【ヨシケン】エレキギターのギューン
‼って音にメッセージを込めて

ベテラン・ロックンローラー、ヨシケンの最新アルバム『ZERO SUM GAME』は3部作の完結編となった。インディペンデントであることを貫き、この15年間、闘い続けてきた彼にそのファイティングスピリットの原点を訊いた。
取材:山口智男

3部作の完結編となる『ZERO SUM GAME』がリリースされましたね。

かなり後付けで、(3作を)思い返してみれば…みたいな話なんですけど(笑)、インディーズになってからは、ライヴで聴いて分かりやすい直感的な曲のほうがいいよねってことで、そういう曲作りをしていたんですけど、前々作ぐらいから、家で聴いてもらうCDに関してはストーリーや世界観を重視して、ライヴはライヴでそういう曲を直感的に感じてもらえる局面を作ればいいじゃないかってことになって、この3部作はシリアスな方向に行ったのかな。特にひとつ前の『THE SECRET EDEN』は難しいと言えば、難しい。ずっと聴いてきた人もどう聴いていいか分からないところもあったかもしれないけど、今回のアルバムも含め3枚聴いてもらえば、分かるかな。分からないかもしれないけど(笑)、やりたかったことはやれたという気はしています。

やりたかったことというのは?

まずサウンド面の話からすると、無謀にも全部、生で録っているんです。なおかつ、今回はギターの音もモデリングを使っていないんです。やろうと思えばいろいろなことができるんですけど、最終的には生で録った音が生き残るんですよ。歌詞がどうだとか、歌いたいことがどうだとか、コンセプトがどうだとか言っても(もちろんそれが一番大事ではあるのだけど)、ロックであるかぎりギターの音が生き残ってくれないと、熱を帯びないし成立しないんだって恥ずかしながら長年やってきて改めて思ったんです。一時期はソロシンガーとして、ギターの音よりも歌詞やその内容にこだわったこともあったんですけど、例えば親や学校の先生が言ってたことって、今思えばそんなに間違ってなかった。ただ、どこかの誰かがCDやレコードの中で言ってたことのほうが、“あぁ、そうだよな”って思えたのは、きっとロックの魔法みたいなものがあったからで、その魔法をかけるにはやっぱりエレキギターが絶対マストなんだって、長年やってきて辿り着いたのはそこなのかって驚きはありますね。孫悟空じゃないですけど、いつまで経ってもお釈迦さまの掌の上みたいなね(笑)。

今、“ロックの魔法”って言葉が出たので、ヨシケンさんのロック観を改めて訊かせてもらいたいのですが、ヨシケンさんがロックに目覚めたとか、これがロックなんだと実感した体験ってどんなことだったのですか?

音楽を始めたきっかけはいろいろあるんですけど、“わぉ、これは!”って思ったのは、中学の時に公民館を借りてライヴをやった時かな。その時、隣の町の奴らと対バンしたんですけど、隣の町の連中が負けられないって思ったのか、客席は特攻服を着た奴らばかりで(笑)。で、僕らが演奏している最中にケンカが始まって、ベースの奴がボコられたんですけど、僕はその時、まだまだやるぞって思ったんですよね。こいつらが俺に向かってくるってことは、俺がやっていることがカッコ良いからに違いないって調子に乗って(笑)、高校になった時、また公民館でライヴをやったんですけど、今度は隣の町の不良たちにバイクで囲まれました(笑)。今、ロックをやってて、不良に囲まれます? 囲まれないですよね。ロックがめっちゃカッコ良いと思われていた時代にロックをチョイスできたってことは、ある意味幸せだったと思います。

中学生の時にはもうバンドを始めていたわけですね。バンドを始めるきっかけはどういうことだったのですか?

音楽は何もできない子だったんです。縦笛さえ吹けなかった(笑)。音楽の時間はもう恐怖でしかなかったんですけど、中学に入ったらたまたま吹奏楽部の子たちと友達になって、一緒に行動しながら音楽を聴いているうちに音楽が好きになってきたんですよ。そのうち音楽室に行って、ギターやドラムを触るようになったんです。そんなある日、音楽の時間が始まる前にドラムを触ってたら、“そんなに叩きたいなら叩いてみろよ”って先生に言われたんです。先生としては始業チャイムが鳴ったのに席に着いてない生徒を見せしめにしようとしたんでしょうね。でも、その時には音楽が好きになりすぎて、頭の中でドッタンドッタンって鳴ってたから簡単な8ビートが叩けたんですよ。それで“あ、俺、楽器ができる!”と思って、まずアコースティックギターを買ったんですけど、近所の高校のバンドが僕が行っていた中学の体育館で学園祭の練習をしていた時、初めてエレキギターのギューンって音を聴いて、“野球やってる場合じゃない。バンドやりたい!”と思いました。当時は野球部だったんですよ。そしたら、たまたまいとこがエレキギターをくれたんですけど、理科の授業で、それまであまり喋ったことがない奴から“おまえ、ギターやってんだって? 俺ドラムやってんだ”って。僕、香川県の小豆島の出身なんですけど、明後日高松でライヴがあるんだけどって言うから、じゃあ出ようぜって話になって、夜中、そいつんちで練習してライヴに出たんですよ。それからそいつと将来、東京に行ってバンドをやろうぜ!って夢を膨らませて、高校に行ってまたバンドを組んだんです。その時はベースでしたけど。初心者ばかりだったんで、コピーしようにも譜面が読めないから僕が教えて、気が付いたらアレンジしてプロデュースしてみたいなことをやってたわけですけど、ビアガーデンで演奏したり、学園祭に出たりしましたね。

では、歌いはじめたきっかけは?

高校卒業後、東京に来て、バンドを探したんですけど、なかなか見つからなかったんです。けど、ある時、とある学園祭に出演できることになって、そのエントリーが明日までだって言うから、日吉にある学生寮に遊びに行った時、ギターを弾いてる奴がいたことを思い出して、名前も知らなかったけど“あいつにしよう!”と思って日吉に行って、“俺と一緒にバンドをやるぞ”って(笑)。それから中学で一緒にバンドをやってたドラムの奴に電話して、すぐに東京に来いと。明日来いって言ったら、分かったって。そんなこんなでメンバーを集めて、僕がベースを弾いても良かったんだけど、その時には歌いたいと思ってたんですよ。もう歌しかないって。でも、ベースだけ見つからない。で、たまたま渋谷のセンター街で吉野家に入ったら、隣に同い年ぐらいのベースを持った奴が座ったんですよ! 今、さだまさしさんのマネージャーやってる奴なんですけど、“おまえ、俺とバンド組まない?”って(笑)。それがきっかけです。で、学園祭のライヴに出た後、“俺たちは最高だ! 続けるべきだ!”って、ちょっとしたコンステストで優勝したり、ライヴを続けているうちに声がかかって、デビューってことになったわけですけど、今考えると、勢いだけできたんですね。あの時、みんな、よくやろうって言ってくれましたよね。度を越した勢いがあったんでしょうね(笑)。

(笑)。その勢いは今もありますか?

今もあるかもしれませんね。自分でレーベルをやるっていうのはそれかもしれないですよね。でも、その勢いがないと、沈没しちゃうから。こんな時代ですからね。理屈で考えたら、インディーズレーベルなんてできないですよ(笑)。

今回の作品は3部作の完結編ということもあるのかもしれないですけど、勢いだけではなく、前2作以上に踏み込んで、もっと大きな愛を歌っているようにも感じられました。

ストーリーや世界観を重視した作品を作る以上は、時代の風を感じた上で作ったほうがいいと思ったんですよ。タイトルの“ZERO SUM GAME”って株式や投資で使われる言葉ですけど、誰かが1億円勝ったら、誰かが1億円負ける…要するに人を踏み付けないと自分が生き残れないような世の中だけど、そこで生きている男女のカップルとか、頑張ろうと思っている人たちへのメッセージを歌いたいというのがひとつテーマとしてありましたね。今までだっていろいろあったかもしれないけど、芯になるものはあったと思うんですよ。国はこうだとか、世の中はこうだとかっていう。でも、ここにきて、もとにあったことさえも実は違ったかもしれないってことになってきたんです。例えば、安保法案ひとつ取っても、憲法違反だ、そうじゃないっていろいろな意見がある。でも、その憲法にしたって定められた時のいろいろなストーリーがある。何なんだろうって思ったんですよ。これまでアルバムには必ずロックが粋だった頃の、例えば『ウエスト・サイド・ストーリー』のような世界観の歌を1曲は入れてきたんですよ。その世界の中では週末、クラブで行なわれるライヴを楽しみにしている労働者がいて、彼らのピラミッドの上にはその街を仕切っている金持ちがいてっていうストーリーがあったんだけど、そんな単純な世界、もうどこにもないでしょ? 原発だって誰かが儲けようとしてやっているんだろうって、今までは思ったかもしれないけど、もっと違う力があって、やらざるを得ない。そうなると、オバマさんも安倍さんも辛そうで、どこか無理があるような顔に見えてきたりもする。何が正しいのか分からない砂漠のような世界を漂っていて、なおかつ人を踏み付けないと明日食うものもままならない。そんな大それたこと歌った作品を、インディーでやっている自分も作りたいと思ったし、そのスタンスを伝えたいという気持ちもあるんです。後輩のバンドたちの中には、どうやったら業界の人たちが振り向いてくれるんだろう?とか、どうやったらライヴハウスでウケるんだろう?って考えてる連中もいるけど、作品を作るんだったら、規模はどうあれ、そういうことを感じて作ろうよって、彼らよりも長く音楽をやってきた僕はちょっと言いたいんです。

アルバムの最後を締め括る「Father & Mother」では、親から受け継いだ愛を子供たちに伝えていこうと歌っていますが、それが何が正しいか分からない砂漠のような世界で唯一信じられるものということなのでしょうか?

その曲はね、この歳になって意外な親の一面を知る機会があったんですよ。ものすごく意外な一面があって、恥ずかしい話、電話で話してたんですけど、切った直後に作った曲なんです。自分の両親はこんなふうに考えてたんだって知った時に感じるものがあったんですよ。だから、最後に子供たちに!みたいなことを歌ってはいるけど、“We Are The World”みたいなことよりも…何て言うのかな、人にしてもらって、返しようがないってことっていっぱいあるじゃないですか。でも、その人には返せないけど、同じようなことを誰かにしてあげることはできる。そうやって返せるんじゃないかってことを、最近感じているんです。若い頃、バンドマンとして世話になったことを、その人には返しようがないから、自分の周りにいる若いバンドマンたちに返したいと思っているんだけど、そういう気持ちは親から受け継いだものとして、つなげていかないとって思ったんですよ。インディーからリリースして、そんな壮大なことを歌っているのかって話なんですけど、例えば、どんな小さな作品であろうと、それこそ30人ぐらいの小さなライヴハウスで歌う若いバンドの曲であろうと、アーティストとして人に何かを伝える以上は、それぐらいの気持ちでやるということを後輩に伝えることは、もしかしたら僕にできることのひとつかもしれない。それはこのアルバムに込めました。

キャリアを重ねてきたからこそ、そういう歌も説得力がありますよね。

だったらいいんですけど、実は歌がちょっと歪んでるんですよ。レコーディングする時、ちょっと予感はしてたんですよ。“あ、これは1回しか歌えないかも”って。そう思ったんですけど、エンジニアが調整している時に歌い始めちゃったから、歪んだまま録っちゃって、それをそのままOKテイクにしちゃったんです。もちろん、そのあとも何回か歌ったんですよ。でも、最初のテイクが一番良かったんですよね。Pro Tools全盛の時代に、そういう原始的なレコーディングをやっているんですけど、でも、レコーディングって正解がないから難しい。難しいからまたすぐ作りたくなっちゃうんですけどね。人が作ったものを聴いて、ここがこうだ、あそこがどうだって簡単に言えるんだけど(笑)、良かったものを残しながら、良くなかったものを直すことはこんなにも難しいのかって、これだけやってきても毎回、思い知らされるんですよ(笑)。
『ZERO SUM GAME』
    • 『ZERO SUM GAME』
    • VSRC1034
    • 2015.10.30
    • 2700円
ヨシケン プロフィール

ヨシケン:本名の吉井賢太郎としてVAPよりメジャーデビュー! メジャーでの契約終了後、“ヨシケン”を名乗り活動。以後コンスタントに作品を発表する。路上の手売りで渋谷公会堂などのライヴを成功させたことが話題に。2016年、17年と2年連続赤坂BLITZにて単独公演を行なう。03年に自ら新レーベル『Vanilla Sky Records』を設立しており、自身の活動と並行して若手アーティストのプロデュースや育成にも奮闘中! ヨシケン オフィシャルHP

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