「小さな命を守ろうとする力が“新しいつながり”を生んだ」―『あの日 生まれた命』チーフ・プロデューサー 板垣淑子氏インタビュー
番組のチーフ・プロデューサーを担当したのは、これまで「ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜」(2006)や「無縁社会〜“無縁死”3万2千人の衝撃〜」(2010)等の話題作を手掛けてきた板垣淑子氏。震災から3年、今回の番組に込められた思いについて聞いた。
――はじめに、番組が企画された背景について聞かせてください
これまで東日本大震災を伝えるといった場合、あの日失われた命に対する追悼の思いや、原発事故や津波で失われた故郷の問題を描くことが多かったと思います。
その中で震災から3年目を迎えて、復興への歩みを少しでも前に進めたいという思いから、「あの日に生まれた命があったんだ」ということを、ポジティブに伝えていきたいと思いました。それによって、悲しみを背負い続ける方々に対しても、元気付けられるメッセージが発信できるのではないかと考え、番組を企画しました。
――企画が動き出したのはいつごろですか
震災から2年が経った頃から考え始めていました。あの日、どのくらいの命が生まれたのかも分からなかったため、そこから取材がスタートしましたね。
――110人の赤ちゃんとご家族への取材はどのようなものだったのですか
記者やディレクターが、一人一人の住所を掘り起こしてコンタクトを取っていきました。実際にお会いできたのは半数くらいです。お一人ずつ、顔を合わせてお話を聞かせて頂きました。
――実際に取材が進んでいくなかで、どのようなことを感じられましたか
取材の状況をつぶさに見ていて感じたことは、子供が誕生するということは親にとっては最大の喜びであるはずなのに、震災の日に生まれたということで、多くのお母さんたちが非常に複雑な思いを抱えているということですね。特に身内の方を亡くされている方や、大切な友人を亡くされている方の中には、3年経ってもまだその苦しみから抜け出せないという方が多くいらっしゃいました。私たちは、その「複雑な思い」をきちんと伝えなくてはいけないと強く感じました。
――番組内容について、記者やディレクターの方々とは、どんなお話をされましたか
この複雑な思いを伝えるにはどうすればよいか非常に悩みましたし、議論も重ねました。「ご家族の思いに寄り添いながらも、前に進んで行く力となる番組にするにはどうすべきか」と、常に考えていました。
――番組で紹介される、ご両親からわが子に宛てた手記も印象的です。手記全体を通して、共通していたメッセージはありましたか
番組でもご紹介しているのですが、「生まれてくれてありがとう」と言う言葉があります。それは、ほとんどの方の手記に書かれているんですね。どんな状況で生まれても、その後どんな苦難を抱えることになっても、その思いだけは共通しているんだなと感じました。実は、私たち自身も取材を進めていく中で、子供たちに対して「生まれてくれてありがとう」と言う気持ちにさせられる瞬間が何度もありました。番組を制作する原動力にもなった言葉です。
――ドキュメンタリーの「演出」に関して、心がけたことはありますか
それで言うと、今回の番組では、なるべく演出を排除して作りたいなと思いました。親から寄せられた手記の言葉やホームビデオの映像を多用したのも、ご本人の思いをそのままストレートに伝えたいという思いからです。その方が、イメージカットや演出を駆使する映像よりも、大きな力を持っていたからです。ありのままの事実を伝えるという番組作りを心がけました。
――板垣さんから見て、この3年間の子供とご両親の関係はどのように映りましたか
取材を通して感じたのは、親が子を守り抜いた3年間であると同時に、「子供たちが親を癒した3年間でもあるな」ということです。子供の成長や、日々見せてくれる笑顔が、親の支えになっていたんだと思います。
――これまで『無縁社会〜“無縁死”3万2千人の衝撃〜』などの番組も手がけられていますが、「人とのつながり」について感じたことはありますか
はい、少し変な感情かもしれないんですけど「日本人って捨てたもんじゃないな」と言う気持ちになりました。地域の方々が、ご自身の家族を亡くされているなど、大変な状況にもかかわらず、目の前の赤ちゃんを助けるために奔走していたんですね。そうした地域の人たちの強い「つながり」が命を守り抜いたということを、見ている人にも感じて頂ければと思います。
――今回の番組制作を通して、板垣さんが新たに発見した「つながり」はありましたか
そうですね。未曽有の災害で誰もが孤立していた時、小さな命を守ろうとする力は、その瞬間に「新しいつながり」を作っていたのではないか、と思いました。子供たちの「生きていたい」という無邪気な姿が、周囲の大人たちを動かしていていたんですね。
私は、あの時に手を差し伸べた方々も、子供が育っていく姿に勇気づけられ、前に進む力をもらっているのではないか、と感じています。
その意味で、被災地で生まれた子供を通じて、地域のつながりが育まれた3年間でもあったのだと思います。
――最後に、本日番組をご覧になる視聴者のみなさんにメッセージをお願いします。
私たちも、震災の記憶を風化させてはいけないという気持ちを強く持っています。失った命は背負っていかなければいけないですし、あの日の悲しみは決して忘れてはいけません。その中で、今回の番組が将来に向けて、少しでも歩みを進める力になれたらいいなと思います。
また、被災地に暮らしている方以外にも困難や逆境にある方っていらっしゃると思うんですけれども、そういう方々があの中で育まれてきた命を見ることで、明日からも頑張ってみようかなと思ってくれたら嬉しいですね。