンの異なる4人はいかにしてバンドになり得たのか? 意外すぎるイレギュラーなストーリーをじっくり訊いた。
――そもそも須賀さんは他のアーティストに楽曲提供とかをされていた中、昨年“一人バンド”という形でAm Ampを始められて。
須賀:そうですね。23歳まではバンドマンとして表舞台に出ていたんですけど、そこからおよそ5年ぐらい、ある種の楽曲提供だったり裏方に回ってしまっていて。28歳になった時に、自分がフロントマンとして舞台に立つのはラストチャンスかなっていうところで、無計画で始めたのが去年の一人のAmAmpの始動だったりします。
――俳優などの活動をする中で、音楽をどうしてもやりたいっていう気持ちの根っこにあるものって何なんですか?
須賀:小さい頃に男の子が夢中になるヒーローものってあるじゃないですか? 僕にとっての変身願望はそっちに向かなくて。僕のルーツは完全にザ・ビートルズなんですけど、マッシュルームヘアに黒スーツの初期のとか、あれが僕にとってのヒーローやアイドルで。やっぱりヒーローになりたいっていうのは、30歳目前でも捨てきれなかったっていうのが一番の原動力で、ある種、変身願望に近い気持ちがやっぱり根底にはあって。それが抑えきれずに爆発してしまったっていうのが一番の要因かなって思います。
――音楽をやるだけじゃなく、あくまでもバンドだと。
須賀:ビートルズが好きなぐらいなので、同世代の男の子が4人並ぶっていう姿にすごくエクスタシーを感じるので(笑)。どうしてもバンド、特に4人組バンドがやりたいっていうのはAm Ampを一人で立ちあげたときに完全に着想としてありました。実は去年の8月に、一人の時の1st EPを初めてリリースしたんですけど、もう4人バンドを組もうという計画は自分の中ではあって、メンバー探しは始めていて。彼(宮城)とはおよそ4年前に、僕のほぼほぼ初舞台での共演以降、プライベートの親交はあったんですけど。メンバー探しを始めた当時、彼がちょうど人生の節目じゃないですけど、俳優業の引退というか無期限活動休止を発表した手前で、「今後の人生どうしよう」みたいなところで。出会った当時、僕は初舞台のくせに大役を頂いてしまって、右も左もわからない状態で。その時、座長だった彼がすごい背中見せてくれて。それからの付き合いだったんです。そこで相談して行く中で、彼は高校で軽音部でやってましたし、いつか人生でしっかりドラムに挑戦したいという気持ちはずっと聞いてましたし、どんな形であれエンターテイメントに関わっていきたい、ただそこが自分の中でまだ定まっていなくてっていう。音楽畑の人間ではなかったので、彼をドラマーとして起用するっていうことは、僕の中で結構ハードルが高いことだったんですよ。ただやっぱり背中を見せてもらったじゃないですけど、初舞台で共演したときに何が何でもやり通すっていう、彼のやりきる姿も見ましたし、役者として今でも先輩だと思ってますし、彼のプロ意識っていうのをとにかく見せつけられたので、やってくれると信じて誘った次第です。そっからはもう話が早くて、2週間ぐらいで全員集まっちゃって。逆にそこまで僕が組んでたメンバー全部バラしたんですよ。宮城が入ることによって、全部自分の中の絵コンテじゃないですけど、バンドのバランスがパワーバランス変わると思ったので。この癖ある人物が入ったら、たぶん誰を入れても結構霞んじゃうなと思ったので、見ての通りちょっと癖の強い、知り合いじゃなさそうな(笑)4人を集めて。
須賀京介(Vo)
――宮城さんは、音楽をやるならどういう形で、みたいなビジョンはあったんですか?
宮城:いや、本当に「バンドやろうぜ」っていう話を今でも鮮明に覚えてるんですけど。エンタメに戻りたい、裏方でもいいから……“裏方でもいいから”って言ったらちょっと語弊があるかもしれないんですけど、どんな形でも、微力でもエンタメにすがりつきたいっていう思いを話したところ、自分がドラムをやることをサポートできるかもしれない的なニュアンスで話していただいてたので。やるならしっかりやりたいっていうことで、家を引っ越したりだとか(笑)。
――家で練習するために?
宮城:そうです。(ドラムの練習ができる環境にするために)住んでた家を引っ越したり。やるなら真剣にやりたいっていうことを須賀に話したら、もう本当にコーヒー飲みながら「じゃあバンドやらない?」って言われて(笑)。
須賀:引っ越しただけじゃなくて、板を買ってきて自分で完全防音室を作り上げてしまって。
宮城:彼が「じゃあバンドやらないか?」っていうのを持ちかけてくれて、彼は僕が背中見せてくれたとは言ってますけども、僕もいろんな役者を見てきた中で、本当に異質というか、才能をめちゃくちゃ感じてたので。彼と何かに携われるなら、めちゃくちゃ一緒にやりたいっていうのが強くて。音楽をやりたいっていう気持ちよりも、どっちかと言えば、須賀京介という人物と何か一緒にできるなら乗りたいっていう気持ちが強かったですね。っていう終着点です……ははは!
須賀:隣で語られるとなかなか赤面ものですけど。
――今、宮城さんがおっしゃったことに、すごいヒントがあると思います。矢沢さんとJOHNさんはバンドをやっていたから、フロントマンの大事さは理解されているのでは?
JOHN:バンドを組むとしたらボーカルが一番大事というか、探すのも大変だし、歌ありきのバンドだとボーカルがいないと成り立たないと思うので。自分が入ろうと思ったきっかけというか、誘っていただいた時の感情としては、高校2年ぐらいからバンドを組んでライブハウスで活動していて。で、また解散してまた新しく組んでっていうのを3年前、コロナに入るぐらいまで何回か繰り返したんですけど、コロナのあたりで活動休止しちゃったバンドがあって、そこからサポート業に移ろうと思ったんです。ライブのサポートしたりとか、アイドルさんだったりのレコーディングしたりとかを2~3年続けてきたんですけど、それが割と居心地がよくて。チームで動くと人間関係の枷があったりするので、それがなくなって。一人で全部やんなきゃいけないけど、それはそれでプレッシャーが少なくていいのかなと思ってはいたんですけど、ある日突然声をかけられて(笑)。
須賀:ライブハウスでナンパみたいな形で。やっぱりミュージシャンはライブハウスで探さなきゃいけないというところで、実地的に見ていたところ、僕の理想のギタリスト像がそこにいたので。僕、こう見えてもともと人見知りなんですけど、なんとか克服して、お酒ガーっと入れて、「ちょっと君さ」「どうだい?」みたいな感じで(笑)。
JOHN:サポートのライブって、ライブ終わったら「お疲れさまでした!」って感じなんですけど、なんかよく分からない人が来て(笑)。
須賀:2日間で5軒ぐらい回ったんですけど、その時彼がすごく気持ち良さげにギターを弾いていて。
JOHN:俺の出会ったことのない人物像すぎて。普通に邦楽ロックのいわゆるバンドマンのテリトリーで生きてきた中で、もともと俳優をやってたとかヴィジュアル系でボーカルをやってたとか、舞台もやってた、みたいな方と出会うことがなくて。それも衝撃的で。で、しかも、見た目もわりと奇抜じゃないですか? 俺が言うのもなんですけど。
須賀:そうですね。あなたが言うのも。
一同:ははは。
須賀:それだけ回って誰にも声かけてないですからね、その日まで。
JOHN(Gt)
――JOHNさんとしてはコロナもあって思うように活動もできずという状況では、サポートの方が居心地が良かった?
JOHN:一人で活動して、ライブやレコーディングをしてお金を頂いてっていうのに慣れてて、バンドで“よし、頑張ろう! 上を目指そうぜ”みたいな熱気がちょっとなくなってしまってた部分もあって。“今からバンドか?”と正直思った部分もあるんですけど、その熱気と須賀京介のカリスマ性に惹かれた部分はあって。また熱を取り戻せたというか、引っ張っていってくださったのがこのメンバーだったので。“じゃあもう一回頑張ってみようかな”っていうところで、皆さんを信じつつ。
――それはなかなかの決意ですね。矢沢さんはどういうアプローチを受けたんですか?
矢沢:僕個人のことで言うと、ヴィジュアル系の畑でしかバンド活動をやってこなかったんですよ。10年ぐらいの期間の中で、途中で辞めたりバンドを組んだりを繰り返してきて。その10年前のバンド業界に入るぐらいのタイミングで須賀さんと知り合って。そのときは彼もヴィジュアル系のバンドをやっていて、対バンしたぐらいの関係だったので、後にバンドを一緒に組むなんていう話は当時は上がるまでもなく、友人の一人だったんですよ。
須賀:ちょうど10年前ぐらいですね。僕はそのあとすぐ違うジャンルに行ってしまったんですが。彼(矢沢)とはこの中では一番付き合いが長くて。
矢沢:連絡は定期的に取り合う関係だったんですけど、何かを一緒にやるってことはないまま10年ぐらい過ぎていて。ただ僕個人としては、須賀さんの才能というか、華みたいなものは10年前から感じていたので、自分のタイミングややりたいことと噛み合えばいつか一緒にこの人と何かやりたいなっていうのはずっと頭の中で思いながら過ごしてはいたんです。彼も舞台の道に進んだりして、もう交わることはないだろうなって思ったタイミングも正直あったんですよね。2~3年前だと、連絡は取り合えるけど、何か一緒にすることはもうないのかなという気持ちになってました。そうこうしているうちに、今年の2月の終わりぐらいに急に電話かかってきて。「久しぶりです。バンドやりましょう」って言われて。「あ、なるほど」と(笑)。急に来たなと。正直、自分としてもタイミング的にも何かまたやりたい、仕掛けたいっていう時期でもあったので、これはもう天啓かなと。というところで5分の電話で即答しました。
須賀:3分40秒ぐらい。
一同:ははは。
須賀:これだけ聞くと、すごく綺麗にまとまった話じゃないですか? でも実は4年ぐらい前に、僕の中では同じAm Ampプロジェクトみたいなのがあったんですよ。その頃ちょうど僕は舞台とかいっぱいお仕事をいただけるようになる直前だったんですけど、もう一回バンドをやろうと思って、ベーシストのカリスマって言ったら彼しかいないと当時も思っていたので、何回も誘ってるんです。確か3ヵ月の間に7回誘ってて。当時すごく流行っていた『ボヘミアンラプソディ』っていう映画のチケットを2枚買って。これを見てバンドをやりたくならない男の子はいないと思って。
矢沢:本当に高校生みたいな誘い方するよね(笑)。断ってる最中なのに「一緒にこの映画を見ましょう」って言われて。
須賀:ダメ押しの『ボヘミアンラプソディ』。
矢沢:これを一緒に見て「俺と一緒にバンドやりたい気持ちになってくれるだろう」ってオーラをすごく感じるんです、隣の席で(笑)。で、映画自体は楽しいんで、“ああ、いいなあ”と思いながら、「じゃ!」って言ってすぐ帰りました。
一同:ははは!
矢沢:映画館を出た後、「バンドっていいですよね。じゃ、ケツあるんで」ってすぐ帰りました(笑)。
須賀:これがあったので僕的に若干トラウマじゃないですけど、今回も怖かったんですけど、3分くらいで「そろそろ話が来ると思ってました」みたいな謎のセリフを残して快諾してくれました。
矢沢もとはる(Ba)
――矢沢さんにとってタイミングを得たと?
矢沢:そうですね。ライフワークみたいなところのバランス的に、バンドをやる体力と気持ちも整ってきた状況で着信があったので“そういうことか”と思って。
須賀:ただ面白いのが、もし彼と4年前に音楽を初めていたら僕は舞台の活動ができなかったと思うんですよ。彼に断られた直後に『ヨルハVer1.3a』っていうスクエアエニックスさんの『ニーア オートマタ』っていう世界的なゲームが原案の舞台の大きいオーディションがあって、僕はそれに受かって宮城と出会っているので。だからもう全部なるべくしてなった4人なんです。
――学生の頃にバンドに憧れて組むのと違って、それぞれキャリアを積んできた今っていうのがシンプルにすごいことだなと思います。
須賀:依然として賭けではありますけどね。全然余裕がある形ではないので(笑)。人生の賭けではあるってことは変わらないです。
――変身願望だけじゃなく、須賀さんにとってバンドだからこそ人に訴えかけられるものってなんだと思いますか。
須賀:言葉を選ぶんですけど、職業=バンドマンじゃないですか。バンドマンっていうものは音楽家ともちょっと違くて。職業的とか社会的に言うと、かなり下の方にいると思うんですよ。今でも“3B”とか、娘さんが連れてきた彼氏がバンドマンですって言われたら、親御さんはマイナスの感情を持たれると思うんですよ。“頑張れ”っていうメッセージの曲を書いたとしても、僕的には今の時代、逆に“いや、お前ら頑張れよ”みたいな感じで思ってしまうかなと。そういうところで言うと、僕らはルーキーにしてはちょっと年齢が行ってるので、音楽性がどうこうというより、バンドマンっていう人たちが汗だくになって、この歳になっても新人だってやり続けているっていう、その背中を見て、“じゃあ私たち、僕たちももうちょっと頑張ろうかな、あんな馬鹿がいるんだったら”みたいな。おこがましい形ではなく、そういう勇気を与えられるのは、やっぱりバンドなんじゃないかなっていう。よくも悪くも高尚なものじゃないと思ってるし、アイドルともグループとも違う、バンドっていうものができることなんじゃないかなと思います。
――確かにこれから何が起こるのか? っていう劇画を見てるようなプロフィールだったりしますからね。
JOHN:自分がギターを始めたのも、映画の『BECK』を見たのが大きいので。だから、いずれバンドが大きくなった時にこのストーリーが映画化とか小説になって、みんなが音楽を始めるきっかけになってくれたら、それは確かに自分の夢かもしれないですね。
宮城:いいな、それ。
宮城紘大(Dr)
――ところで4人で初めて最初に音を合わせたとき、どんな印象を持ちましたか?
宮城:ヤバいと思いました。
JOHN:ハチャメチャな感じという意味で(笑)。それこそ4人の音だけじゃなくて同期も流しながら演奏するっていうことなので、(宮城は)ドラムはクリックを聴くのも初めてで、イヤモニをしながらドラムも叩かなきゃいけないっていう状況にあたふたしてる中で同期も出さなきゃいけないし、“これ大丈夫かな?”(笑)とは思いましたね。
須賀:2回目ですかね。MTRとかPCとかの環境をしっかり整えて、ちゃんとみんなが自分の力を出せて演奏できるっていう時に、「miteyo」をやったんですけど、僕は「miteyo」を作った時はまさか自分以外の人間が演奏して、自分は歌うだけっていうシチュエーションを想像していなかったので。めちゃくちゃエモいというか、感傷的というか(笑)、すごい感動しちゃいましたね。一人きりで部屋にうずくまって作った曲を、完全に背中を任せられる仲間たちが演奏してくれてっていうそのシチュエーション。自己満足なのかもしれないですけど、個人的には感動しちゃいました。
矢沢:個人的には音を合わせた時、ステージが見えたので“勝ったな”って思いました、もう。
一同:爆笑。
矢沢:お客さんが楽しんでる画が、絶対にカッコいい自分たちが、もう見えたので。勝ったなと。
宮城:それで言ったら多分、一番言っちゃいけないのは僕なんですけど、最近楽しくなってきたんですよ、ドラムが。なので僕も“勝ったな”って思いました。
一同:ははは!
宮城:これめちゃくちゃ大事だと思ってて。僕は8年間舞台をメインでやってましたけど心底笑顔では出来てなかったんですよ、最初。初舞台なんて、胃がきつくなるし、“何で怒られなきゃいけないんだろう?”と思うし、緊張しかないなか、あっという間に終わって、拍手されてるんですよ。それを続けていると、だんだん自然な笑顔が出てきて楽しくなる。そういう経験から、楽しくなってきたら勝ちだと思ってて。で、自分らが楽しくなかったら、お客さんに伝わるものも絶対伝わらないと思うので。もちろんライブまでにも、これからも絶対に誰よりも練習しようと思っているんですけど、最近楽しくなってきたのは本当で。なので僕、“勝ったな”って思いました。
一同:(笑)。
――なんか“勝ったな”と思った瞬間に答えが変わってきてますけど(笑)。今回のEPは1曲の中のジャンル的な振り幅も大きくて、バンドマンとしてドラムをAm Ampから始めるにしてはなかなかすごい曲ばかりなんじゃないかと思ったんですが。
宮城:もう驚いてます。バンドってこういうことなのかな(笑)。
須賀:一筋縄ではいかないと思いますね、今回に関しては。
JOHN:ドラムは“これから頑張ります”っていう曲じゃないですよね。
宮城:でも楽しいし、ありがたいことにいろんな方に話したら、プロのドラマーの方とかもご紹介していただけて。楽曲を聴いてもらったりすると、口を揃えてみんな「大変だね、この曲は」って言うんですけど。それこそジャンルが既に今ある6曲の中でもいろんな幅を感じるし、全部カッコいいなって思うので。Am Ampの曲に挑戦していけば、単純にドラムがもっと楽しくなるんじゃないかなと思ってるので。それに関してはむしろ課題曲というか(笑)。
矢沢:プレイヤーとしての幅は絶対広がると思う。“ありがとう!”って思いながら。一曲一曲届いたときに感謝の気持ちはあります(笑)。
――もう、どんなシーンに行きたいとかいうモチベーションじゃなさそうですね。
矢沢:それで言うと、もともと僕がいたヴィジュアル系の世界の方々にも聴いてもらいたいし知ってもらいたい、それはあります。
須賀:ふるさとのみんなにも(笑)。
矢沢:ヴィジュアル系ってもちろん素晴らしい世界なんですけど、結構敷居が高いというか、壁があるように感じる世界なので。 そこから単身で出て、その姿のままバンドを外で組むという人が今、僕が知る限りいなかったので、そこは冒険でもある。
――各自が“村長”というか代表みたいな感じですね。
須賀:“全員主人公”っていうのを目標に集めたところが自分的にもあったので。決してボーカルとかフロントマンがサボりたいわけではなくて。ビートルズってそうじゃないですか? 全員ボーカルを取れるし、映画でも4人全員にフォーカス当たったり、ああいうのは自分的には可愛いし格好いいなと思ってたので。
――では今年後半のAm Ampとしてどういうところを目指していきますか?
須賀:もう決まっているワンマンよりも大きい箱で、しっかりソールドアウト、しっかり埋めるっていうところで自分たちに実績を作ることですね。他業種のメンバーを連れてきて、話題になると思うんですけど、それが最大瞬間風速にならないように、しっかりバンドとして実績を作る。Am Ampっていうバンドとしては、まだ名刺に書ける実績は一個もないので、そこをしっかり自分たちでバンドとして“四位一体”で実績を残したいなというところが今年の目標です。

取材・文=石角友香 撮影=森好弘

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