「どうする家康」第7回「わしの家」
一向宗との対立から見えてくる本作が
目指す家康像【大河ドラマコラム】

(左から)石川数正役の松重豊、酒井忠次役の大森南朋、松平家康役の松本潤 (C)NHK

 「妻や子だけでなく、家臣や民も皆、親であり、子であり、きょうだいであると、殿はそうお考えだそうじゃ。この三河という家を安らかなものにしたい、その意味を込めての家康」
 NHKで放送中の大河ドラマ「どうする家康」。2月19日に放送された第7回「わしの家」で、名を“元康”から改めた主人公・松平家康(後の徳川家康/松本潤)の「わしはこの三河を一つの家だと考えておるんじゃ」という言葉に続けて、石川数正(松重豊)がそこに込めた思いをこう説明した。
 だがこの直後、家康はその思いを試される大きな壁にぶつかる。それが、一向宗との対立だ。
 広く民衆の支持を集める一向宗のうわさを耳にした家康は、その実情を知るため、本多忠勝(山田裕貴)らと共に百姓に変装し、彼らの拠点・本證寺に潜入する。
 そこは戦乱の世から隔絶されたように穏やかににぎわっており、住職の空誓(市川右團次)を慕う貧しい農民から松平の家臣まで多くの人々が集まっていた。だが家康は、度重なる戦による財政難もあり、一向宗の寺からそれまで免除されていた年貢を取り立ててしまう。
 これには妻の瀬名(有村架純)も「三河は一つの家でございましょう?」と疑問を呈したように、家康自身の言葉に照らして、果たして正しい行為だったのか。結局、領主である自分だけに都合のいい家に過ぎなかったようにも思えてくる。その結果、一向宗側の反発を招き、一向一揆を引き起こすことになった。
 次回、家康はこの一揆をいかに収めるのか。それを考える上で振り返ってみたいのが、同じく家康を主人公にした大河ドラマ「徳川家康」(83)だ。一向一揆の扱い方を比較すると、「どうする家康」の特徴がより浮き彫りになるからだ。
 「徳川家康」では、一向一揆は家康側のみの視点で、単なる反乱として描かれ、その発生から終結まであっという間。その発端となる出来事を丁寧に描き、結論を次回に持ち越した「どうする家康」とは大きく異なる。さらに「徳川家康」では、一揆を鎮圧した家康(滝田栄)が、事件をこう振り返っている。
 「数正、余はこたびの一揆で、つくづく反省したぞ。余を含めて、人間とは弱いもの。が、乱世に一国を率いて立つ者は、弱さに迷う者のためにも、強くならねば相成らん。その強さこそが、指導力になっていくのじゃ。それがよう分かった」(「徳川家康」第10回「三河一向一揆」より)
 このせりふからは、一向一揆は家康が強い指導者になるためのステップだったという印象を受ける。
 また、“家康”への改名のくだりも、「徳川家康」では同じ回に「“元康”の“元”は亡き義元公の名乗りの一字。駿府とはっきり手の切れた今日、“元”の字はお返ししたいと仰せられ、“家康”と名乗られたは、誰の力も借りずに、松平の家、安かれと、わが力に頼るお覚悟のほどかと存じまする」と石川数正(江原真二郎)が瀬名(池上季実子)に語るのみ。「どうする家康」のような、「三河は一つの家」という考えはない。
 ここから想像できるのは、家康が「三河は一つの家」と語り、一向宗を信奉する貧しい百姓たちの姿も丁寧に描いた「どうする家康」が目指すのは、強い指導者ではなく、弱者に寄り添う指導者としての家康ではないかということだ。
 そう考えると、さまざまなことがふに落ちてくる。家康自身が“か弱きプリンス”であること、服部半蔵(山田孝之)率いる忍者たちが、社会の底辺に生きる者たちであること…。いずれも“弱者”というキーワードで一つにつながってくる。
 だが、これは、あくまでも筆者の想像に過ぎない。今回、一向宗の寺から強制的に年貢を取り立て、“か弱きプリンス”とは裏腹の権力を誇示してしまった家康は、この危機をいかに乗り越え、どんな指導者へと成長していくのか。三河一向一揆は、三方ヶ原の戦い、伊賀越えと並ぶ「家康の三大危機の一つ」とも言われる。その運命を左右する次回が楽しみだ。
(井上健一)

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