【インタビュー】MINAMI NiNE、キャッチーなメロディーや洗練されたアレンジ、良質なプレイなどが詰め込まれたEP『LINKS』
宮崎発の新たなメロディック・パンク・バンドの旗手として、注目を集めているMINAMI NiNE。彼らの最新作であると同時に、メジャー・リリース第一弾となるEP『LINKS』が10月10日にリリースされる。キャッチーなメロディーや洗練されたアレンジ、良質なプレイなどが詰め込まれた同作は、パンクという枠を超えた独自の魅力を湛えていることが印象的だ。『LINKS』のリリースを機にさらなるスケールアップを果たすことを予感させるMINAMI NiNEのメンバー3人に、それぞれの音楽的な背景やMINAMI NiNEの音楽性、『LINKS』についてじっくりと話を聞いた。
■感謝すべきは家族や友達、自分達を応援してくれる人、バンドのスタッフ
■縁や絆、つながりをテーマにしようと決めて制作に取りかかりました
――まずはMINAMI NiNE結成のいきさつを話していただければと思います。
ヒロキ:元々は僕とギターのワラビノは地元の高校の同級生で、一緒にバンドをやっていたんです。そのバンドで上京して25歳まで活動していたんですけど、解散することになってしまって。でもバンドをやりたいなという気持ちがあったので、ワラビノと新しいバンドを作ることにして、暇そうにしていた地元の先輩のスケロクを誘って(笑)、2011年にMINAMI NiNEを結成しました。
――近くに同郷のスケロクさんがいて良かったですね。皆さんの音楽的な背景なども教えていただけますか。
ヒロキ:最初に音楽に興味を持ったのは、中学の頃でした。物心ついた頃から僕の家には親父が昔弾いていたギターがあって、親父は酔っぱらうとそのギターを弾くんですよ(笑)。それを、子供の頃からずっと見ていて、自分もギターを弾いてみたいと思うようになって、親父に教えてもらいながら、親父が持っていたスコアを見てフォークソングを練習するというところから入りました。
――なるほど。フォークの弾き語りから始められたんですね。
ヒロキ:いや、その頃は歌いたいという気持ちはなくて、ギターの練習をしていました。そのあと、すぐにベースをやることになるんです。クラスメイトでバンドをやろうという話になって、ベースがいなかったんですよ(笑)。ただ、ベースは持っていなかったので、お年玉が入るまでずっとフォークギターでベースの練習をしていました(笑)。その年の正月にベースを買って、ちゃんとベースをやるようになりました。そのバンドはBLANKEY JET CITYさんのコピーバンドだったんです。彼らと出会って、そこからロックとかバンド・サウンドに入っていった感じでしたね。
ワラビノ:僕は、中学生だった頃に僕の姉がつき合っていた彼氏がギターを弾いていたんです。それで、僕もギターを弾きたくなって、その人に習ってギターを始めました。その後、高校生になったときが青春パンクやGOING STEADYさんが流行っていた頃で、そういう音楽を知ってバンドに興味を持つようになって。で、高校1年のときヒロキと出会うんですけど、その時点で彼はもうオリジナルを作っていたんですよ。それで、一緒にバンドをやるようになるんですけど、その頃はまだ歌っていなくてベースだったよね?
ヒロキ:うん。
ワラビノ:そのバンドのボーカルが脱けて、いつの間にかヒロキがボーカル&ベースになっていました(笑)。
ヒロキ:ライブが決まっている中でボーカルがやめてしまったので、もう自分が歌うしかないと思って。自分の中では結構大きな決断だったけど、今となっては歌うようになって良かったと思います。
ワラビノ:俺も、そう思う。