聖地転変 ~あのとき『らき☆すた』
と鷲宮と埼玉県に起こったこと~ V
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聖地巡礼プロデューサー・柿崎俊道氏によるアニメファンとアニメの“聖地”になった地域との関わり方を問うコラム連載の第五回。アニメファンの想い、“聖地”となった地域の人々の想いに直に触れたきた柿崎氏が語る、聖地巡礼の走りとも言える『らき☆すた』と鷲宮の姿とは? 連載コラム『らき☆すた』編最終回。
「ダさいたま」とは誰が口にするのか
ないもの尽くしの状況をひっくり返せ!
このふたつこそが観光資源が乏しい地域でも成立すると埼玉県観光課は考えた。埼玉県にはディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンのようなテーマパークはなく、富士山や江ノ島、瀬戸内海のような景勝地があるわけでもなく、海老や牡蠣、あわびなどの海産物もなく、京都や鎌倉など歴史を楽しむようなスポットにも乏しい。ないもの尽くしの状況をひっくり返す逆転の一手がゆるキャラとアニメ聖地巡礼だった。
僕はゆるキャラには肯定的な立場だ。地域イベントを企画する際、ゆるキャラをプログラムのひと枠に組み込むことができるのは、とても助かる。地域のオリジナルコンテンツであるため、時間調整の融通は効くし、費用は最小限に抑えられる。外部から呼んだ歌手や芸人のみでステージを構成するとそれなりの予算がかかるが、一部でも、ゆるキャラが担当してくれると主催者側としてはコストカットやプログラム作成の短縮につながり歓迎だ。
そうしたゆるキャラを埼玉県の各市町村が最大限に活用しているかといえば、疑問である。まず第一に大事なことはゆるキャラのグッズ展開だ。いつも思うのが、グッズ制作のぬるさだ。グッズはゆるキャラの画像をクリアファイルに貼れば、完成というものではない。そこは編集の力がモノをいう。編集とは、ゆるキャラの世界観とファンが求めるものを先取りし、キャッチコピーの言葉を選び、ふささしいデザインを求め、グッズの種類、材質、形状を決める仕事だ。クリアファイルや缶バッジに画像をただプリントとしただけでは、目にする者の心を捉えることはできない。ゆるキャラの担当者はぜひ近くのアニメイトに行ってほしい。人気アニメ作品がどのようなグッズ展開をしているのかを見れば、グッズ制作の方向性が見えてくるだろう。
その経験は旧鷲宮町、現久喜市鷲宮だけに留まるものではなく、観光課を通じて埼玉県全域に広がり続けている。
第3回アニ玉祭の準備を進めていた2015年頃のこと。埼玉県観光課が主催するアニメツーリズムに関する大規模な会議が開催された。埼玉県内の63市町村から、アニメツーリズムに関心のある観光施策担当者が参加した。
アニ玉祭をはじめとする埼玉県のアニメ施策が次々と発表される中、埼玉県観光課から県のアニメ施策全体にかかる次のキャッチコピーが発表された。
僕はこの会議の日からずっと「ダさいたま」について考えている。
埼玉県のアニメ施策を準備、実施する中で、県民自身が「ダさいたま」と自虐的にいい、笑う姿を何度も目にしてきた。彼らが自らそういうなら問題ないのかな、と僕は思うようにしてきたが、どうしても違和感が残り続けた。「ダさいたま」「ダさいたま」と繰り返しているが、果たして埼玉県のアニメツーリズムにおいて、その言葉はどのような意味を持つのか。
2008年に旧鷲宮町に集った『らき☆すた』ファンは埼玉県や鷲宮神社や当時の鷲宮町商工会を「ダさいたま」と思っているのか。
2011年にアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』が放送された。埼玉県秩父市に多くのファンが集った。彼らは秩父市を「ダさいたま」と思っているのか。
川越市を舞台にした『神様はじめました』、飯能市を舞台にした『ヤマノススメ』。
アニメ作品の舞台になった地域を訪れる行為は、舞台めぐり、舞台探訪、アニメ聖地巡礼、コンテンツツーリズム、アニメツーリズムとさまざまな呼称がある。どの呼び方においても、変わらないことがある。ファンにとってはその土地が最高なのだ。
埼玉県を訪れるアニメファンの辞書に「ダさいたま」という言葉はない。しかし、受け入れる側は自分たちを「ダさいたま」と呼んで憚らない。この両者のギャップこそが埼玉県のアニメ聖地巡礼における最後の高い壁なのだ。
アニメファンにとって埼玉県は憧れの場所である。アニメファンのそうした気持ちに気づき、受け入れる。アニメ聖地巡礼の成功への第一歩は、そこからはじまる。それを旧鷲宮町と『らき☆すた』ファンが教えてくれた。
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