AKB 2代目総監督 横山由依が秘めてい
た想いを独白!!「AKB48になりたい、
夢のステージに立ちたい・・・」

横山は“アンバサダー”として、“安全・安心・快適”をはじめとする「ドリーム号」の“良さ”をより多くの人に伝える重要な役割を担うことに。このアンバサダー就任にあわせて、横山さんの候補生時代の想いやドリーム号の体験レポートなどが一挙に公開された!!
スペシャルサイト

「横山さん、独白」篇
URL:http://www.jrbus-dreamgo.jp/cm/#dokuhaku

「横山さん、独白」篇、では、横山由依さんが AKB48 の研究生になる前、候補生だったころのことを思い出し、語る内容となっている。

「AKB になりたい、ステージに立ちたい・・・」

「地方から来てるからできないとか思われたくない」

「何よりも自分に負けたくなくてがんばってたんやと思います」といった言葉に、横山由依の芯の強さがはっきりと見て取れる動画となってるので必見だ。

(以下、独白内容書き起こし)
候補生時代の夜行バス往復に関して
金曜日の夜に京都駅からバスに乗って、土曜日の朝に東京駅について。土日とレッスン受けて、でレッスンが終わったらまた夜行バスに乗って京都に帰る。研究生になる前の候補生やった頃は、毎週末そんな感じでした。

横山さんの夢に向かう原動力
あの頃は、AKB になりたい、ステージに立ちたいっていう夢だけが原動力で、ダンスも全然下手くそやし、大変やったけど、地方から来てるからできないとか思われたくないし、そんなん言い訳にならへんし。自分で勝手にやってることやから、何より自分に負けたくなくてがんばってたんやと思います。

ドリーム号との思い出
バスの中では、不安なこととか、落ち込むことのほうが多かったかなあ…でも、ドリーム号っていうバスに乗って通ってたんですけど、私にとっては、ほんまにドリーム号やったなって思います。

■「ゆいはんのグランドリーム号体験レポート!!」篇
URL:http://www.jrbus-dreamgo.jp/#syoukai

「ゆいはんのグランドリーム号体験レポート!!」篇では、「JR 高速バス ドリーム号」のポイントを元々ヘビーユーザーだった横山さんならではの目線で紹介。運転席での安全面の強化ポイントや各座席のクオリティなどを、実際に横山さんが体験しながら紹介する内容だ


横山由依さんのアンバサダー就任記念!
サイン色紙が当たる SNS キャンペーンを実施!!
公式アカウント @jrbus_dreamgo をフォローしてtwitter にハッシュタグ #JR 高速バスドリーム号その夢にエールをキャンペーン をつけて、「あなたの夢」を投稿しよう!

投稿者の中から抽選で 10 名様に横山由依さんのサインがあたります。
応募期間
2016年12月2日(金)14:00~
2017年1月11日(水) 20:00まで

■キャンペーン URL
http://www.jrbus-dreamgo.jp/cp/

横山由依さん特別インタビュー!
叶えた夢と、これからの夢。一番辛かったことと、嬉しかったこと。
―芸能界に入る前に持っていた夢は?

「幼稚園や小学校のときは、ころころ夢が変わるというか。看護師さんになりたいとか、ラーメン屋さんにいったらラーメン屋さんになりたい、とか、いろいろころころ変わる夢があって。

芸能界に入りたいと思ったのは、CHEMISTRY のコンサートを大阪城ホールで見たんですよ。それが私が人生で初めて見たコンサートだったんですけど、家族 4 人で見に行って、その時に、照明が消えたときの鳥肌が立つ感じが忘れられなくて、歌ってこんなにも人を感動させられるんだなと思って。

そこから、歌手になりたいなと志して、というのがきっかけで色々なオーディションを受けて、AKB にたどり着いたという感じですね」

―今はアイドルになれたわけで、一つ夢はかなったかなというところなのですが、今後、叶えていきたい夢は?

「もともとはソロの歌手になりたいと思って入ってきたので、厳密に言うとまだ叶っていない夢なんですけど。AKBの活動をしている中で、AKB48 としても叶えたい目標、先輩たちを超えたい。

漠然としていて、難しいんですけど、コンサートも、ドームツアーをまたやれたらいいなと思うし、たくさんの人にもっと愛されるグループにしたいなっていう夢があります。

それと、AKB の活動でコントとかドラマとか色々出させてもらっている中で、お芝居というか、女優業にも興味が出てきて、将来は歌える女優になりたいという夢が自分の中ではあります。新しく生まれた夢ですね、それは。」

―地方から通っていたことについて、秋元康さんから何か声を掛けられたことは?

「当時は研究生の候補生だったので、知られてなかったと思うんですけど、後々、雑誌のインタビューとかでお話した時に、『横山はそうやってがんばってきたんだね。そういう時があってよかったね』というのは、褒めてくれるというか。

本当にご飯とか、最近行っても、『でも横山は夜行バスで来たもんな』みたいな。人に紹介してくださるときも、『京都から夜行バスで通ってた子ですよ』という風に言ってくれたりとか、そこはすごく秋元先生の心にも残っているところなのかなとは思いますね。

バスで通っていた子は他にはいなかったですし、地方出身者のエピソードとして、『夜行バスで通ってたっていうのはすごく大変だったでしょう』って、みんなにすごく言われるんですよね。

当時私はがむしゃらで、AKB にまず入りたいっていう気持ちが、ほんとそれしかなかったので、大変だとかも感じてなかったんですけど、後々みんなから声をかけられて、『あれ、大変やったんかな?』って(笑)。」

―JR バスの思い出は?

「すごく快適でした!今だから言えるんですけど、母親が JR バスがいいんじゃないと言ってくれたのがきっかけで。当時は京都と東京との往復になるので、交通費が安くないと無理で、安いけど安心できるのは JR バスやな・・・・って。

だから JR バスを使っていましたね。今回のアンバサダーのことも話したらもうめちゃくちゃ喜んでましたね。当時は母の夢も乗せてた感じがありました。」

―芸能界に入ってから一番辛かったことと、一番嬉しかったことは?

「一番辛かったのは、この一年くらいは、悩んだというのかな・・・。AKB に入れて、研究生になれて、色んなステージに立ったり色んなことをやらせてもらって、チャンスをいっぱいもらってたときも、もらい始めた頃も、相談できる相手がいなくて辛くて…。

ラーメンを夜中に食べたりとかに逃げてて、そういう意味では辛かったんですけど(笑)、言える相手がいなくて。

それが進んできて、今はグループの総監督になるってなったときに、先輩もいて、後輩もいて、大人数の女の子の中で人をまとめるということの大変さと、それを、たかみな(高橋みなみ)さんっていう先輩が、どれだけいろんなことを一人でやってくれてたかっていうのを感じて、自分の無力さにすごく悩んだ一年だったんですけど。

『私はこれだけ考えてできなくて無力で』というのを後輩に吐き出した時に、手を差し伸べてくれたメンバーとスタッフとファンの方がいたことが、一番嬉しくて。この一年で、辛いことと嬉しいことが一気に来たというか。

自分ができなかったことで、救われたことがいっぱいあったなっていうのはありました。人の相談に乗るのはすごく好きなので、悩んでそうだったら後輩の話を聞いたりとかしますね。悩んでそうだったら『ご飯行こう』って言ったりとか。

今は悩みの時期が過ぎて、人生楽しまないといけないなっていう風に思ったので(笑)。悩んでいるのがもったいないっていうか、『次々、がんばろう!』みたいな、もっともっとポジティブになりましたね。」

―初めてドリーム号に乗ったときの気持ちを覚えていますか?

「東京に通うってなったときに、母親の一言があってドリーム号がいいってなって。京都から通うときはやっぱり不安な気持ちの方が大きくて、レッスンで周りの子がみんなできたりするから、帰りのバスではすごいへこんで、悔しくて…通う時間が長い分、みんなはこの時間家で練習してるんやろな、とか思うと、自分はどうしたらその時間を埋めれるかなとか考えた時に、ドリーム号の中で立ち位置表見て、自分の頭の中でイメージトレーニングしたりとか、曲を聞きながらもう 1 回振り返ったりとか。

如何にしてその時間をドリーム号の中で埋めるかっていうのを考えてました。一番有意義な時間がバスの中かもしれないですね。一番この時間がみんなに負けてる、って思えたから、がんばれた時間かもしれないですね。」

―夜行バスの印象的なエピソードは?
「学校の友達とかに、候補生の時代だったので一切言ってなかったんですよ。先生にだけは言ってたんですけど、月曜日の朝にちょっと、どうしても遅れていかなければならなかったりとかすることも、秘密にして寝坊したことにしてて。

一番仲がいい友達にも全くいってなかったので、その学校を辞めるっていう日に、次、何日に上京するよといって去っていったぐらいの感じなんですよ。一番仲良かった友達が最後の日、私が京都から東京に行くという日に送ってくれて。

それもバスで行ったんですけど。その時に親友の子が手紙を書いてくれて。バスの中で読んだっていう覚えがあります。」


―これから上京する人や、今地方から東京に通っている人にエールをお願いします。

「より一層、地方から上京される方って想いが強いと思うんですよ。私の経験で言うとやっぱり、人よりもこう、遠くからきてるからよりがんばろうとか、もっと自分自身は負けてられないなっていう想いがあったし、受験で来る学生も、そういう気持ちがあると思うし、更にその先、合格した先には、東京での夢の生活が待っているわけなので、本当にこのバスの名前じゃないですけど、ドリーム号に乗って、夢を掴むっていうのは素敵なことだと思うし、これからも、私も 7 年前の話なので、ずっと語り継げる自分の中の思い出にもなると思うし。

地方に住んでるっていうのは、将来自分の誇りになることだと思うので、遠くて大変だとは思うんですけど、乗り心地もよくなってるから(笑)、大丈夫だと思います、がんばってください」

UtaTen

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