沢田研二
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沢田研二サワダケンジ
日本のデヴィッド・ボウイ——それが沢田研二である。特に70年代中盤から80年代前半にかけては、シングルをリリースする度に大胆なヴィジュアル・コンセプトを打ち出し、「歌謡ロック」の限界を押し広げながら、時代の中を縦横無尽に泳いでいた。
「勝手にしやがれ」で男の沽券とダンディズムを復活させ、「TOKIO」ではテクノポップを先取り——なんと電飾パラシュートまで背負ってみせた。特にエキゾチックスを率いてからは、「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」や「晴れのちBLUE BOY(ツー・バスのどこどこ具合がまんまアダム・アンド・ジ・アンツ!)」といった曲で、UKニューウェイヴやニューロマンティックスに大接近し、佐野元春や大沢誉志幸といったアーティストをいち早く起用する先見性も見せつけた。
彼のもっとも優れている点は、旧体質のゲーノー界において自らの武器である誘惑的に甘いルックスと声を俯瞰で見据え、「“やりたいこと”と“売れるためのポップ性”」を絶妙に舵取りしていたことだろう。斬新なファッションやメイクと共に変身していきながらも、常にマジョリティを置き去りにしないフックと上品さを身にまとっていたのだ。
また、役者としてもドラマ『悪魔のようなあいつ』や映画『太陽を盗んだ男』『魔界転生』『ときめきに死す』といった作品できらめくような存在感を放っている。
現在でもコンスタントに作品を発表しながら、舞台などでも活躍。——67年にザ・タイガースでデビューして以降、常に時代と肩を組んできた彼は、永遠に「ジュリー」の愛称が似合う至高のソロ・アーティストだ。
「勝手にしやがれ」で男の沽券とダンディズムを復活させ、「TOKIO」ではテクノポップを先取り——なんと電飾パラシュートまで背負ってみせた。特にエキゾチックスを率いてからは、「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」や「晴れのちBLUE BOY(ツー・バスのどこどこ具合がまんまアダム・アンド・ジ・アンツ!)」といった曲で、UKニューウェイヴやニューロマンティックスに大接近し、佐野元春や大沢誉志幸といったアーティストをいち早く起用する先見性も見せつけた。
彼のもっとも優れている点は、旧体質のゲーノー界において自らの武器である誘惑的に甘いルックスと声を俯瞰で見据え、「“やりたいこと”と“売れるためのポップ性”」を絶妙に舵取りしていたことだろう。斬新なファッションやメイクと共に変身していきながらも、常にマジョリティを置き去りにしないフックと上品さを身にまとっていたのだ。
また、役者としてもドラマ『悪魔のようなあいつ』や映画『太陽を盗んだ男』『魔界転生』『ときめきに死す』といった作品できらめくような存在感を放っている。
現在でもコンスタントに作品を発表しながら、舞台などでも活躍。——67年にザ・タイガースでデビューして以降、常に時代と肩を組んできた彼は、永遠に「ジュリー」の愛称が似合う至高のソロ・アーティストだ。
沢田研二のニュース
- 佐藤仁2023年06月01日
- SPICE2023年05月10日
- 全日本歌謡情報センター2023年03月17日
沢田研二の連載コラム
- OKMusic編集部2022年09月05日
- OKMusic編集部2015年11月04日
曲・アルバム
un democratic love - EP
2016年03月11日リリース
アルバム・4曲- 1 un democratic love
- 2 福幸よ
- 3 Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より
- 4 犀か象
un democratic love - EP
こっちの水苦いぞ - EP
三年想いよ - EP
Pray - EP
3月8日の雲~カガヤケイノチ