今春、延期となった〈下鴨車窓〉の『
散乱マリン』振替公演が、まもなく「
三重県文化会館」で上演~脚本・演出
の田辺剛に聞く

劇作家・演出家の田辺剛が主宰し、京都を拠点に活動する演劇ユニット〈下鴨車窓〉が、11月28日(土)と29日(日)の2日間、「三重県文化会館」にて『散乱マリン』を上演する。
〈下鴨車窓〉は2004年の結成以来、作品ごとに出演者やスタッフを募ってチームを作り、京都で創作した作品を全国各地へと届けるべく、ほぼ全ての作品でツアー公演を行っている。今作『散乱マリン』も、今年2020年1月に京都公演を行った後、当初は3月に広島、4月に三重と巡る予定だったが、新型コロナウイルスの影響によりやむなく延期に。今回の上演は、その振替公演となるものだ。
一見不思議なタイトルに込められた思いや作品の成り立ち、演出などについて田辺剛に伺うべく、当初の上演時期に合わせて2月末に行ったインタビューに加え、公演延期を経て振替公演を間近に控えた過日、追加質問にお答えいただいた回答も併せてお届けする。
劇作家・演出家で、〈下鴨車窓〉主宰の田辺剛
── 今作は、2014年に東京と埼玉で上演した『scattered(deeply)』(2015年度の第22回OMS戯曲賞で最終選考に選出)を改訂された作品とか。
タイトルと出演者、スタッフは変わりましたけど、中身は変わってないんですよ。『scattered』は“散らばっている”という意味で(deeply)は“海底深く”というイメージ。「海底深いところで散らかっているもの」というニュアンスで英語のタイトルにしたんですけども読みにくいと(笑)。読めないよりかは読めるタイトルの方がいいかなというのと一新して上演したい気持ちもありまして。しかも、三重を含めて西日本では今回が初演なのでタイトルが変わったということもそんなに大きく影響はあるまい、と思って変えました。
── もともとは、どういった経緯で書かれた作品なのでしょうか。
「田辺さん、東京の俳優と芝居創りませんか?」ってお声掛けいただいて「喜んで」と。東京でオーディションをして集まったメンバーとやることになって書いたんです。東京と埼玉の劇場で上演するという企画だったんですけど、もうちょっとやりたいな、というところもあり自分の地元の京都とか西日本での上演が無かったので、僕の頭の中の「いつか上演したいリスト」の上の方にあって。それで「三重県文化会館」さんでの上演のお話をいただいたり、広島公演も決まって比較的大きなサイズの劇場で上演できるとなった時に、この作品の舞台が「何もない広大な野原である」という設定なので広い劇場で出来る機会にやろうかなというのも再演に選んだ理由です。
── 当初は、オーディションされたメンバーに対して当て書きを?
そうですね。まずメンバーが決まって物語を立ち上げるということになっていたのでそのメンバーありきで出来る話をということで書きました。
── 今回の再演に際して、変更した点などはあるのでしょうか。
お話はそのままで今度はもう話が先にあるので、これを誰に演じてもらうのが面白いだろうかということで声掛けとオーディションもやりました。スタッフはいつもお願いするメンバー、俳優も下鴨車窓におなじみの人たちがいるのですが、今回は結構初めましての方もいて、出演者8人中3人が初参加ですね。
── だいたい想定どおりのキャスティングになったという感じですか?
そうですね。稽古を通じてだんだんと俳優が作品の世界をモノにしていく過程で、このメンバーじゃないとできないものになったなと。1月下旬の京都公演の本番の後あたりでそれは確信を持ちました。初めの読み合わせの時はどうなるかな? みたいな感じもちょっとあったんですけど、個々の俳優はいいとしても、組み合わせた時にどうなるかはやってみないとわからないというのがユニット形式の場合いつもあって、それが少しドキドキだったんですけど、結果、俳優同士も仲良くなって初詣も一緒に行くぐらいに(笑)。現場が殺伐としないとか、必要以上の緊張感にならないメンバーで組む才能がわたしにはあるみたいです。それはお褒めいただきます(笑)。
── チラシなどで、祖母の形見の自転車を撤去された女性と、野外展示のインスタレーションを行う美術家のエピソードが記されていますが、この2つの物語はどのように絡んでくるのでしょうか。
撤去された自転車を保管所に引き取りに来たらバラバラになっていて、そのパーツをなんとか取り戻したいという女性と、その自転車をバラバラにして並べることで作品にする美術作家のチームがあって、その二つの世界が重なるようにしてあります。重ね合わせる時に仕掛けがひとつあって、自転車を取り戻そうとする女性とその恋人と、保管所の人のチームは、美術作家たちが野犬に見えるんですよ。逆に美術作家たちのチームは、女性たちがカラスに見える。つまり女性たちからすると、ちょっと目を離すと野犬がせっかく集めたモノをまた持って行っちゃうと。美術作家たちからすると、自分が並べていたモノをカラスが勝手に集めて巣でも作るんじゃないかみたいなことを想像して、お互いが邪魔する敵だ、みたいなことになる。それを端から見ていると、カラスと野犬との縄張り争いみたいに見えるという。
失われたモノに対する両者の振る舞いが逆なので、そこに対立を作って、ちょっとエスカレートさせる仕掛けをしたんです。「期限があるのに、あいつらのせいで自分たちの作業ができない」というのをお互いが思っていて、そこに暴力が生まれて殺し合いみたいなことになる。カラスと犬なので言葉が通じずに、やりとりは直接は出来ないんですけども暴力になる。でも一番最後には、自転車を引き取りに来た女性と美術作家の2人残されて、殺し合いの果てに、これ以上争うのはやめて、お互いにやっていることは逆のことだがなんとか共存できるように頑張ろうか、っていうところで目が合って、その辺りで芝居として終わるという。大げさに言うと、宗教の違いが対立を生んでそれが戦争にすら発展するんですけど、考え方の違いとか何を良しとするかということの違いをどう乗り越えればいいのか、暴力が入ってくるけど何か言葉を超えて繋がることができないだろうか、という糸を一本張っています。
下鴨車窓『散乱マリン』2020年1月 京都公演より
── 演出面では、初演から変化した点はありますか?
初演の時もそうだったんですけど、廃棄の自転車はゴミだからもらえるだろうと思って自転車屋へ行っても、譲ってくれないんですよ。案外難しくて集まらなかったのを、今回は頑張って集めてもらって。7台分をバラバラにして組むんですけど、人の背の高さよりもちょっと高いぐらいの山にしてほしいということでやってもらったんですけど、単純に重ねるだけじゃ無理で縛ったり。実は近寄ってみると細工がしてあって、初演の時はそれをする余裕がなくて重ねただけで膝くらいの高さにしかならなかったので。
── ビジュアル的にかなり変わってきますね。
膝ぐらいまでしかない山と、背の高さまである山では違ってきますよね。劇場の入口あたりで「いらっしゃいませ」とお迎えしていると、お客さんが入ってきて舞台をパッと見た時に、「あっ!」っていう感じの反応があるので、やっぱりモノの力ってあるなぁと思いますね。
── 広い空間になったことで、工夫されたことも?
広い劇場なので出来るだけ舞台を広く取りたい、とスタッフに言って、その空間をどう見せるかっていうこと。どのみち閉じた場所ではあるので、リアルな野原のように見渡す限りというわけにはいかないんですけど、どこまでそれができるのか、っていうことはちょっと挑戦したところではありますね。
── 舞台美術や空間から作品を構想されることもあるんですか?
作品によって何がきっかけになるかはその都度変わるんですけど、モノからお話を考えるっていうことは最近よくあって、今回は自転車のパーツで、『微熱ガーデン』(2016年初演)では、脱法ハーブの植物の群れみたいなところからお話を創りました。
── 今回は自転車のパーツが気になったというのは?
幾つか理由があって、ひとつは脚本を書いたのが5年前で、東日本大震災から3年ぐらい経った時期なんですね。震災直後にあの事態をどういう風に考えればいいかなと、演劇をやってる人は少なからず考えたと思うんです。すぐにそのことを物語にして上演する友人もいたんですけども、僕はちょっと考えあぐねていて。大量の人がいちどきに、モノも命も失われる事態をどう描くのか、っていうのをずっと考えていたんですけど、東北から遠い京都にいて、考えるだけでなかなか手が付けられなくて。それで5年前にこの作品を上演する機会をいただいて、京都よりはだいぶ東北に近いところに行って、そろそろ出来るかな、と。
3月11日になると、地上のことは今でもテレビが入ったり新聞とかでいろいろ報道されるんですけど、例えば海の底だったり、大きな津波でいろんなモノや命がさらわれて、たぶん海底には夥しい数の瓦礫と人の骨がいっぱいあるだろう、と想像することができる。あそこのことは、もう想像する以外に僕らは知りようがないんですよね。カメラも入らないだろうし。けど、四六時中想像し続けることは出来ないわけですよね。目の前のこともあるし、今日の予定どうする? みたいなこともあるわけだから。でもそれで忘れ去ってしまっていいのか、っていう思いはいつもあって。そういった目に見えない、目の前にないものとか、想像するほかないものに対して思いをやるっていうことは、演劇でやれることのひとつだなって。
それはこの作品に限らずいつも思ってることですけど、今回は、海の底に沈んでるであろうモノや骨に対して思いを至す、っていうことをしたいなというのがあった。どちらかというとモノよりも人の骨のイメージで、小道具でリアルに人の骨を作ってそれを散らばせたすごく生々しい舞台もできなくはないけど、それをするとそのことだけになって観る人の想像を広がらせることにはあまりならないような気もして。それを何かに置き換えるというか隠喩表現が出来ないかと思った時に、自転車のバラバラになったパーツ、ということになったんです。
それともうひとつは、当時、僕の自転車が盗まれたんですよね。探してても見つからなくてある日撤去したんで取りに来いってハガキが来たんですよ。防犯登録してるから。けど三千円ぐらい払わないといかん。なんでやねん!と(笑)。別に停めちゃいけないところに停めたわけでもなく、たまたま鍵をかけずにいたら盗まれてて、なんでお金を払って取りにいかないといけないのかと思って。
── しかも、とんでもないところまで取りに行かなくちゃいけないんですよね(笑)。
そうそう、意外と遠いんですよ。で、買い替えを考えていたこともあって、どうしようかなと思ってるうちに期限が過ぎて、結局引き取りに行かなかったんですよね。けどすごく腹立たしくてっていうのがまさにこの時期で。放置自転車の話をいつか何かでワンシーンでもいいからやってやるぞと思ってたんですけど、それとこれとを線で結ぶことができたんですね。自転車を撤去されて取り来た女性の話と、さっき言った海底のバラバラっていうところがどう結びつくかな、と思った時に、取りに行ったらバラバラになってる、っていうところで物語が書けるかなと進んでいったんです。
いつも僕は、結論があって書くというより考えることがそのまま作品になるような感覚があって、だからイマイチ掴みどころがないことにもなりがちなんですけれども、とにかく失われたものに対してどう向き合えばいいのか、どう受け止めればいいのかということを考えることをしたいと。じゃあ、身近な人が亡くなったり、モノが失われた時の振る舞い方ってどんなものがあるかな、と思った時に、ひとつにはなかなか受け入れられないというのがある。今も恐らく行方不明の人を捜している親族の人はいるだろうと。もちろん生きたまま見つかるとは思ってないと思うけど、骨でもいいからどこかにないかと捜し続けてる人はいるだろうと。その人も、うすうす見つからないことは解ってはいるんじゃないかなと思うんですよ。けど捜すのを止めることは出来ない。時間が経てば止める時も来るかもしれないけど。その捜すことを止められない人のことを僕らがとやかく言うことはできないし見守るしかない。そういう風にしてなんとか失われたものを取り戻そう、あるいは見つけたい触れたいという思いがある。
もうひとつは、例えばそれと何か対照的なものはないかなと考えた時に、一方で人類は、誰かが亡くなった時に葬式、儀式をすることで「この人は亡くなったんです」と受け入れることを知恵として持っている。地域によってやり方は違うけれども、死んだ人を弔う儀式がない文化というのはたぶん無いんじゃないかな、と。で、その二つをちょっと俎上に乗せてみようかと思ったんですね。なので、自転車を引き取りにきた女性は、バラバラになった部品を拾い集めて元になんとか戻したい、ということをやろうとする。うすうす全部集められないことはわかっていて、それでも時間が来るまでやりたい、というのがひとつ。もうひとつは、自転車をバラバラにして並べて、それを形にすることでバラバラになっているっていうことを改めて受け入れようとする美術作家。それがちょうど置き換えられている、っていうことになるんです。
下鴨車窓『散乱マリン』2020年1月 京都公演より
── 劇中で音楽などは使うんでしょうか?
環境音はありますけど、ほとんど音楽は無いですね。この作品に限らず昔からほとんど使わないんですけど、音楽の力は強いなと怖くて。素直にその力を借りればいいって思う僕もいないことはないんですけど。依頼で子ども向けの作品を創る時は、ふんだんに使うんですよ(笑)。生まれて初めて作詞とかしちゃって、作曲してもらって歌ってもらって、あぁ楽しい~!って(笑)。それはもう、朗々とセリフを言ったり小難しい話をしても子どもたちは飽きちゃうから、やっぱりそこは音楽の力で引き寄せて、その流れで物語もちゃんと届けるっていう作戦ですけど、下鴨車窓では基本的にはやらないです。音響スタッフがそもそもいない作品もあったりもしますので。
── 既に京都公演は終えられていますが、お客さんの反応はいかがでしたか?
個人的にメールで感想をくれる人がやけにいたりとか、感想のツィートもそこそこ出回ったり、お客さんの数も想定のちょっとプラスで恵まれて。作品ごとに集まるメンバーなので、作品の出来具合によって俳優たちの体温の上がり方がその都度違うんですけれども、今回は体温がよく上がってるので、俳優たちの手応えとやりがいみたいなことと、アンサンブルが上手くいってるのが客席にも伝わっているような感覚があります。そんなにわかりのいい話では確かにないんですけども、じゃあ何だったんだ? っていうことでお話したくなるというか、考えてみたくなるというか、なんかそういう風なきっかけにはなってるみたいで、それは僕としては一番嬉しいところですね。語られないとやる意味がないという感覚があって、映像を撮ることはできますけど別物だという感覚があるので。そうすると、どれだけ観た人が観た後に語ってくれるのか、言葉にしてくれるのか、っていうことにかかってるなぁって思った時には、今までの中でも比較的よく話されている作品だなとは思います。
※以下、11月に追加取材
── 残念ながら3月、4月の公演は延期となってしまいましたが、今回の振替公演にあたって、演出面など上演内容について当初予定していたものから変更した点などはありますでしょうか?
作品の中身については、演出や台本も変更無くこのたびの延期公演に臨みたいと思っています。ただ感染症対策のために舞台と客席との距離、また客席同士も間隔を開けることになるのですが、それによって客席側の空気がどのようになるのか、舞台からの表現の届き方がどのように変わるのかは気にしているところです。そうした「広がった客席」へ舞台の表現を届けるために演出を調整する必要もあるのかもしれませんが、わたしも未経験なことで今回は当初の予定どおりになっています。
── 新型コロナウイルスの影響によって演劇をめぐる状況も大きく変わりましたが、創作に対する考え方や向き合い方、今後の展開など、ご自身の活動において影響があったことや感じたことなどありましたら教えてください。
ちょうどいま、来年度の創作の計画を練っているところなんですが、実際その時期に計画を実行できるのか不安が拭えません。かといって創作を一年休みにする気にもなれず、もどかしいところです。舞台芸術の、特にコロナ渦においては成り立ちにくい状況はこれからも続くかと思うのですが、なんとか作品の創作と上演を実現したいと思います。
劇作家としては、来年度に新作を創るつもりなのですが、その物語の中身も、またいまの社会状況を反映することになろうかと思います。そういう点では社会をどう切り取ってみせるのか、やり甲斐を感じているところです。不条理な現実に負けないような強い物語を書いてみたいと思います。
下鴨車窓『散乱マリン』チラシ表
取材・文=望月勝美

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