「最後ならばとご覧いただきたい」片
岡仁左衛門が一世一代で勤める2人の
悪~『霊験亀山鉾』歌舞伎座2月公演
取材会レポート

2023年2月2日(木)より歌舞伎座で、片岡仁左衛門にとって最後の『通し狂言 霊験亀山鉾(れいげんかめやまほこ)』が上演される。仁左衛門が勤めるのは、藤田水右衛門(みずえもん)と隠亡の八郎兵衛(はちろうべえ)の二役。
「昨年2月(『義経千本桜 渡海屋・大物浦』)に続き、一世一代と銘打ち『霊験亀山鉾』を、これで最後にさせていただきます。お一人でも多くの方におみ足をお運びいただければ幸いです」(仁左衛門。以下、同じ)
取材会で、仁左衛門が『霊験亀山鉾(以下、亀山鉾)』の魅力、一世一代に挑む胸中を語った。
■水右衛門と八郎兵衛、二人の悪党
『亀山鉾』は、元禄期の実際の事件をもとに、鶴屋南北によって書き下ろされた仇討ちの物語だ。水右衛門一派と、身内を闇討ちにされた石井家の人々の攻防に、まさか水右衛門が……まさか八郎兵衛が……と思いきや水右衛門が! と予測不能な展開をみせる。
片岡仁左衛門 /(c)松竹
「悪人が主役の芝居ですが、相手側の悲劇も充分に描けている点が面白いですね」
仁左衛門が演じる水右衛門は、血も涙もない極悪人だ。八郎兵衛は、水右衛門と顔がそっくりの手下という設定。
「水右衛門も八郎兵衛も好きですね。役者は自分を変化させ、色んな人になってみたいものですから、やってみるとどの役も楽しい。水右衛門は、どんな局面においても冷静に容赦なく人を殺します。大詰ではちょっと変わりますが、それもまた演じていて楽しいです」
水右衛門の悪さが陰惨に輝くのが、「中島村焼場の場」だ。水右衛門は、自分が殺した石井家の人を指折り数えて高笑いする。
「何人殺したかな。一人、二人……最後にコレを入れて……と(水右衛門の気持ちで)勘定すると、自然に嬉しくなるんです」
もう一役の悪人、八郎兵衛との演じ分けについて問われると、仁左衛門は「彼は、悪人なんかなあ」と視線を外して少し考えた。
「八郎兵衛は、台本にある限りでは、あれが初めての殺しでしょう? 騙されたと知りカッとした。しかも相手は、水右衛門の命を狙う者の種を宿していると分かった。だから殺した。水右衛門という悪人に仕えた、もちろん悪いことをした奴ですが、殺しの場で執拗に斬りつける水右衛門のような悪人とは、違いますよね」
『霊験亀山鉾』藤田水右衛門(H21.1松竹座) /(c)松竹
そんな登場人物たちを、仁左衛門は美しく、魅力的にみせてきた。何が人を惹きつけるのだろうか。
「ずいぶん昔に『世界残酷物語』(1962年)という映画がありました。見たい人がいるのだろうか、と思っていたら、映画館の前には行列ができていました。人間には、どこか悪に惹かれるところがあるのでしょうね。『亀山鉾』には惨たらしい場面もあります。それでも舞台から目を背けられはしないのは、歌舞伎の演出の力だと思います」
残酷な場面ばかりが続くお芝居、というわけではない。
「華やかな廓の場面を入れ、明るくお見せします。悪事に冴えている“ねちこち”した水右衛門と、衝動的にやってしまった八郎兵衛。陰と陽。色の使い分けでお見せできたらいいですね」
■歌舞伎には矛盾がいっぱいあるものだから
仁左衛門の初役は、平成14年。奈河彰輔の監修のもと、平成元年(二世中村吉右衛門が復活させた)とは部分的に異なる構成で上演し、ブラッシュアップを重ねてきた。
「矛盾もありますが、理屈が通ればいい、というものでもありません。歌舞伎は矛盾がいっぱいあるもの。お客様には、それを矛盾と捉えられずに見ていただけるよう勤めたいです」
たとえば前述の「中島村焼場の場」では、火にくべられた早桶から、ある人物が登場する。
「下から燃やされているのに、早桶のタガが外れるまで、じっと潜んでいるなんてありえないでしょう?」
そこで仁左衛門は、国立劇場での初役の時をふり返る。
「稽古中に思いつき、急遽、本水で雨を降らせる演出にしました。燃えていた火が、降り出した雨で下火になり、それから雨が上がり、また燃え出して桶の縄が切れる。その火加減が難しいんです(笑)。芝居ですからそもそもが嘘だけれど、理屈を守るところもある。理屈を無視する部分もある。役者は勝手でね、理屈を言う時は言うんです。『それは矛盾しているでしょう』って。かと思えば『芝居だからいいんだよ』とも言う。でもお芝居が面白くなるかどうかは、そこの兼ね合いにかかっているとも思っています」
芝居の「矛盾」を、役の心でどう乗り越えるのか。
「矛盾は無視しちゃう。乗り越えようとすると、私の場合はギクシャクします。極端な例ですが『仮名手本忠臣蔵 七段目』では、由良之助が蠟燭の灯の下で手紙を読みます。それを上から盗み読まれる……わけがない(笑)。でもお客様は『そんな馬鹿な』とはおっしゃいません。現代の台本なら『ありえない』と言われることも、歌舞伎ではやれてしまうんですね」
矛盾を無視してしまうスキルは、舞台経験や修行とは別のところで育まれるようだ。
「我々はそういう世界で育ちましたから。後から矛盾に気がつくんです。もし理屈を大事にする演劇の中で育っていれば、矛盾にひっかかっていたかもしれません。けれども歌舞伎俳優の場合、役に入ってやるうちに『あれ? 普通に考えたらありえないね』とね」
片岡仁左衛門 /(c)松竹
火加減がポイントの「中島村焼場の場」では、今回も本水で雨を降らせるという。「先日スタッフの方に『ふつうのお水でいいですか』と確認されました。いいですよ、とお答えしましたが……2月は常温だと冷たいね」と弱ってみせ、笑っていた。
■歌舞伎は変わっていくものだから
『二月大歌舞伎』では、仁左衛門の名前が「監修」にもクレジットされる。
「歌舞伎には演出家がおりません。そして『亀山鉾』は、色々な先輩が繰り返し演じてこられた作品とも違います。演者へのアドバイス、照明、道具、芝居の運び全体の統一性などを監修として提案させていただきます」
これまでに『女殺油地獄』『絵本合法衢』『義経千本桜』の「渡海屋・大物浦」の3作を、一世一代と銘打ち、それぞれの役を勤めおさめた。『亀山鉾』は4作目。
「『油地獄』も、やろうと思えばまだできたと思う。演劇的には今の方が、上手くできるかもしれない。けれどもお客様は、演技に惹かれる方ばかりではありません。トータルでご覧になる方や若さに惹かれる方など様々でしょう。『前の方が良かった』『年をとったね』と言われるのは嫌なものです(笑)。今なら、みっともなくないものを、お見せできるだろうという気持ちもあり、これを最後にさせていただきました。でも本当に寂しいんですよ。自分の中ではもっともっとやりたい」
後進への思いもある。
「私たちは、作品を次の時代に残していきたい。参考資料として映像を残すこともできますが、できれば生を見ておいてほしいです」
水右衛門と八郎兵衛は、現役の歌舞伎俳優の中では、仁左衛門だけが勤めている役。仁左衛門の演出は、型として作品とともに受け継がれるに違いない。もし100年後の後輩に何かアドバイスをするとしたら。
「100年後には、歌舞伎もだいぶ変わっているでしょうね。私たちが子供の頃と比べても、変わっています。変わっていくものだからこそ、古典をしっかりと身につけ、お役の性根を掴むことが大事なのだと思います。今のような“型”ができたのは明治以降で、ほとんどは大正、昭和あたりからのもの。だから『忠臣蔵』も江戸時代や明治初期とは、ずいぶん変わりました。それでも今我々がやる『忠臣蔵』は、まだ“崩れた”までは行っていないと思っています。性根を掴む。見得一つでも、どういう気持ちの見得なのか。怒っているのか、苦しんでいるのか、自慢をしているのか。しっかりと掴んで工夫し、その時代の歌舞伎を作っていってほしいです」
『二月大歌舞伎』は2月2日から25日まで。『霊験亀山鉾』は、17時30分開演の第三部で上演される。
「正直なところ一世一代にはね、『またいつかやるだろう、次にみればいい』とお思いのお客様にも『これが最後ですよ』とお伝えしたい。さほどご興味がない方も『最後ならば』とお越しくださるのではないかと(笑)。そんな思いもあります。この時期、客席を埋めるのは大変なことです。役者ですから、やはり一人でも多くのお客様に見ていただきたいです」
片岡仁左衛門 /(c)松竹
取材・文=塚田史香

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