『ribbon』に見る、
音楽シーンを変えた女性シンガー、
渡辺美里の巨大な才能
歴代5位、8年連続アルバム1位
まず、多くの方がよく知る渡辺美里の偉業となると、8年連続アルバム1位獲得と、20年間連続での西武スタジアムライヴが挙げられる。前者は松田聖子、中森明菜らと並んで歴代5位タイであり、実に9作品が1位を獲得しているのだから、彼女が国内屈指のアルバムアーティストであることは間違いない。そうと言うとご存知ない方はアルバムしか売れていないといった印象を受けるかもしれないが、当たり前のようにシングルヒットも多い。シングルで1位を獲得したのは2作品のみとアルバムに比べて少ないので、彼女の記録を語る時はアルバムに話が及ぶことが多いのだろうが、2位となったシングルは何と8作品もあるのだ。これは十分な数字だと思う(余談だが──昔、某政治家が“2位じゃダメなんでしょうか?”って言っていたが、その意味では2位じゃダメなこともあるような気もする)。
西武スタジアムで20年間連続ライヴ
最初に西武スタジアム(当時は西武ライオンズ球場、現:メットライフドーム)公演を行なった1986年の夏には、この他に大阪スタヂアムと名古屋城深井丸広場でもコンサートを開催しているのだが、これが女性ソロシンガーが行なった国内初のスタジアムライヴ。しかも彼女が20歳になったばかりの頃である。アイドル全盛期の今では10代の女の子がスタジアムクラスでコンサートを行なうことは珍しくなくなったが、それと比較したとしても、20年間も連続で行なったのだから、まさしく偉業と言える。ちなみに1986年の音楽市場での年間売上金額の記録は中森明菜、レベッカに次ぐ堂々の3位。この年は完全に渡辺美里のものだった。
小室、木根、岡村、伊秩らが楽曲提供
2ndアルバム『Lovin' you』(1986年)ではその小室哲哉、岡村靖幸が大半の楽曲を手掛け、3rdアルバム『BREATH』(1987年)には、その後、SPEEDの音楽プロデューサーとなる伊秩弘将、彼女の高校時代の先輩だった清水信之、佐橋佳幸も作曲に参加している。こうした背景には所属レコード会社であったEPIC・ソニー(現:エピックレコードジャパン)の戦略、意向があったのだろうが、それはその後の彼らの成功を見ればこの上なく見事にハマったと言える。当時の新進アーティスト、コンポーザーと組むことで、渡辺美里自身のポテンシャルが上手く引き出され、それが広く認知されたのだ。
歌謡曲全盛期のシーンに楔
渡辺美里はソロシンガーではあったものの、彼女に楽曲を提供したコンポーザーやアレンジャーのカラーを考えるまでもなく、そのサウンドはロックである。ソロシンガーであるゆえに渡辺美里の登場とブレイクがバンドブームと結び付けられることはこれまでほとんどなかったように思うが、事実を考えれば、渡辺美里の成功がのちのバンドブームを呼び、業界のブレイクスルーの一端を担ったという見方はそんなに突飛なものでもないのではないだろうか。これは記録に残っていることではないが、渡辺美里の偉業として捉えてもいいと思う。
リカットの多い洋楽的なヒットアルバム
本作にはシングル曲が多く収録されている。とは言っても、M2「恋したっていいじゃない」は先行シングルであり、M1「センチメンタル カンガルー」とそのカップリング曲であったM8「ぼくでなくっちゃ」、M11「10 years」はアルバム発表後のシングル発売、所謂シングルカットであるので、その容姿はベスト盤的だが、洋楽によくあったリカットの多いヒットアルバムに近いもので、シングルに耐えうる楽曲を多数収録していたマルチな作品と見た方がよかろう。オープニングのM1「センチメンタル カンガルー」~M2「恋したっていいじゃない」からして当時の彼女のアーティストとしての勢いと、前述したロックテイストが全開で、掴みはバッチリという印象だ。
ファンキーでキレが良くて、ちょっとOlivia Newton-Johnを彷彿させるサウンドのM1から入り、疾走感とポップさを同居させた、のちのガールポップのひな型ともなったようなスタイルのR&RであるM2につながる構成はお見事。アルバムの世界観、ひいては渡辺美里のアーティスト性にグッと引き込まれる。M3「さくらの花の咲くころに」がミディアム~スローで、アップチューンが連続しすぎないというのも、少なくともこの時代は適切であったように思う。抑制の効いた歌の旋律は奥ゆかしさがあり、M4「Believe(Remix Version)」での転調するが抑揚は薄く、そうかと思えば突然高音域に突入することもある、所謂小室メロディーとは真逆な印象だが、この辺りはそれをともに歌いこなす、シンガー、渡辺美里の実力を感じさせるところでもある。M3ではフィル・スペクター風、M4ではニューウェイブ的なギターと、タイプの異なるスタイルが連なるのも楽しいところだ。
岡村臭をも糊塗する美里らしさ
前述のM4「Believe」、M10「悲しいね(Remix Version)」の小室メロディーにしても、それを認識した上で聴くとこれもどう仕様もなく大江千里が作るサビメロであるM11「10 years」にしてもそうで、彼女が歌うとどんなメロディーでもそれは渡辺美里の歌になるのである。ありふれた言い方で恐縮だが、作家陣が多彩なだけに本作は渡辺美里のシンガーとしての存在感を強調しているようでもある。
潜在能力を引き出した多彩なサウンド
メロディーと歌唱はいかにも渡辺美里だが、(言い方は変だが)音作りはそれに迎合していないというか、イントロでヒップホップ的なサンプリングを含めて、いろいろと試みていたことがうかがえる。こうしたチャレンジ精神が垣間見えるところも『ribbon』の良さであるし、その姿勢がアーティスト、渡辺美里の潜在能力を引き出し、のちにつなげていったのではないかと想像する。
まるで職業作家のような堂々とした作風
《ひとつのサヨナラに/キミは憶病にならないで/いつものキミになれるまで/自由に生きることさ/夢を夢のままでは終わらせないでいて/人は違う傷みに胸しめつけられて/この河の流れを 越えてゆく》(M4「Believe」)。
《空にのびるビルディング 新しいシャツで/肩にぶつかる人の波 歩いて行く/街をかざるウィンドウ あの頃を映す/長い一人の夜 ぼくを変えてゆくよ》(M5「シャララ」)。
《一番の勇気はいつの日も/自分らしく素直に生きること/白い雪 目の中におちてくる/君以外 見えなくなる》(M10「悲しいね」)。
これもまた彼女の歌声とメロディーがそれを力強く後押ししていることは間違いないが、ものすごく堂々とした印象がある。M10にしても《悲しいね さよならは いつだって/悲しいね ひとりきり いつだって》からしてどう聴いてもロストラブソングなのだが、《君に泣き顔みせないように/後ろ向きで手をふるのは 何故》と綴っているのだ。こちらのほうが“何故”と訊きたくなるくらい、歌詞の主人公は凛としている。しかも、それと同時に、《国道沿いの街路樹へと 風がゆれる/かじかむ手のひらに 冬が近づいてる/人のこころのあたたかさに/情けない程 ふれたいのは 何故/踏切の音にわけもなく 涙があふれだす》と、風景や温度、音をそれと特定しない形でしっかりと入れ込んでいる。これは不特定多数のリスナーにとってかなり感情移入しやすいものだろう。この時、彼女はまだ20代前半だったはずだが、その作風は職業作家のような老獪さすら感じさせるもので、改めて渡辺美里の巨大な才能を感じるところである。
TEXT:帆苅智之
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