リスト『巡礼の年 第2年:イタリア
』、魅惑のルネサンス美術が生んだ隠
れた名曲

知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回ご紹介するのはフランツ・リスト作曲のピアノ曲『巡礼の年 第2年:イタリア』です。

10代からピアニスト・教育者としてヨーロッパを行き来していたリストの人生は、旅に満ちていました。中でも26歳で恋人と旅したスイスやイタリアは名曲を生みます。もとは『旅人のアルバム』と題されていたように、旅先での様々なインスピレーションが音楽となっています。
『巡礼の年』第1年から第3年の中でよく演奏されるのは『オーベルマンの谷』『ダンテを読んで』『エステ荘の噴水』あたりでしょうか。物語性と難解なテクニックに満ちたそれらの曲はピアニストを惹きつけるでしょう。しかしそれら以外も、『巡礼の年』はとても興味深い作品です。超絶技巧の代わりに、リストのクリエイティビティと趣向がよく見えます。
本稿ではそれらのイタリア・ルネサンス美術から生まれたピアノ曲、そしてイタリアという国とリストの関わりについて掘りさげていきます。ヴィルトゥオーゾ、アイドル人気…皆さんの知っているリストとは違った何かが見えてくるかもしれません。
イタリア・ルネサンス美術に魅了されたリスト
壮麗きわまりない芸術が立ちあらわれ、私は驚いて目を見はる思いでした。‐中略‐天才たちの方向性に関する隠された類似性について、自らの感情と思考を通じて、私は日に日に自覚するようになったのです。ラファエロとミケラジェロを知ることによって、私はモーツァルトとベートーヴェンについてより深く理解できるようになりました。
フランツ・リスト     1939年10月24日 『ガゼット・ミュジカル』掲載公開書簡
この手紙は友人だった作曲家ベルリオーズに宛てて書かれました。リストがイタリアの芸術を目の当たりにし、大きく感動していることがよく分かります。ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ボローニャなどイタリア各地への旅は若いリストには発見だらけだったのでしょう。そして手紙に書かれた画家ラファエロとミケランジェロ作品は、リストにアイデアあふれるピアノ曲を書かせました。「音楽をより深く理解する手がかりになった美術作品」、とはどのようなものだったのでしょうか。
『巡礼の年 第2年:イタリア』のほとんどは、恋人であったマリー=ダグー侯爵夫人と数年に渡ってイタリアを旅した際に作曲されました。モチーフ源はルネサンス美術だけでなくイタリア文学も含まれます。
第1曲:婚礼
第2曲:物思いに沈む人
第3曲:サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ
第4曲:ペトラルカのソネット 第47番
第5曲:ペトラルカのソネット 第104番
第6曲:ペトラルカのソネット 第123番
第7曲:ダンテを読んで ソナタ風幻想曲
全7曲のうち美術からインスピレーションをうけて作曲されたのは、第1~3曲までです(第3曲は少し議論があるのでのちほど触れます)。第4~6曲はイタリアの詩人ペトラルカの詩をもとに、第7曲はダンテの叙事詩『神曲』がモチーフになっています。楽譜の初版は楽譜絵つきで出版されていて、それぞれの曲の絵や彫刻を見る事ができます(IMSLPで閲覧可)。
今回は、絵との関連がある第1~3曲を取り上げていくことにしましょう。
第1曲 婚礼
澄みわたるような響きと、慈愛に満ちたこの曲は、ルネサンス美術の巨匠ラファエロの絵から着想を得て作曲されました。
ラファエロ『聖母の婚礼』(出典:ブレラ美術館)
こちらは題名のとおり聖母マリアの結婚場面を描いています。あるとき天使は、国にいるすべての男性に杖を持って集まらせ、その杖に「神のしるし」が現れた者だけがマリアの夫となる、と告げます。するとヨセフの杖にだけ花が咲いたことから、二人の結婚が決まるという場面です。だから右側の男性陣はみな木の杖を持っているのです。
おめでたい結婚の場面ながら、どこか荘厳なムードが感じられるのは前景と背景のコントラストが関係しています。一見したとき、前景の人物だけでなく背景の建物にも目が奪われるのではないでしょうか。人々は自然にやわらかく描かれています。対照的に、背景の神殿はかなり正確な遠近法で描かれ、写真のように立体的に感じられます。神殿の緻密な描写が、全体の宗教色を強めているのです。
リストの『婚礼』でも祝福・お祝いでありながら、聖書の一場面であることを感じさせる曲です。冒頭の五音音階は鐘のように響き、繰り返されるコラールは教会音楽のように響きます(実際リストはこのテーマの旋律をオルガン用(Ave Maria III,S.60)に編曲しています)。テーマは曲最後の盛り上がりのあと再度静かにあらわれ、まるでおとぎ話のエピローグのようです。
第2曲 物思いに沈む人
晴れやかな一曲目から一転、重々しいオクターブではじまる第2曲。こちらはミケランジェロの彫刻をモチーフに作曲されました。この彫像はイタリア・ルネサンスの最高権力者メディチ家のロレンツォのお墓に飾られています。
ミケランジェロ 『ロレンツォの彫像』(出典:Wikipedia)
ミケランジェロ 『ジュリアーノの彫像』(出典:Wikipedia)
メディチ家墓所は教会の礼拝堂で、ミケランジェロはその礼拝堂の装飾品と彫像のすべてを任されました。大理石でできたゴージャスな装飾の中で、特に目を引くのがロレンツォとその弟の彫像です。二人の彫像は正反対な姿かたちをしています。ロレンツォは芸術家を支え、思慮深い性格をしていたことから何か考え込むようなポーズをしています。向かいの弟は今にも立ち上がりそうな姿勢をしており、彼の活動的な性格があらわされているそうです。
リストが選んだのはロレンツォ像のほうでした。第2曲のタイトル『物思いに沈む人』はまさにこの像のことです。さらに初版の楽譜にリストはこんな詩を掲げます。ミケランジェロ作の詩で、「石になり永遠に眠れることに感謝する。見ざること聞かざることが我が幸せである」という内容のものです。永遠の眠りとは「死」を指しています。
半音階が重々しくさがっていく曲の後半は葬送行進曲そのもの。しかしすぐに抒情的なメロディがあらわれ最後はメランコリックな空気で終わります。仰々しいフォルテシモも登場せず、聴き手に死の匂いだけでなく、静かに何か訴えかけるものを感じさせる、そんな曲です。*リストはこの曲を、『三つの葬送頌歌』内の『夜』に編曲しています。
第3曲 サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ
付点のリズムが陽気なカンツォネッタは、イタリア民謡『私はよく場所を変える』からとられています。リストはその歌詞を譜面に書き、民謡のピアノ編曲版のようになっています。この民謡はタイトル通り、17世紀イタリアの芸術家サルヴァトール・ローザのものと考えられていましたが、実は違う作曲家の曲だと明らかにされています。それゆえ画家とのつながりを断言できないのですが、リスト自身がサルヴァトール・ローザに関心をもっていたことは明らかでしょう。彼は風景画が高く評価され、特にフランス文学界ではカルト的な人気を博していました。ローザは風景画には珍しく、強盗や騎士・魔女などを描きこみます。
サルヴァトール・ローザ『岩の上の強盗たち』(出典:メトロポリタン美術館)
左側は強盗たちが騒ぐ様子でしょうか。右側の黒い雲や風でしなる木が不穏なムードを高めています。風景を描きながらも物語を感じさせるのはかなり前衛的なことでした。文学や詩も手がけ、きわどい時代風刺でローマを追放されるほど反骨的でドラマチックに生きたローザ。その生き様はリストをはじめとするロマン主義と共鳴したのです。
信仰と芸術の国、イタリア
『巡礼の年 第2年』はイタリアでの旅の思い出から生まれましたが、それだけでなくリストは生涯イタリアと深くつながっていました。それは彼が敬虔なカトリック信者であったことが大きく関係しています。
信仰はリストの中核をなすものでした。イタリアに移住した晩年は、一時期カトリックの総本山ヴァチカンに引っ越し、聖職位にまでついています。差別や我が子の死に直面したとき、彼を支えたのはいつも信仰心でした。宗教音楽の改革に力を注いでいたことはあまり知られていないかもしれません。その後ローマ近郊に居を構えたリストは毎朝教会に通う生活を好んでいたといいます。
加えてイタリアには芸術家を惹きつける力があるのではないでしょうか。リストと交流の深かった女流作家ジョルジュ・サンドはイタリアを「芸術家のための聖なる地」と表現しています。壮麗なルネサンス美術・詩などの文学がうまれたこの地は特別な場所だったのでしょう。
ちなみに『巡礼の年』という名は、バイロン作の物語詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』からとられています。若者がイタリアを旅し、ルネサンス芸術に感激し感情的になる箇所(カントIV)を読むと、若いリストはこの主人公に自分を重ねていたのかな、と感じさせます。この国は感性の鋭い芸術家たちにインスピレーションを与え、自由に制作することができた絶好の環境だったのかもしれません。
リストの『巡礼の年 第2年 イタリア』、いかがでしたでしょうか。アイドルピアニストや年上女性との不倫など、リストをとりまく言葉たちはいつも派手でスキャンダラスなものです。音楽面でもどうしても超絶技巧の言葉が独り歩きしがちですが、テクニックに頼らない楽曲も多彩なアイデアに満ちています。信仰が彼を支えていたことも忘れてはならない側面ではないでしょうか。ぜひさまざまな角度でリスト音楽を楽しんでみてください。

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