A面は、チャート・ナンバーワンを狙う曲。
そしてB面は「裏を空けておくのももったいないので、おまけの意味で別にヒットはしなくてもいいから、とりあえず何か曲を収録しておこう」と、A面とB面にはっきりとした目的の違いがありました。
ですから、過去にヒットしたポピュラーミュージックの大半はA面の曲で、一般の人が好むポピュラーな曲が選曲されました。
それに比べ、B面の曲は、地味な感じの曲が大半を占めていました。
ビートルズのシングル・レコードのA面は、ほとんどが世界中でチャート・ナンバーワンを獲得しています。
ところが、そのB面にもとんでもない名曲がゾロゾロ並んでいるのです。
今回は、これらについてご紹介します。
なお、シングル盤はリリースされた国により違いがありますが、今回は、本国イギリスでリリースされたシングル盤を基準にしています。

ユー・キャント・ドゥ・ザット(1964年


ジョン・レノンの作品です。
A面は、ポール・マッカートニーの「キャント・バイ・ミー・ラブ」です。
ジョンの迫力あるボーカルが楽しめます。
間奏のリード・ギターは彼が弾いているのですが、チョーキング(弦を弾いた後にフレットを押さえている指で弦を引っ張り、音の高さを変えるギターのテクニックの1つです。ただし、これは和製英語で、正しくはベンドまたはベンディングといいます)をこれでもかというくらい激しく使い、強烈に歪(ひず)んだサウンドを出しています。
これにより自分の彼女に対し、「今度ほかの男とイチャついたらただじゃおかないぞ!」と怒っている主人公の気持ちをよく表しています。

今日の誓い(シングス・ウィー・セッド
・トゥデイ)(1964年)


A面は、映画の主題歌となったジョンの「ア・ハード・デイズ・ナイト」です。
ポールの作品です。
イントロでストロークされるアコースティックギターが、この曲の持つ切なくも力強い雰囲気をよくかもし出しています。
そして、ポールが抑揚を抑え淡々と歌うことにより、逆に曲全体に深い味わいと格調の高さを与えています。

シーズ・ア・ウーマン(1964年)


A面は、ジョンの「アイ・フィール・ファイン」です。
ポールがR&B風の曲作りを目指して制作した作品です。
この曲の決め手は、なんといってもイントロのジョンの2拍4拍のギター・カッティングです。
実に歯切れがよく、これ1発でリスナーの心をわしづかみにしてしまいます。
そして、実によいタイミングでベースとドラムが加わります。
また、力強いポールのボーカルがたまりません。
ピアノも実に小気味よいアクセントになっています。

アイム・ダウン(1965年)


A面は、ジョンの「ヘルプ」です。
ポールが敬愛していたリトル・リチャードの「ロング・トール・サリー」にインスパイアされて制作した曲です。
イントロなしでいきなりポールの天井をぶち破るかのような強烈なシャウトが響き渡ります。
ビートルズはこの曲が完成するまではロング・トール・サリーをコンサートの締めの曲にしていましたが、この曲が完成してからはそれに代えてこれが用いられるようになりました。
全編にわたってポールの高いキーによるボーカルと、力強いシャウトがふんだんに盛り込まれています。
動画は、アメリカ、シェイ・スタジアムでの野外ライブです。
このとき4人は、全員がとんでもなくハイになっていたにもかかわらず、パフォーマンスは素晴らしいものでした。
VOXオルガンの鍵盤を肘でグリッサンドしたジョンの演奏は、まさに圧巻というしかありません。
あんなことをしたら鍵盤が壊れてしまいかねませんが、それだけノリにノッていたということですね。

レイン(1966年)


A面は、武道館でも演奏されたポールの「ペイパーバック・ライター」です。
この曲はビートルズがアイドルからアーティストへと路線を変更したことを象徴する傑作の1つです。
ジョンの引きずるような粘っこいボーカル、ジョージ・ハリスンのキラキラしたリード・ギター、ポールのブンブンうなりまくるベース、そして後ノリの典型といえるリンゴ・スターの重量感タップリのドラミング。
この4つが合体することで、とんでもない傑作が生まれました。
特にリンゴのドラミングは、彼自身もビートルズ時代の最高のパフォーマンスと自画自賛し、彼の後輩の一流のドラマーたちからも絶賛されています。
軽快な明るいリズムを刻むというそれまでのロックドラムの常識を覆(くつがえ)し、新時代を開いた作品といえるでしょう。

アイ・アム・ザ・ウォルラス(1967年)


A面は、ポールの「ハロー・グッドバイ」です。
ジョンの作品ですが、こんな名曲がB面とはとても信じられません!
ビートルズも後期になると、シングルA面はほとんどがポールの曲でしめられるようになり、ジョンの曲はB面にまわされることが多くなりました。
ポールは大衆に好まれるポピュラーな楽曲を作らせると天才的な才能を発揮し、逆にジョンは、プロが好む複雑な構成の作品を好んで制作しました。
なので、どうしても一般受けが要求されるシングルA面は、ポールの作品が採用されることが多くなったのです。
特にこの曲は歌詞が難解で、翻訳をした人たちは皆一様に頭を抱えたでしょう。
なにせ「死んだ犬の目から滴(したた)る黄色いカスタードの膿(うみ)」など、全く意味不明の言葉が次々と並べられているのですから。
しかし、それが全体を通してみると、1つの作品として見事に成立しているのです。
まさに「吟遊詩人」ジョン・レノンの面目躍如(めんもくやくじょ)たるものがあります。
この一連の不思議な歌詞を巡っては、さまざまな解釈がされています。
しかし、どのような解釈をしたとしてもそれが正解かもしれませんし、間違いかもしれません。
人それぞれに受け取り方があっていいと思います。

レボルーション(1968年)


こんな傑作がB面などとは贅沢すぎますが、A面がポールの「ヘイ・ジュード」であったとすれば、それもやむをえなかったのかという気がします。
しかしあとから考えれば、時期をずらしてシングルA面としてリリースすればよかったのではないかと思います。
ジョンは、ギターを直接レコーディング・コンソールにつなぎ、チャンネルに過負荷をかけるという乱暴なやり方で強烈なディストーションをかけ、狂ったようなサウンドを出しました。
そんなことをしたらスタジオの機材がダウンしてしまう、とスタッフに反対されるのが分かっていたので、ビートルズは、スタッフの許可を取らず勝手にやってしまいました。
タイトルこそ「革命」と物騒ですが、ジョンは、歌詞で暴力的な革命を否定しています。
この曲がリリースされた当時は、東西冷戦の真っ最中でベトナム戦争も泥沼状態であり、世界全体が不安な時期でした。
ジョンは、ビートルズ解散後もヨーコとともに世界平和を訴え続けていくことになります。

ドント・レット・ミー・ダウン(1969年


ジョンの作品ですが、A面はこれまたポールの「ゲット・バック」です。
ビートルズが解散直前に、アップル本社の屋上でおこなったゲリラライブであるゲットバックセッションを敢行(かんこう)したときにジョンが演奏した曲の1つです。
ジョンがタイトルをコールするところは、本当に彼が魂から声を振り絞って叫んでいるように聞こえます。
また、ビートルズはめったに外部のミュージシャンをレコーディングに参加させませんでしたが、このときはジョージ・ハリスンがキーボードにビリー・プレストンを迎えました。
彼が弾いたフェンダー・ローズ・エレキピアノも、ジョンの腹に響く重厚なボーカルとは逆の軽快なタッチで、この曲に実によくマッチしていて聴きどころの1つです。

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