ヒトリエが『シャッタードール』で問
う。ボーカロイドが人間に近づく日は
近いのか?

なんでも出来る四次元ポケットを持った猫型ロボットはまだいないが、科学技術は格段に進歩し、今では機械仕掛けのPCソフトが歌姫として大勢のオーディエンスを前に歌をうたう時代となった。その楽曲をベテラン演歌歌手がカバーするなんて愉快なイベントも起きるし、そんな電子の歌姫を介して世に羽ばたいてゆくミュージシャンも多くいる。いわゆる「ボカロP」だ。

そんなボカロP出身のミュージシャンの中でも最近注目を集めているのが、wowaka率いる四人組ロックバンド「ヒトリエ」。wowakaは2000年代後期から2010年代初頭に数々の有名ボーカロイド曲を発表し、ボカロファンのみならずその名が知られたボカロPだった。

スピーディで中毒性のあるメロディに脳髄が渦を巻くようなシンセサイザー、実に「機械」らしいサイボーグのような舌を噛みそうな前のめりでキーの高いボーカルに哲学的かつ巧みな言葉遊びが散りばめられたその作風はシーンで独特な存在感を放ち、彼に憧れていると言うボカロPも未だ多くいるようだ。

そんな彼が電気仕掛けの歌姫と孤独に向き合うのと並行して、志を同じくする同志と共に新しく生み出す音楽とは、一体どのようなものなのだろうか。

ヒトリエの代表曲のひとつに、『シャッタードール』と言う曲がある。2015年にリリースされたシングルの表題曲であるこの曲は、冒頭からかっ飛ばすようなスピーディなシンセサイザーとシューゲイズしたコーラスが印象的なアップテンポな楽曲。今までのボカロP・wowakaをよく知る層もイントロの一小節目を聴いただけでわくわくするような疾走感とクールさを持ち合わせた楽曲だが、この曲には「人間」と「人形」の狭間のような存在であるボカロと共に音楽を作っていた彼らしい眼差しが表れている。




wowakaの何処か無機質でアンニュイな趣のあるウィスパーボイスで、こちらに語りかけるように綴られる歌詞は、ワンフレーズ目から哲学的で抽象的だ。如何様にも解釈できるような、敢えて突き放すような表現が散見されるため――歌詞からその楽曲の魅力を掘り下げてゆく音楽コラムなのだから、本末転倒だと言われてしまうかもしれないが――この楽曲の大意はリスナー各々が胸に手を当てて考えてみるのが正解な気がしている。

私には、この歌は「カメラマンと被写体である人形」の関係性を描いた物語に聴こえた。

主人公である「あたし」には目立った意志や指針など無く、ただ漠然とそこに存在している。その様子は、まるで意志の無い人形だ。
そんな、孤独な迷い子のように生きていた「あたし」にアイデンティティを与えた相手がいた。



「あなた」は、まぶたのフィルムに「あたし」を灼きつけるように瞬きを繰り返し、「あたし」はそれによってアイデンティティを灼きつけられる。まるで、ファインダー越しに演じる事によって自らの魅力や存在意義を知った被写体のようだ。
そんな「あたし」の叫び出したい程に狂おしい喜びの感情を、語尾の「!」や「忘れ去ってしまわぬように」「それだけでいいよ」などの言葉が生き生きと表現している。
また、歌詞だけでなく、一貫してスピーディでそのままボーカロイドの楽曲になっていてもおかしくない程にタイトだったサウンドが、サビに差し掛かると一瞬にして揺れ動くような官能的なリズムに変化する点にも注目だ。同じくある種ボカロ的とも取れる程に淡々としていたwowakaのボーカルも、狂おしげなファルセットを多用したグルーヴィなものとなる。サウンドや歌にも、無機質な主人公が有機性を身につける様がしっかりと描かれているのだ。

更に二番の冒頭では、「あたし」は「あなた」によって与えられた今まで経験した事の無い感情によって「見慣れない言葉たちを抱え込ん」でひとり項垂れる日々を過ごす事になる。
しかし、その反面で「あたし」にアイデンティティを与え、ただならぬ想いを寄せられているはずの「あなた」を、「あたし」は何故か「まるで人形だ」と言い表すのだ。



「あとは壊れるだけ」と投げやりになる程に人間らしく思い悩む「あたし」にとって、ファインダー越しに彼女の姿を受け入れ続けるだけの「あなた」が味気なく思えてしまうようになったのかもしれない。
ここで、冒頭の歌詞を振り返ってみよう。

この曲は、人形のように淡々と日々を送っていた存在が、唐突に「無法地帯」へ放り込まれる物語だと言える。その「無法地帯」とは彼/彼女にとっての非日常、つまり人形のような存在にとっては自分自身が意志を持った存在になってしまう事、逆に意志ある存在にとっては自分自身が人形や何かの部品のように扱われるようになる、と言う事だ。



皆さんも心当たりがあるのでは? 子供の頃は泣いたり笑ったり夢を見たりしていたのに、アイデンティティを失ったように毎日真面目に働いていたら、気がつけば「社会の歯車」と例えられるような大人になっていた、なんてこと。
反対に無機物である人形やロボットが「あたし」のように意志を持っているように見えることもある。何いきがってるんだろう。私達はしょせん、「境界線上の人間」なのだろうか?

ヒトリエのボーカルとしてデビューする前のwowakaが武器のひとつとしていたボーカロイドの存在も、あたかも人間のように歌をうたってみせるあたり「人形」と「人間」の狭間のようで少し怖い。今のところ、歌に投影された人間の心を完璧に再現出来るのは結局、感情を持ち、泣き、笑い、皮肉を言う人間の歌声や人間が奏でる楽器の音だけだと私は思っている。そここそが「人間」と「人形」の「境界線」である、と。
しかし、私にも時にボーカロイドの歌声がそのへんの十把一絡げのバンドボーカルよりもエモーショナルに聴こえることがあるのは確かだ。いつか『シャッタードール』の主人公のように電子の歌姫が感情を手にしたら、その確固たる「境界線」はいとも簡単に瓦解してしまう可能性だって否定はしきれないんじゃないか?

この曲は、最後、ひとり言のようなこんなワンフレーズで締めくくられている。

「当たり前だと思ってたんだ」

私達に「当たり前」に与えられた暮らしの一部だった「人間」と「人形」の「境界線」は、いつ突然に壊され、無法地帯に放り込まれてしまうのかわからないのかもしれない。


TEXT:五十嵐 文章

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