ミイラを科学する展覧会 『特別展 ミ
イラ「永遠の命」を求めて』が大阪南
港ATC Galleryにて開催

2021年7月10日(土)から9月26日(日)の期間、大阪南港ATC Gallery にて『特別展 ミイラ 「永遠の命」を求めて』が開催される。
本展は最新の調査と研究手法を駆使した研究成果を踏まえた展示が特徴で、自然にミイラとなったものから人工的につくられたミイラまで、 南米、 エジプト、ヨーロッパなど世界各地のミイラ総数42体を展示。
本展のみどころ
ミイラは数が少ないことやその存在が特殊なこともあり、単なる好奇の対象というだけで、長らく学術的な関心が向けられることはなかった。しかし、20世紀になり世界各地でミイラの学術調査が行なわれ、その背景にある多様な文化が明らかになりつつある。本展では、総数42体の世界各地のミイラとその背景にあるさまざまな文化や死生観、科学的に明らかになったミイラの実像、そしてミイラに関わる多くの人たちの活動を紹介。
第1章 南北アメリカのミイラ
南北アメリカでは数多くのミイラが発見されている。 例えば、現存する世界最古の自然にできたミイラ(自然ミイラ)はアメリカ合衆国・ネバダ州の洞窟から 発見された「スピリット洞窟のミイラ」で、約1万年前のものと推定されている。 チリ北部海岸の砂漠に住んでいたチンチョーロ族が人工ミイラづくりを始めたのは、約7000年前にさかのぼる。ただ、最も重要なミイラは、南米大陸の太平洋沿岸地帯から中央高地にかけて存在していた古代アンデス文明のミイラである。インカ帝国時代では、ミイラは社会的に重要な意味をもっていた。それを端 的に示すものとして、ペルー北部の高地に位置するチャチャポヤス地方で発見されたミイラが有名である。 この地方では、インカ帝国がこの地方を征服する以前から先祖の遺骨を布で包み、崖の岩棚に安置する風 習があったが、インカ帝国の支配後に、ミイラのつくり方が変わったことがわかっている。 古代アンデス文明では文字が残っていないため、ミイラの背景にある思想的・宗教的背景ははっきりとわ かっていない。しかし、「遺体を保存し、生きているように訪問して敬う」という先祖崇拝の一つの在り方として理解することができる。
《チャチャポヤのミイラ包み6体》 ペルー文化省・レイメバンバ博物館所蔵 先コロンブス期、チャチャポヤ=インカ文化、ペルー (c)義井豊
第2章 古代エジプトのミイラ
ミイラ文化といえば、古代エジプトが有名である。ただ、ミイラづくりの手法は最初から確立されてい たわけではなく、長い年月をかけて進化してきた。 古代エジプトが統一される以前の先王朝時代には、砂漠に遺体を屈曲させた状態で、布で包んで埋葬する風習があった。砂漠に埋葬された死体は急速に乾燥するため、条件がよければミイラとなった。 ピラミッドや太陽神殿が建設された古王国時代に、内臓を摘出するという画期的なミイラづくりの技術が開発され、樹脂を浸したリネン布で遺体の全身を覆い、頭部に生前の顔を模したマスク(ミイラマス ク)を被せることも行なわれるようになった。 新王国時代になると、保存状態がかなり良いミイラが多く発見されており、この時期にミイラづくりの技術が確立されたと考えられている。 その後、古代エジプトがギリシャ人やローマ人の支配を受けた、グレコ・ローマン時代には、ミイラづ くりの技術は大きく変化し、ミイラの仕上がりよりも表面の装飾の方に力が注がれるようになった。 ヒエログリフという文字のおかげで、古代エジプトの歴史や思想が解明されている。ミイラづくりや彼らの死生観に関しては、『死者の書』が有名である。それによると、古代エジプト人にとってミイラとなることは、来世で幸福に生きるために必要不可欠なものと考えられていた。 古代エジプト人はさまざまな種類の動物のミイラもつくっていた。イヌ、ネコ、ヒツジ、魚などの動物ミイラは、家族として一緒に埋葬されたり、神々への捧げものであったり、人間のミイラの食べ物とされたり、さまざまな意図でつくられていた。
《中王国時代の子どものミイラ》 レーマー・ペリツェウス博物館所蔵 中王国時代、第11王朝-第12王朝 紀元前2010年-前1975年頃、エジプト
《ネコのミイラ》 レーマー・ペリツェウス博物館所蔵 グレコ・ロ-マン時代 紀元前200年-前100年頃、エジプト
第3章 ヨーロッパのミイラ
ヨーロッパ各地でも多数のミイラが発見されているが、その多くは自然ミイラに分類される。 ヨーロッパのさまざまな自然環境を反映してか、ミイラとなった原因も多様である。 そのなかでも、北ヨーロッパに点在する湿地では、驚くべき保存状態を示すミイラが発見されている。 これらは湿地遺体(ボッグマン)とよばれている。ウェーリンゲメン(Weerdinge Couple)は1904年 に発見された2体の湿地遺体で、紀元前40年から紀元後50年前と推定されている。 これらの湿地遺体には殺傷痕や絞殺痕が見られることが多く、遺体の上に交差した木の枝や石が置かれる場合もある。そのため、湿地遺体は「生贄として捧げられた」、または「犯罪者として処刑された」 と考えられている。 また、ヨーロッパのミイラで興味深いものがカナリア諸島のミイラである。 カナリア諸島の先住民であるグアンチェ族の有力者が亡くなると、遺体表面に泥や樹脂などが塗られ、 遺体は石板の上に置かれて、昼は日光にさらされ、夜は煙でいぶして乾燥させられた。 古くは約1600年前から行なわれ、スペインの統治が始まった約500年前にもつくられていた。 彼らのミイラは祖先崇拝の一種としてつくられたと考えられており、カナリア諸島で独自に発達したミイラ文化と考えられている。
《カナリア諸島のミイラ》 ゲッティンゲン大学人類学コレクション所蔵 1250-1350年頃、カナリア諸島(テネリフェ)
第4章 オセアニアと東アジアのミイラ
オセアニアは太平洋に位置する大陸・島々の総称で、その大部分が熱帯に属し、湿度や温度は概して非常に高い。また、東アジアも、一部の乾燥帯を除き、高温多湿である。したがって、これらの地域はミイラの保存にとって適した環境であるとは言い難い。 オセアニアには複数のミイラ文化が存在していたが、20世紀になるとミイラづくりが行なわれなくなり、また現存するミイラも少ないため、その実状はよくわかっていない。 中国でも自然ミイラは多数発見されているが、「生前の姿を残す」ことを目的とした文化はほとんど存在しない。 日本の気候は高温多湿であり、土壌も酸性が強いため、人骨まで溶けてしまう場合が多い。 それにも関わらず、これまでに江戸時代の遺跡からは、自然ミイラが数体発見されている。 また、日本には仏教思想に基づき即身成仏を切望した行者(ぎょうじゃ)または僧侶のミイラのことを 「即身仏」として崇拝の対象とする考えがあり、現在でも大切に保存されている。
《即身仏「弘智法印 宥貞」 (こうちほういん ゆうてい) 》 小貫即身仏保存会所蔵 1683年頃、日本 写真提供:浅川印刷所

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