藤崎彩織『ふたご』世界の終わりが来
るまでに書き残すべきこと

藤崎彩織(SEKAI NO OWARI)による小説
『ふたご』

4人組バンド・SEKAI NO OWARIのSaoriこと藤崎彩織が、初めての小説『ふたご』を上梓した。執筆に5年をかけた渾身作で、発売から一ヶ月経たないうちに10万部を突破。作家の宮下奈都や島本理生が絶賛コメントを寄せるなど、文学の世界でも話題になっている。いったいどんな小説なのか?

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とあるバンド結成までの前日譚

『ふたご』は、西山夏子と月島悠介というふたりが出会い、「ふたご」のような関係を築き、とあるバンドを結成するまでを描く……という物語なのだが、どう考えても、とあるバンド=SEKAI NO OWARIを連想するし、夏子=Saori、月島=Fukaseだと思いながら読み進めることになる。事実、書かれている内容はインタビューなどでSaoriやFukaseが語っている内容とほぼ一致する。Saoriが幼い頃から続けてきたピアノや、かつて受けたいじめの経験、Fukaseの留学や入院にまつわる話、のちに彼らのホームとなる『clubEARTH』のはじまりなど、ファンにとってはおなじみのエピソードもいくつかある。

ではこの本には新鮮味がないのかというと、そんなことはない。

そもそも、小説の面白さとは何だろうか? いろいろあるだろうが、まずは「文章そのものの魅力」だろう。書かれたものである以上、それが下手な文章で書かれていれば小説としては成立しづらい。

その点、藤崎彩織は文章がうまい。彼女の文章はシンプルで丁寧で、読者にストレスや違和感を抱かせない。説明も描写も過不足なく描かれ、「伝わる」ということにプライオリティが置かれた文章だ。以前よりエッセイなどでもその文才は明らかだったが、初小説『ふたご』もすっと胸に沁み入る丁寧な文章で書かれており、まずはこの非常に読みやすくて綺麗な文章に読者は驚くだろう。数ページ読めばすぐにわかることなのでわざわざ書く必要もないかもしれないが、本書は、人気ミュージシャンが隙間時間に書いた自伝本ではない。しっかりとした文学的素養の上に書かれた小説だ。だから、まずは藤崎彩織という新しい作家の小説として本書を読むといいだろうと思う。

多少、文体に村上春樹の匂いがする部分もあるので、村上春樹特有の都会的で洒落た文章が好きな読者は、藤崎彩織の小説と相性が良いかもしれない。

「ふたご」になれなかった二人:非常に
うまく書かれた第一部

小説『ふたご』は二部にわかれている。第一部は夏子と月島の出会いからバンドを結成する直前までの話が、第二部はメンバーを集めバンドを結成し本格的に活動し始めるまでの話が描かれている。

第一部は、非常に魅力的に書かれている。
友達のできない夏子と、やたら本質的なことばかり言う月島。周囲から見ればちょっと変わった二人がどのように惹かれあい、お互いにどんな苦しみを抱いて関係を築いていったのか。その苦悩が、夏子の視点で丁寧に語られる。「ふたご」という言葉の語感や現在のSaoriとFukaseの関係から、ついハッピーな話を期待するかもしれないが、第一部はほぼ、夏子の苦悩で埋まっている。本書の序章にはこんな文章がある。

いっそのこと、本当にふたごのようであったら、こんな風にいつまでも一緒にはいなかったのだと思う。いや、はっきり言おう。私たちがふたごのようであったら、絶対に、一緒にいることは出来なかった。 (藤崎彩織『ふたご』p10)

冒頭から、自分たちは「ふたご」ではないと宣言している。しかもこの宣言の直後には「メチャクチャにされた記憶ばかりだ」と続く。明らかに本書は苦悩をテーマにしているわけだ。

そしてその苦悩の捉え方が、本書の魅力のひとつだ。象徴的な箇所を抜き出す。第一部の中盤で、月島が夏子の家から飛び出すシーン。

月島は叫び続けていた。玄関の前で、両手で頭を抱えながら、自分に巣食う悪魔を振り払うように叫んでいた。 不思議な光景だった。私は玄関で立ちすくんで、月島に見入ってしまった。なんて美しいんだろう。 野生の獣のように、月島は美しかった。涙で濡れた髪が、頬に張り付いていた。 (藤崎彩織『ふたご』p137)

セカオワを知らない人にとってはややネタバレになるかもしれないが、これは、恋する相手が発狂するシーンなのだ。そんなときに夏子は、相手のことを「美しい」と思っている。そして濡れた髪が頰に張り付く様などを観察している。この突き放した覚めたような感覚が、二人の苦悩をより深く感じさせる。

第一部のテーマは「大切な人を大切にすることの難しさ」とまとめることができると思うが、それが非常にうまく描かれていると思う。二人のキャラクターには奥行きがあって魅力的で、感情移入もしやすい。

フィクションとしての強度が落ちる第二

第二部では、メンバーを集めてバンド結成へと物語が進むわけだが、この小説が、セールスにおいても批評においても、たとえば又吉直樹『火花』や尾崎世界観『祐介』ほどに現時点で評価されていない理由は、この第二部にあるのではないか。

第二部では、物語の焦点が、「夏子と月島」から「バンド結成へ」と変わる。このことが、フィクションとしての強度を著しく落としているように感じる。

文章は同じように丁寧なのだが、軸がぶれてしまったため、まるで別の小説のように感じる。上に引用した箇所のような視点の面白さはほとんどなく、これまでミュージシャンとしてさんざんメディアで喋ってきた内容が繰り返される。バンドメンバーとなる人物たちは唐突に登場し、物語にほとんど爪痕を残さない。彼らはある意味で「夏子と月島の特別な関係性」を引き立てているとも言えるが、あまりに凡庸でほとんど印象に残らない。また、人物たちの葛藤が伝わりにくく、主要人物たちが何を乗り越えたのかがはっきりしない。あえて強い言葉を使えば、まるで日記のような、事実の羅列のようなパートになってしまっている。一部、フィクションと思われる箇所も混ざっているようだが、それらはあくまでも補足的なシーンにとどまり、『火花』や『祐介』が持つ飛躍と強度がない。

そして何より、第一部であれだけ魅力的な人物として描かれていた月島が、まったく愛せない意味不明な人物になってしまっている。周囲の人間が月島に翻弄される理由に説得力がなく、「夏子がなぜバンドに参加したのか」がわかりにくい。月島の魅力が弱まり、それにつられるように夏子の魅力も弱まっていくーー皮肉にも「ふたご」のように。

おそらく作者は、第二部の月島に感情移入しすぎてしまったのではないだろうか。第二部は、作者と人物のあいだに距離がない。つまり俯瞰する視点が欠けているのだ。結果として、小説を読んでいるというより、内輪話を聞かされているような感覚に陥ってしまう。
さらに言えば、せっかく主人公の苦しみが丹念に綴られているのに、「運良くレコード会社から声がかかった」みたいな着地点も、少しもったいなく感じる。

このパートは、「バンド結成」という結末ありきで書いているように思える。その縛りが、小説を不自由なものにしたように感じられる。もっと、フィクションに寄せた方がよかったのではないだろうか。フィクションかノンフィクション、どっちつかずの姿勢が、第二部の場合はマイナスに働いているように感じた。

三島由紀夫を感じさせる箇所も

とはいえ、第二部にも随所に読みどころはある。たとえば、みんなで借りた陰気な地下室で発泡酒を飲むシーンは、三島由紀夫の隠れた名作短編『月』を彷彿とさせる。

『月』は、三人の若い男女(ハイミナーラ22歳、キー子19歳、ピータア18歳、ちなみに全員日本人)が廃墟と化した教会に忍びこんで酒盛りをする話で、三島由紀夫の超絶技巧が凝縮された作品。「三人とも悲しくてたまらず、げらげら笑っていた」という一文が作品のムードをよく表している。
(三島由紀夫の短編小説『月』は、『花ざかりの森・憂国』に収録されている)

藤崎彩織『ふたご』の地下室のシーンにも、これに近いムードが漂っていると思う。もちろん、彼女に三島由紀夫と張り合えるほどの技術があるとまでは言わないが、倦怠感を漂わせながらワクワクを感じさせる丁寧な筆致は両者に共通するものだ。

また、夏子がなかなか歌詞を書けずに苦しむくだりなどは、読者の感情移入を誘うだろう。特に何かしら「つくること」に関わっている人間ならなおさらだ。「一つ書いては消し、うろうろと歩き回っては、また一つ書いてみる。自分の才能のなさを痛感しながら言葉を消し、またノートに向かう(p284)」という箇所を読むと、筆者のように素朴な人間は、「ああ、この人でさえそんなふうに思うのかあ」などと思ってしまう(まったく同じ気持ちで記事を書いているので……)。

世界の終わりが来るまでに書き残すべき
こと

さて、まとめると、藤崎彩織『ふたご』は、前半は非常にうまく書かれていて、後半にやや失速する。全体としてはかなり読みやすく書かれていて、バンドについて知らなくても楽しめる作品だ。

しかし、本書のもっとも優れた点は、作品の根底にある意志ーー「これを書かずには死ねない」とでもいうような、執念とも怨念ともつかぬ強力な意志だ。後書きによれば、本書の執筆は「地獄」であり、書き始めた原稿は「はっきりとしたゴミ」だったという。ゴミを書き続け、地獄のような時間を五年も重ね、それでもなお書くべきことーーそれがこの小説『ふたご』だったというわけだ。

芥川賞の選考委員をつとめるあるベテラン作家が、芥川賞の選評で「この文章にはコストがかかっている」という言い方で若手作家の作品を褒めたことがあるが、その言葉を借りれば、藤崎彩織『ふたご』は相当なコストがかかった小説だ。文学に何を求めるかは人それぞれだろうが、コストのかかった作品は、ある種の人の心を強く動かす。「コスト」という言葉を「執念」という言葉に置き換えたいが、その執念を、丁寧な言葉とわかりやすいエピソードにときほぐしたのがこの作品だ。

本書は、藤崎彩織という人間にとって「世界の終わりが来るまでに書き残すべきこと」だったのだ。

書籍情報
タイトル:ふたご
作者:藤崎彩織
定価: 1450円(税別)
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藤崎彩織 Twitter Instagram
SEKAI NO OWARI 公式サイト


Text_Sotaro Yamada

藤崎彩織『ふたご』世界の終わりが来るまでに書き残すべきことはミーティア(MEETIA)で公開された投稿です。

ミーティア

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