宮沢りえ、浅香航大、渡邊圭祐、小日
向文世ら『アンナ・カレーニナ』が開
幕【舞台写真&コメント到着】
都会の第一線で作品を作り続けているフィリップが、あの村の場面を大事に丁寧に描こうとしているのは、人間として生きるとはどういうことなのか、という投げかけだと思います。でもそんな理想の生き方を誰もが出来るわけではなくて。自由とは、同時に孤独でもあるということを考えさせられます。
今回の舞台では特に息子セリョージャの目線が鍵になっていて、彼はずっと大人たちのことを見ているんです。次の時代を作っていく子供たちが何を見て大人になっていくのか、その危機感や期待がフィリップの中にあるんではないかと感じます。私自身も、子供が成人するまでにどれだけ生きる力を与えられるのか、どんなものを見て、どんなことを感じていけば豊かな人間になれるのか、考えさせられますね。
全ての台詞が心に響いてくる素敵なエピローグのためにも、密度の濃いアンナを生き切りたいと思います。
物語の構造としては、アンナとリョーヴィンの対照的な生き方が対として描かれていますが、あえて対のように演じるのではなく、リョーヴィンが経験し影響を受けたことが、結果、対に見えたらいいなと思うんです。
フィリップさんが最初に仰ったのは、これはリョーヴィンの目線から語られているということでした。ですから、アンナたち登場人物に起こることを受け止め、その変化を感じていくということも意識しています。そして、そこで受けたものを全て、最後のシーンで表現できればなと。最後はリョーヴィンが大事なことを語りますが、それは、リョーヴィンが自分自身に語っているのと同時に、今を生きる人たちへのメッセージになっているのではないかと思うんです。さらに言えば、これからを生きていく子供たちへの。稽古の中で吸収したもの全てを込めて、そのシーンに臨みたいと思います。
役について悩み、考えるため十分に時間をかけられるのも舞台の醍醐味。日々稽古を積み重ねられる舞台だからできる、自分にとっての新たな挑戦。演劇や俳優という仕事についても改めて考えることができて、ありがたく充実した毎日を過ごしています。
舞台上で作品や役を「生きる」だけでも大変なのに、ヴロンスキーは幕が開くごとにアンナに恋し、恋の終わりまでを毎回体験することになる。その過程の大いなる悩みや葛藤をどう表現するか、飛躍する場面の時間経過を自分の身体にいかに流すか、などの演技はカロリー消費がものすごく高いと感じています。
臆して当然の大舞台。でも、逃げ腰で臨むには勿体ないほど貴重な機会なのも事実です。経験値が少ない分、怖いもの知らずな飛び込み方もできるはず。全てを自分の糧にできるよう、作品に挑み続けたいと思っています。
最後まで離婚を認めなかったカレーニンは、本当に彼女を愛していたのか、それとも意地があったのか。僕は何か別の思いがあったのだと感じていて。
男と女が出会って、恋をして、その後のことはやっぱり難しくて、だからこそ面白い。本当の幸福というものは、非常にささやかで、お互いの信頼関係があって成立するということをフィリップは言いたいのだろうなと思っています。
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