これは、世界的な芸術家の人生を描く
祭典だ──香取慎吾主演『テラヤマキ
ャバレー』ゲネプロレポート(コメン
トあり)

『テラヤマキャバレー』ゲネプロ 2024.2.8(THU)日生劇場 
2024年2月9日(金)東京・日生劇場にて幕を開けた『テラヤマキャバレー』。その前日に行われた公開ゲネプロの模様をレポート!
1985年5月3日(火)、寺山修司が亡くなる前日。朽ちかけた真紅の緞帳が下がるキャバレーに黒い布を被った大勢の人間が集っていた。ここは寺山修司の夢の中。黒いコートに身を包んだ寺山に向かって彼らは言う。「名前をくれませんか?」と。「ミッキー」「暴言」「青肺」「白粥」「アパート」……寺山は順々に迷わず即興で名前を告げる(「好きな人には自分だけの呼び名をつける」のも寺山流だったか──)。名付けられた瞬間、彼らは黒布を脱ぎ去りその名に相応しいキャラクターとなって生き出す。そして始めるのだった。劇団員として寺山修司との芝居作りを。
ところがいつものように芝居作りに熱中する彼の元に、死と名乗る人物が「迎え」にやってくる。命の終わりを告げられる寺山。しかしリハーサルに夢中な寺山は死を拒む。そこで死は残り時間をギリギリまで与える代わりに自分を感動させる芝居を見せてくれと提案する。テーマは「人生」。早速「最後の戯曲」を仕上げるべく鉛筆を走らせる寺山だったが、自由すぎる劇団員たちをコントロールしながらリハーサルを進めるのは至難の業。カオスの中、ひたすら創作という格闘に没頭していく。
寺山を演じるのは香取慎吾。登場した瞬間からその身に物書き特有の情熱的なオーラを纏い、壮大な混沌劇のコンダクターとして、有象無象の劇団員たちはもちろん、客席の空気も一気に掌握していく。時に繊細、時にお茶目、時に神経過敏な生命力あふれる寺山修司だ。気難しさと気高さを漂わせる力強い歌声も印象的。パワフルな人間力に終始圧倒された。
黒づくめの寺山と対照的な白づくめの死を演じるのは凪七瑠海。死にゆく人間の道先案内人というキャラクターと、現役の宝塚歌劇団員ならではの心地よい浮世離れ感は非常に相性が良く、時折のぞかせる人間好きな面もチャーミング。
劇団員たちの賑やかで猥雑でアバンギャルドな様子は、寺山作品と聞いて私たちが思い浮かべるイメージそのものだ。彼らは寺山が戯曲を書き直すたびにくるくると役割を変え、目の前の世界を自在に変容させていく。そのパワーの源はズバリ寺山への「愛」。寺山が描き、寺山が望む物語を自在に実現させていくチームプレイが生む現実離れした世界はとても美しく健気で熱い。寺山に縁の深い実在人物へのオマージュも豊富でその謎解きも楽しく、芝居全体のうねりに身を任せこの世界に没入するほどに寺山修司という作家が繰り出す言葉がスッと心に入り込み、考えるよりも先に感じることで「腑に落ちる」数々の人生へのメッセージを受け取れるのも刺激的な体験だった。
本作は音楽劇としても非常に豊か。劇中では「戦争は知らない」「時には母のない子のように」「あしたのジョー」「私が死んでも」など寺山修司が作詞をした楽曲が次々に披露されていく。イメージの洪水と共にバンドの生演奏と一体化した凛とした歌声が、歌詞が、メロディーが、ずしんと心に染み込んでくる。
詩人、歌人、劇作家、シナリオライター、映画監督……とマルチにその才能を発揮し、作品と行動で世の中に衝撃を与え続けた寺山修司が亡くなって40年。今やその存在は「伝説」となり、観客もおそらく寺山存命時に彼の作品に触れられていない世代のほうが多くなっているだろう。数多の「寺山語録」、紡ぎ出す言葉に対するセンスとこだわり、母との関係、劇へと注ぎ込む圧倒的な熱量……ここに詰め込まれた寺山の人生が一人一人にどう伝播していくのかも非常に興味深い。
寺山はもういない。それでも彼の足跡を辿り、作品の数々を深掘りし、才能に敬意を払い、見事に2024年の寺山修司ワールドを産み出したこのカンパニーの溌剌とした姿! まさに目撃と体験の連続、緻密に緻密に組み上げられたものをブワッと発散させる職人技で魅せる、素晴らしい祝祭の時間がここにある。
<STORY>
1983年5月3日(火)、寺山修司はまもなくその生涯を終えようとしていた。寺山の脳内では、彼を慕う劇団員がキャバレーに集まっている。寺山が戯曲『手紙』のリハーサルを劇団員と始めたところへ、死が彼のもとにやってきた。死ぬのはまだ早いと、リハーサルを続けようとする寺山。死は彼に日が昇るまでの時間と、過去や未来へと自由に飛べるマッチ3本を与える。その代わりに感動する芝居を見せてくれ、と。寺山は戯曲を書き続けるが、行き詰まってしまう。そこで、死はマッチを擦るようにすすめた。1本目、飛んだのは過去。近松門左衛門による人形浄瑠璃「曽根崎心中」の稽古場だ。近松の創作を目の当たりにしたことで、寺山の記憶が掻き立てられる。2本目は近未来、2024年のバレンタインデーの歌舞伎町へ。ことばを失くした家出女や黒蝶服、エセ寺山らがたむろするこの界隈。乱闘が始まり、その騒ぎはキャバレーにまで伝播。よりけたたましく、激しく肉体がぶつかり合う。寺山は知っている。今書いている戯曲が、死を感動させられそうもない、そして自身も満足できないことを。いまわの時まで残りわずか。寺山は書き続けた原稿を捨て、最後のリハーサルへと向かう。
<会見コメントより>
脚本:池田亮
寺山修司が今まで書いてきたさまざまな作品を読み漁りながらこの戯曲を書きました。今生きていない寺山修司の言葉を、寺山からたくさんの刺激を受けながらものづくりをする今を生きている僕たちがどういう作品にできるか、関係者のみなさんとセッションしながら作っていきました。そして、戯曲という文字だったものが俳優の肉体を通じて歌も芝居もこんなにも立体化するとは思いもよらず……書いたのは自分ですが、この作品はカンパニーのみなさんによって完成し、そして観客のみなさんによっても完成するものだと思っております。ぜひ楽しんでください。
演出:デヴィッド・ルヴォー
もう随分前になるのですが、私と寺山修司の出会いはロンドンで彼の劇団公演を観たことです。それが、まだ若くこの先日本の演劇と関わるなんて夢にも思っていなかった自分と日本の演劇との初めての出会いでした。今回は私にとってとてもラッキーなチャンスでした。池田亮さんと何度も打ち合わせをしながらエンターテインメントを作っていきたい。その中で一人の芸術家が「我々は一体何者なんだ」ということを探っていくような作品にしたい。そしてこの作品が進むにつれて、いろんな日本の芸術の形態の中を旅する物語にしたいと思いました。個人的にはこの作品は私の日本の演劇に対するラブレターだと思っています。日本の演劇の世界で私が学ばせてもらってきたことへのお返しです。本当に才能に恵まれた俳優たちと作った「芸術の世界を全く新しいものに変えてしまった世界的な芸術家」を祝う祭典として観ていただけたらと思います。
寺山修司 役:香取慎吾
香取慎吾です。いつもの慎吾ちゃんとはちょっと違う様子でこの日生劇場の舞台に立っています。寺山修司さんが亡くなるストーリーなのですが、僕はこの稽古中に寺山さんが亡くなった歳と同じ歳になりました。自分は寺山修司役なんですが、このキャバレーのオーナーでもあり、寺山修司ではなくなる時もあり、時には香取慎吾だったりする時もあるような気がします。とても不思議なお話で、みんなとんでもない格好で(笑)、寺山修司の夢の中を、脚本の池田亮さんが寺山修司の言葉を拾い集めて紡いでくれて、そして演出のデヴィッド・ルヴォーさんがそれを優しくひとりひとりに植え付けてくれました。稽古の中でだんだんだんだんこの世界が好きになっていく自分がいました。観にきていただいた方にも一人でも多くの方に好きになっていただいて、日常では味わえないショー、エンターテインメントの楽しさ、夢の世界をたくさん感じていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。
取材・文=横澤由香

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