岸田文雄(首相官邸ホームページより)

岸田文雄(首相官邸ホームページより)

同性婚と改憲の議論で見えてくる護憲
派改憲派双方の考え足らず

同性婚は憲法に認められていないのか 憲法を改正せずに同性婚を認めてもいいのか、が昨今ネット上で議論されています。 
 岸田首相が同性婚を認めると「社会が変わってしまう」と国会で答弁したり、荒井勝喜首相秘書官が「(性的マイノリティの人が)隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」と発言してクビになったりと、LGBTQや同性婚に注目が集まっている中、憲法改正の問題も加わってきたわけですが、まず、憲法を改正せずに同性婚を認めてもいいのか、とはどういうことでしょうか。
 これは日本国憲法第24条1項の、
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」
 という条文に、同性婚は反するのではないか、という問いです。両性というのは当然「男性」「女性」を指すので、この条文を見れば、現在の憲法では同性婚を禁止している、と考えることができます。
 ただ、「この条文は同性婚を禁ずるものではない」という人の主張としては、そもそも日本国憲法成立時、同性婚という想定がなく、結婚とは当然男女がするものという前提があったので、この条文が言わんとしていることは「男女でないと結婚できない、ということではない。『両性』としたことには別段意味がない。言わんとしているのは「結婚する両者それぞれの合意がないといけない」という趣旨である、ということでしょう。
 確かにその言い分ももっともです。とはいえ、条文だけ読めば同性婚を禁止していると読めるのもまた事実。上記のような「同性婚は違憲ではない」という主張は、「憲法9条は軍隊を持つことを禁じているわけではない」という主張同様、むりくりな解釈でもあり、その解釈をよしとしてしまうと、他の条文でもあらゆる解釈が可能になってしまい、それこそ国家権力による憲法の恣意的な解釈をますます助長し、折角のありがたい憲法に意味がなくなってしまうのではないか、とも危惧されます。
憲法は国家権力を制限するもの「同性婚は憲法で認められている」という解釈は正直ちょっと説得力が弱い気がします。ただ、一つ念頭においておかないといけないのは、憲法というのは、その役割の一つとして国家権力を制限する機能を持っているということです。
 国家権力は言うまでもなく、一個人より遥かにとんでもない権力を有していて、国民からカネを捲き上げることもできるし、法律を作って言いなりにすることもできます。それに従わなかったら処罰される場合もあります。そんな国の権力を際限なく認めてしまえば、暴走して国民を奴隷のように扱ってしまいかねません。そんな国の暴走を止めるべく、様々な決まりで縛っている、それが憲法ということです。
 その意味でいうと、この条文、望む国民同士の結婚を規制する意味で存在しているわけではなく、望まない結婚は拒否できるということに本旨があるものでしょう。
 とはいえ、時代の移り変わりで、同性同士が愛を育むということが珍しくなくなった今、条文の本旨が分かりづらくなってしまったことは否めません。ここはやはり憲法のアップデートの必要もあるのではないでしょうか。時代の変化がある中で、数十年前に出来上がった憲法を頑なに一字一句変えてはいけないという護憲派のさすがにもう少し現実を見たほうがいいんじゃないでしょうか。

故安倍元首相の勝手な憲法観 では護憲派だけが今の考えを改めるべきかというと、そうではありません。改憲派からは、前述した憲法は国家権力を制限するものという存在理由がすっぽり抜け落ちてしまっているからです。その筆頭は、他でもない、故安倍元首相です。
「憲法について、考え方の一つとして、いわば国家権力を縛るものだという考え方がありますが、しかし、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方であって、今まさに憲法というのは、日本という国の形、そして理想と未来を語るものではないか」
 と、安倍元首相は国会で発言したわけです。今は国家は国民に対してそんな酷いことしないし、国家を縛るとかどうでもよくね? というわけですが、国家が強大な権力を有していることは今も自明で、むしろ憲法という概念が生まれた時代の国家よりも、遥かに国家の役割は増えており、イコール国家の権限も増えています。
 現代にこそ国家を縛るものとしての憲法は必要です。安倍元首相の一存で、その憲法の役割を勝手に過去のものにしてもらっては困ります。で、改憲派の多くは、安倍元首相と同様に、国家を縛るものという憲法の役割を過去の異物と片付けるか、もしくはその役割すら知らなかったりします。というか、知らずに、「憲法とは国民が守らなければいけない規範」と勘違いしている人のほうがネトウヨ層では多いでしょう。

護憲派改憲派双方の歩み寄りが必要 改憲派が憲法に関してその程度の理解なのであれば、護憲派はそりゃ「憲法は何がなんでも変えてはいけない」と言うに決まってます。護憲派としては、改憲を認めてしまったら、どんどん政権のやりたいように憲法が変えられてしまう、という危惧があるのでしょう。事実、自民党の憲法改正の草案として出てくる具体的な変更例は、国への縛りよりも国民への縛りを意識したものが多く見られます。
 憲法は確かに時代に合わせて変えていく必要があるでしょう。しかし、憲法を変えるにあたっては、政治家や国民が「憲法は国家権力を縛るもの」という大前提を共有し、それを踏まえた上での改憲でなくてはなりません。
 護憲派が数十年前の憲法の一字一句変えないよう固執するのも問題だし、改憲派が憲法の前提を共有していないのも問題。憲法をよりよいものにしていくには、護憲派改憲派がお互いを批判し合うのではなく、双方の歩み寄っていくことが不可欠でしょう。
文/田崎寿司郎写真/岸田文雄(首相官邸ホームページより)

ブッチNEWS

新着