舞台『東京原子核クラブ』マキノノゾ
ミ×水田航生インタビュー~「年初め
に観て、良い一年にして欲しい」

2021年1月10日(日)~17日(日)に東京・本多劇場にて、マキノノゾミ作・演出『東京原子核クラブ』が上演される。本作品は1997年に初演され、読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞したマキノの代表作で、その後、PARCO劇場、俳優座劇場などでも上演された。マキノによる演出での上演は1999年以来22年ぶりとなる。
昭和初期の東京・本郷の下宿屋「平和館」を舞台に、理化学研究所に勤務する若き原子物理学者・友田晋一郎を中心とした風変わりな住人たちを描いた群像劇で、実在の人物をモデルに、時代の荒波の中、闊達に生きる若者たちを描いている。22年ぶりに今作の演出に臨むマキノと、主演の友田晋一郎役を演じる水田航生に、今の思いを聞いた。
マキノノゾミ、水田航生

■「関西弁をしゃべる役をやりたかった」(水田)
――『東京原子核クラブ』は、2006年と2008年に俳優座劇場プロデュース(宮田慶子演出)で上演されたときにそれぞれ拝見しています。その当時は「こんな時代がかつてあったんだな」と思いながら、どこか遠い昔の話として観ていたように記憶しているのですが、改めて台本を読ませていただいたら、決して昔の話ではない、むしろ今の時代に近いんじゃないか、と思えました。今回の上演に際してマキノさんはどのような思いでいらっしゃいますか。
マキノ それ、全く同じようなことを思ってますね。書いた当初から、あまり古びないもの、いつの時代に書かれたのかわからないようなものを書きたいって意識があったんですけど、それでも書いている最中は、やっぱり戦争は遠い過去の事で、僕たちはどっぷりと「戦後」という時間の中にいるという感覚でした。でも最近になって読み返してみたら、昔々の話を書いたつもりなのに近い未来の話が書かれてるような気がして。あれ?もしかして今は「戦後」じゃなくてもはや「戦前」になってんのかな、っていうような、ちょっと気味の悪さみたいなものを感じましたね。
――水田さんは台本をお読みになってどういった感想を持たれましたか。
水田 今マキノさんがおっしゃったように、戦後じゃなくて戦前、みたいな怖さはすごく感じました。戦時中の話なんだな、という心づもりで読み始めたのに、登場人物たちの心情と、今僕たちが抱いている心情がほぼ同じなんじゃないかと思えてしまって。日常がいつの間にかどんどん変わっていって、気付いたら今こうなっちゃってるよね、という感じとか、大変な事態が迫ってきているのに、でも日常を過ごそうとするよね、というところとか、「当時の人の心情はどうだろう」というよりも「わかるなこの感じ」と思いました。
――今回、友田役に水田さんをキャスティングした決め手は何だったのでしょうか。
マキノ 友田はノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎博士がモデルなんですが、朝永さんの周りにいらした方って皆さん口をそろえて「高雅な方でした」っておっしゃるんですよね。ユーモラスなんだけど、とてもノーブルな雰囲気のある方だったって。でも、そういう空気をまとっている俳優ってそうそういないんですよ。それで、友田役を誰にしようかって話してた時に水田くんの名前が挙がって、「あー水田なら雰囲気あるよなあ」って思ったんだけど、関西弁をしゃべる役なので「関西弁大丈夫かな?」って心配したら、大阪出身でもう関西弁バリバリだと。「なんだよ、じゃあ水田で決定!」となりました(笑)。
マキノノゾミ
水田 そう言っていただけて嬉しいですし、身が引き締まる思いです。高雅な雰囲気は自分ではわかりませんが(笑)、大阪の京橋で生まれたコテコテの関西人なので、関西弁の役をできることが本当に嬉しいです。ようやく僕は母国語をしゃべってお芝居ができるんだな、と(笑)。
――これまでは関西弁の役はなかったのでしょうか。
水田 10代のときに出演したミュージカル『テニスの王子様』で関西弁の役を演じて以降は一度もなかったですね。だから、マネージャーさんと打ち合わせするときに「どんな役をやりたい?」と聞かれたら「一回でいいから関西弁をしゃべる役をやらせてください」とお願いしていたくらいだったんですよ。
――友田という役については、どういう印象をお持ちですか。
水田 実は、僕の2つ上の兄貴が京都大学の理系だったんです。大学院まで行って、卒業後は理系の仕事に就きました。そんなこともあって、友田という役にすごく親近感を覚えたんですよね。友田と兄貴は似ているところがあって、他の人が全く気にしていないようなところをずっと気にして、逆に他の人が気にしている部分については「ごめん、そっちは何も気にならない」と言っちゃうようなタイプです。だからこの舞台が決まったときに、「兄貴の考えをいろいろ聞かせてくれ」ってすぐに電話しました。
水田航生

■「青春時代の面白おかしくくだらない日々を描きたかった」(マキノ)
――マキノさんと水田さんは2015年に現代能楽集VIII『道玄坂綺譚』で初めてご一緒されて、今回が2度目となりますが、当時の印象や何か思い出などありますか。
水田 マキノさんは常に笑顔という印象がありますね。稽古のときも、すごく細かく演出してくださるんですけど、ちょっと笑いがあるようなユルいシーンでは面白がってくださったりとか、新しく思いついた演出を「ちょっと一回さ、こういうの試してみない?」って目をキラキラさせながら伝えてくださったり、楽しそうな姿がとても印象的でした。
マキノ えーと、あのときの稽古は基本楽しかった印象しかないですね。水田くんはユルい感じをやりつつ、後半ではシリアスな面も入ってきて、様々な色が出るような役をやってもらったんですけど、どの色にも柔軟に対応してくれていたので、「あーいい俳優だな」と思ってました。本人には言わなかったけど(笑)。
水田 本当に楽しかったですよね。初めてでしたよ、打ち上げで演出家の方とカラオケに行って最後みんなで熱唱するっていうのは(笑)。だからあれから5年経って、久しぶりにお会いする前は正直ちょっと緊張していたのですけど、会ってしまえばあのときの楽しかった空気感がすぐに戻ってきましたね。
マキノ え、普通は行かないもんなの? 演出家とカラオケ。
水田 そうですね……行ったとしても演出家さんはどちらかというと、みんなが歌っているのを聞いている側になるんじゃないですかね、多分。
マキノ え、だって「カラオケ行こう」ってのは俺が歌いたいからだもん(笑)。
――マキノさんの稽古場の和気あいあいとした雰囲気が伝わってくるエピソードですね。今作は、扱っているテーマや描かれている内容自体は重たい部分があって非常に考えさせられるものがありますが、随所に笑いがちりばめられているところが魅力になっていますよね。
マキノ 何かを声高に主張するものを作りたいわけじゃなくて、元々この作品を書こうと思ったのも、単純に「青春時代のくだらなくて面白い日々」を描きたかったんですよね。だから正直、書き始めの頃は最後があんなふうになるとは思ってもなかった(笑)。普通に生きてればシリアスなことも滑稽なことも両方起こるじゃないですか。だからストーリー展開がどうこうというよりは、ただ「登場人物たちがそこに暮らしていて、息づいてる様が面白かったり、時にはつらかったりする」ようなものが作りたくてこの作品を書いたんです。だからとても愛着がある。愛情深い作品ですね。
―― 一人のキャラがすごく魅力的ですし、それぞれの生き方や考え方がありながら「平和館」で一緒に暮らしているという、世界の縮図のようにも感じられます。
マキノ この話には基本的に僕の嫌いなタイプの人は出て来ないんですよ。それぞれ全然違うけど、みんな好きなタイプの人間ですね。
水田 僕が読んでいても「みんな好きだな」って思えるのは、マキノさんがそう思いながら書いたからかもしれないですね。嫌いな人がここには一人もいないし、ここに住みたい、一緒に暮らしてみたいな、って思います。
水田航生
マキノ だいたいいつも、お客さんが「この世界の住人になりたい」と思ってくれたら成功だと思いながら芝居を作ってるんだけど、特にこれは下宿が舞台だからね、余計にそう思ってもらえるのかもしれない。
―― 一緒に下宿したらいろいろ面倒くさそうな人ばっかりではありますけれども、でもきっと楽しいだろうな、と思えますよね。
マキノ いや、人と関わるってのは基本面倒くさいものなのよ(笑)。面倒くさいんだけど、「でも……」っていうところをこの作品で感じてもらえたらいいなと思います。
水田 みんなでキャッチボールしている様とか想像するだけで、平和すぎてなんだか泣きそうになるんですよ。僕も青春時代にそんなのやりたかったな、とも思うし。
マキノ 舞台となる「平和館」は、朝永博士が住んでいたアパートが本当にそういう名前だったんですよ。この作品に出てくる武山は竹内柾さんという物理学者の方がモデルになってるんですけど、PARCO劇場で1999年に上演したときに竹内さんの奥様が見に来てくださって、「平和館と聞いて懐かしかった」っておっしゃっていただいて。何ていうか、現実と少し繋がったような感覚で、感慨深かったですね。

■「演劇は心の薬」(水田)「世界が幸せになるためにやっている」(マキノ)
――終盤の方で、新劇青年の谷川が「芸術はつねに民衆を幸福へといざなう」というセリフを言います。現状のコロナ禍で「芸術にできることは何だろう」と考えさせられる日々の中、非常に突き刺さるセリフだと感じました。
マキノ 言ってる谷川自身は極めて浅―い人間ですけどね(笑)。でも彼の本心だと思いますし、それはつまり僕の本心でもあるわけで。今作の中であまりこのセリフに重きを置こうとは思っていませんが、ただ僕も一応芝居をやっている人間の端くれとしては、常識として当然そうだと思っています。「どういうつもりで芝居やってんだ」って言われたら、「世界が幸せになるためにやってるんだ」って思っていますから。
――水田さんは、自粛期間や緊急事態宣言を経て、出演予定だった舞台が中止になったりもして、でも今また少しずつ舞台が上演されるようになってきている今、改めて舞台に立つということについてどういう思いを抱いていらっしゃいますか。
水田 自粛期間中に心の浮き沈みはいっぱいありました。今は「劇場に来て下さい」と言いづらいところもありますが、でもやっぱり僕たちは、演劇というものがどれだけ心の薬になるか、人生においてどれだけ大切な物であるか、ということを信じてこれまでもやってきたし、今はその思いがもっと膨れ上がっています。お芝居ができることは当たり前じゃないんだな、ということも感じつつ、皆さんに届けていけるように地道にやるしかないな、という思いですね。
マキノ 先日、『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』という映画を見たんです。19世紀末にパリで初演された『シラノ・ド・ベルジュラック』の誕生秘話でコメディなんですけど、『シラノ~』の初日が開く直前に上演できない事態に陥ってしまうわけ。それで役者たちがカフェに集まって落ち込んでると、カフェのマスターが「役者が芝居をやめるのは墓に入るときだ」つまり「それまでは芝居をやめないのが役者だろう」みたいなことを言うんです。僕ね、そこでちょっと泣きそうになりました。今の世の中の状況は、舞台をやっている人間にとっても非常につらい状態で、この先まだどうなるかわからないですけど、「これからもめげずにやっていけ!」と励まされてるみたいな気がしました。
――演劇を必要としている人たちにとって、お2人がそういう思いを持って今作に臨んでいらっしゃることはとても心強いですし、希望でもあると思います。では最後に、この公演を楽しみにしている皆さんへメッセージをお願いできますか。
水田 2020年は本当に大変なことばっかりだったので、2021年の年明け一発目にこういう作品を上演できることを嬉しく思っています。台本を読みながら何度笑ってしまったかわからないくらい、今作の登場人物たちが繰り広げる“日常”のシーンが僕は大好きで、それをぜひ劇場で肌で感じてもらえたら嬉しいです。素敵な物語をお届けできるように稽古から励んでいきたいと思います。
マキノ 世の中が今はまだ平らかでないので大変な中ではありますが、劇場で生で見てもらえるのがやはり一番だと思っています。僕たちはベストを尽くすので、ぜひ年の初めにこれを観て楽しんで、良い一年にしてもらいたいですね。
取材・文=久田絢子
写真撮影=池上夢貢

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