ムーンライダーズ+佐藤奈々子

ムーンライダーズ+佐藤奈々子

【ムーンライダーズ+佐藤奈々子
インタビュー】
その時代の豊かな音楽だったり、
輝きを楽しんでもらえたらいいなと

最初は訳も分からずに
歌手になっちゃったという感じ

私、この機会に佐藤さんの1stアルバム『Funny Walkin'』(1977年6月発表)から4thアルバム『Kissing Fish』(1979年7月発表)までを拝聴したのですが、個人的には3rdアルバム『Pillow Talk』からバラエティー豊かになったというか、音楽的な幅がグッと広がった印象を受けました。この1978年の頃の佐藤さんの音楽への向き合い方はどうだったのでしょうか?

ソロアルバムは4枚あるわけですけど、最初は訳も分からずに歌手になっちゃったという感じで(苦笑)。ずっと“歌手になりたい”と思っていてなったわけでもなくて、たまたまコンテストに出てスカウトされて、それでなったんですよ。

その辺のエピソードも他のインタビューで拝見しましたが、いろんな方から“歌手にならないか?”と誘われても断り続けていたそうですね。で、最後の最後まで粘って交渉してきたのが、今回の『Radio Moon and Roses 1979Hz』の発売元でもあるコロムビアだったと。しかも、そのディレクターさんは佐藤さんの大学の先輩でもあって“断り切れなかった”という話を拝見しましたよ。

ええ(笑)。コロムビアの名ディレクターだったんです。その方がずっと“ねぇ、レコードを作ろうよ”みたいに言ってくださって、“レコードというものを一枚作ってみてもいいかな”という感じで始まったわけです。佐野元春くんと一緒に。それで1st、2ndと出して、それぞれにアレンジャーの特徴がすごくあったと思うんです。1stは大野雄二さんで、2ndはジャズの横内章次さん。その間、いろんなアーティストの人たちと交流が始まって、私の大きな意味でのプロデューサーは小坂 忠さんで。私が所属していた事務所が忠さんと奥様とでやっていらして、当初は忠さんだけの事務所だったんです。ですから、忠さんと奥様が、私が音楽的な幅を広げていくためのことを考えてくださって。そんなことがありながら、交流が始まった方だったり、忠さんのお友達だったりと音楽をすることが始まったというのが3枚目ですね。

その『Pillow Talk』からは、佐藤さん自身もより能動的に音楽活動に臨めるようになったところはあるんですか?

能動的というか、1stは何にも分からずフワフワしていて、“楽しい! 楽しい!”って感じで、2ndも“楽しい! 楽しい!”で。まぁ、3枚目も4枚目も“楽しい! 楽しい!”は同じだったんですけども(笑)、やっていくうちにいろんなものを吸収していくわけで、その吸収したものを表していくと音楽的な表現がさまざまなものになっていって、そういう意味では全部楽しかったです。

音楽表現の幅が広がっていった時期だったのでしょうね。先ほど“訳も分からずに歌手になっちゃった”とおっしゃられましたけど…人生の先輩にこう申し上げるのも失礼ですが、こうしてお話をしていてもとても可愛らしいお声をお持ちですし、もちろん音源でもそのお声は確認できます。とても特徴的な歌声ですから、レコード会社からしつこく誘われたこともよく分かりますし、ご本人が“歌手になる気がなかった”というのは今となっては意外な気もします。

ありがとうございます(笑)。もともとそういう世界にいなくて、私は体操をやっていたので、音楽はまったくやったことがなく…小さい頃に習ったピアノくらいで、それもすぐに辞めちゃったので。クラシックバレエをやっていたから、その時の音楽とか、体操の時の音楽とか、そのくらいなもので、何かを聴いて育ったみたいなことはなかったんです。

そうしますと、大学へ進学されてから音楽サークルに入ったというのは、何か表現をしたいとかそういうことではなくて?

たまたまです。先輩から“おいでよ”みたいな感じで誘われて(笑)。真剣な音楽クラブではなく、遊び感覚のゆる〜いところでしたし、なんか楽しそうだったんですよね。

これも他のインタビューで読んだのですが、大学3年の時に女性シンガーソングライターのコンテストに出たのも、そのサークルには女性が佐藤さんしかいなかったからだったとか。

そうなんですよ。慶応大学に芸能音楽研究会というサークルがあって、そこが企画したコンテストだったんですね。自分の大学の音楽と名のつくところからひとりずつ女子を出すと。私が所属していたサークルに女性はひとりしかいなかったので、必然的に出ることになったんです。

覚えていらっしゃる範囲で結構なんですが、その大学生の頃、巷ではどんな音楽が流行っていたのでしょうか?

私は何が流行っているとかには全然興味がなくて、たまたま音楽を聴いた時に好きになったのが浅川マキさんで。だから、最初は浅川マキさんを歌っていました。

逆に言いますと、浅川マキさん以外のシンガーソングライターを聴いたり、バンドを聴いたり、洋楽を聴いたりすることはなかったわけですか?

まったくなかったですね。だから、本当に音楽を始めたばかりで…サークルに入りました→コンテストがありました…という感じで歌手活動が始まっちゃったんですよね。サークルに入って、その秋かな? 学園祭があった時に佐野くんと出会ったんです。

つまり、佐野さんの影響で音楽を聴き始めた感じだったのでしょうか?

そうです。ボブ・ディランのレコードを全部持って来て説明するんですよ。“これはこういう意味なんだよ”とか(笑)。

(笑)。佐野さんは早くからさまざまな要素を自身の音楽に取り入れてこられたアーティストという印象があるのですが、やはり大学生の頃から敏感なセンサーをお持ちだったのでしょうか?

とにかく敏感というか、自分がキャッチするあらゆる音楽に対する驚きと喜びで、そういうものを全部吸収していましたね。

勉強のために音楽を聴くというわけではなく…という。

全然そういうタイプじゃなくて、とにかく“大好き”という感じで。佐野くんはボブ・ディランが大好きだから、その大好きなものを“聴いてよ! 聴いてごらんよ!”って感じでした。

そんな佐野さんとの音楽活動を通して、佐藤さんもいろんな音楽に触れていく感じだったのでしょうか?

そうです。“詩を書いてごらん”と言われたら、それが楽しくなるような感じで。

OKMusic編集部

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