【Yellow Studs インタビュー】
人知れず辿り着いた、ロックの極み

上段左から高野 玲(Dr)、奥平隆之(Gu)野村良平(Gu&Cho)
/下段左から野村太一(Key&Vo)、植田大輔(Ba&Cho)

結成18周年を迎えたYellow Studsが、2月10日に自身初となるカバーアルバム『brand new old days』をリリースした。コロナ禍と呼ばれる苦境が世界的に蔓延している今、彼らはなぜカバーアルバムをリリースしたのか? その問いを野村太一(Vo&Key)に投げかけたのだが、そこから3月17日発売のオリジナルアルバム『DRAFT』までつながっていく話は、想像以上に深くてミニマムな、ひとりの人間の人生の話だった。

音楽から逃げられなかったし、
逃げたくなかった

Yellow Studsとしては初の試みとなるカバーアルバムを、この時期に制作しようと思ったのはどうしてですか?

「もともと作る予定はなかったんですけど、アコースティックの形態で名曲のカバーもやっていたYouTubeでの配信ライヴを観てくれた会社の方が声をかけてくださったんです。決まっていたのは“アコースティックで、どこまでカッコ良くできるか?”ということだけでした。今作に関してはコンセプトやアルバムタイトルも含め、ほとんどのプロデュースをその会社の方に一任したんです」

ずっとセルフプロデュースでやってきて、“孤高”とも呼べるような活動をされてきたYellow Studsですけど、そこに葛藤はなかったんですか?

「まったくなかったです! そもそも僕らは誰かにプロデュースしてもらいたかったんですよ。セルフプロモーションで18年間やってきたんですけど、最初に“完全無所属”という言い方をしてしまったがために、本意とは異なる意味でとらえられてしまったんですよね。そんなに尖ってないのに、超嫌な奴らに見えちゃってると思いますし(笑)。まぁ、カッコつけと照れ隠しが混じっちゃったんです」

意外でした(笑)。楽曲に関してはどのように決めていったんですか? バラエティーに富んだ7曲になっておりますが。

「「メロディー」は満場一致で決定したんですけど、それ以外は“古くて、いい曲”というコンセプトに則って、みんなが知っているような楽曲を選びました。「LET IT BE」は子供の頃に初めてピアノで弾いた曲でしたし、自分のルーツも反映されている選曲になっていると思います。「Raining」は元恋人がよく聴いていたのを思い出して選び、「ルパン三世のテーマ」も自分がよくカラオケで歌っていたという理由ですしね」

では、選曲に関しては肩の力を抜きつつ、個人の思い出も含めてフラットに出てきたものなんですね。アレンジに関してはどうでした?

「制作にかけた時間は短かったですね、2カ月くらいです。18年もやっていると、ちょっとはうまくなるんでしょうね。でも、完成した作品を聴いて振り返ってみると、“バイオリンすげえな”とか、“ベースいいな”とか、ギターは何もやってねえな(笑)とか思いつつ、純粋に楽しんでやれたと思います。もしかしたら、今までが気張りすぎていたのかもしれないですね。“自分が経験していないことを歌うのは嫌だ”と思いながら、これまでいろいろなことを歌ってきたんですけど、『brand new old days』はそういった気負いをせずに作れました」

3月17日にはアルバム『DRAFT』もリリースされましたが、そちらの制作期間と被ってはいなかったんですか?

「被ってはいないです。だから、『brand new old days』を作ったことで、アルバム制作に対してもうまくエンジンがかかった感じでした。制作期間がコロナ禍ということもありましたけど、僕自身が解離性同一性障害・内在性解離という病気になったんです。その頃は正直言って音楽がどうかというよりは、生きるか死ぬかを彷徨う日々を過ごしていましたね。俗に言う多重人格なんですけど、悲観的になっていないとはいえ、意識とは裏腹に、とにかく身体が言うことを聞かなくなるんですよ。突然視界が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり。その状態でよく頑張ったと思いますし、“こんな状態でも音楽はできるぞ”という自信を持てた制作ではありました」

太一さんにとって『brand new old days』は音楽を楽しむという原点回帰的な意味合いも大きかったんですね。

「あぁ、まさにそうですね。18年という長い時間を懸けて音楽一本でやっていても、自分たちはあんまり売れていないという実感もあるし、有名になるっていう夢はもう持たなくていいんじゃないかと思ったんです。“諦めなければ夢は叶う”というのは事実だとは思いますけど、“諦めなくても夢が叶わない場合もある”というひとつの答えが出たし、“じゃあ、もう自分たちの好きなようにやろう!”と思っていた矢先の依頼だったんです」

“売れたい”という意識は活動の最前線にあったんですか?

「2017年くらいまではありましたね。その頃に僕がうつ病で処方された薬でBZD中毒を起こしてしまったです。そこから抜け出すのに2年かかったし、その時は“なぜ自分は音楽をやっているんだろう?”と思ってしまっていたんです。さらに今回、多重人格という診断をされて、“あぁ、もう一回闘うのか”と思いましたね。でも、音楽から逃げられなかったし、逃げたくもなかったんです」

太一さんにとって音楽は救いだと思いますか?

「うーん、救いであってほしいですね。まだ答えは出ていないですけど、今この時点では、音楽で苦しみ、音楽で楽しむ、ただそれだけですね。正解や不正解はないです」

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