L.Aのローカルバンドだったイーグル
スが、世界で認められたアルバム『呪
われた夜』

ウエストコーストロックの代表として、大いに人気を集めていたのは確かであるが、3rdアルバム『On The Border』(’74)までは、L.Aのローカルバンドに過ぎなかったイーグルス。そんな彼らが世界に羽ばたくきっかけとなったのが4thアルバム『One Of These Nights』(邦題:呪われた夜)だ。イーグルスと言うと5thアルバムの『Hotel California』(’75)ばかりに注目が集まるが、実は本作こそが、イーグルスらしさを残しつつ、世界中のロックファンにアピールした名盤だ!

 当初のリーダー、バーニー・レドンは、そのディラード&クラークとフライング・ブリトー・ブラザーズに在籍、ランディー・マイズナーはポコのベーシストであっただけに、カントリーロック・ファンにとっては、イーグルスはスーパーグループのひとつでもあったのだ。ただ、この2人に比べると、グレン・フライは超マイナーレーベルのエイモス・レコードから『Longbranch/Pennywhistle』(’70)を、ドン・ヘンリーも同じくエイモス・レコードで『Shiloh』(’70)をリリースするものの、まったく注目されずに終わっていた。
 イーグルスの人気が高くなってきたころ頃、輸入盤専門店で、これら2枚のアルバムが出回るようになり、僕はその時に入手した。版権の問題からであろうが、未だに正規のCD化はされていない。これらのグループには、イーグルスのアルバムにもゲスト参加する、J.D・サウザー、アル・パーキンス、ジム・エド・ノーマンらの顔も見えるし、ジャクソン・ブラウンもこの時代から彼らと付き合いがある。

アサイラム・レコードからデビュー

 西海岸ならではの、カラッとした爽やかさのあるサウンド、メンバー全員がコーラスし、土臭い香りがするような彼らの音楽スタイルは、実はイギリス人プロデューサーのグリン・ジョンズの思い描いた音作りだと言われている。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ジョー・コッカーなどを手がけた大物プロデューサーだけに、グループの本質を掴むことが上手であったのだろうと思う。アメリカ西海岸でレコーディングしていたら、これほど西海岸らしく仕上がらなかったかもしれない。イーグルスのデビュー盤は、アルバムの完成度でいうと80点ぐらいかもしれない。しかし、ウエストコーストロックというスタイルを生んだという意味で、この後のロック界に計り知れない影響を与えていくことになる。

グレン・フライとバーニー・レドンの確執

 西海岸で絶大な人気を誇っていた彼らだが、メンバーのグレン・フライは世界で認められたいという野心を持っていた。そもそもイーグルスのサウンドは、バーニー・レドンとグリン・ジョンズのイメージから成り立っている部分が多かったのだが、フライはもっとハードでソウル寄りのサウンドを目指していたようだ。デビュー作をはるかに凌ぐ2ndアルバム『Desperado』(’73)は、内容は文句なしであったにもかかわらず、たいして売れなかったことで、レコード会社からグループのテコ入れを余儀なくされた。そこでレドンの旧友であったギタリスト、ドン・フェルダーを迎え入れ、ハードなナンバーにも対応できるようにグループを改造する。
 また、グリン・ジョンズと仲の悪かったフライの意向を汲み、プロデューサーをこれまた大物プロデューサーのビル・シムジクに替えた。これは3rdアルバム『On the Border』(’74)の制作途中のこと。グリン・ジョンズとビル・シムジクという2人のプロデュース作が入り乱れたことで、ハードな曲からカントリー風の曲までが同居する、少々バランスの悪い仕上がりとなった…とはいえ、このアルバムも名曲揃いのアルバムである。
 余談であるが『Desperado』の西部劇風アルバムジャケットの裏には、当時まだ新人だったジャクソン・ブラウンとJ.D・サウザーが、イーグルスのメンバーと混じって写っている。

『呪われた夜』のリリース

 さて、ようやく本作の登場である。1975年にリリースされた彼らの4枚目のアルバム『One of These Nights』。プロデュースは前面的にビル・シムジクが担当、グループの音楽性がこれまでの作品とは大きく変わってしまっている。当時、僕の高校では「もうイーグルスではなくなってしまった…」とか「ブラックサバスみたいなジャケット」など、賛否というよりは否の意見のほうがはるかに多かった。まだ、イーグルスと言えば「Take it easy」のイメージが強い頃なので、シングルカットされた「One of These Nights」を受け入れるのには、しばらく時間がかかったのも確かである。ところが、イーグルスのファンでない人間にとって、先入観がないぶん魅力的だったらしく、それまでイーグルスを知らなかったことがウソのように、流行り出した。
 グループの変化のポイントは、プロデューサーがビル・シムジクに代わったことと、優れたギタリストのドン・フェルダーの参加、そしてグループのリーダーがグレン・フライとドン・ヘンリーになったこと、この3点に尽きる。グレン・フライの念願だった“ソウル風味のあるハードなロック”を表現し、イーグルスとして初の全米1位を獲得できたことで、フライとヘンリーのリーダーシップは強固なものになっていく。
 本作では、バーニー・レドンのカラーは極力抑えられ、彼の意見もフライやヘンリーに却下されていく。結局、バーニー・レドンは75年に脱退し、イーグルスはその音楽性をAOR寄りへとシフトしていくことになるのだ。僕は個人的には、イーグルスはバーニー・レドンが脱退した時点で終わったと考えている。

本作収録曲について

 収録曲は全部で9曲。全てメンバーの書いた曲ばかり。グループに嫌気が差していたレドンであるが、結構彼の個性が出ているのは少し不思議だ。グレン・フライとドン・ヘンリーが主導権を握っているのは「One Of These Nights」「Holywood Waltz」「After The Thrill Is Gone」。ドン・フェルダーがメイン・アレンジを担当しているのが「Too Many Hands」「Visions」。レドンは「Journey Of The Sorcerer」と「I Wish You Peace」、マイズナーは「Take It To The Limit」、全員が絡んでいるのが「Lyin' Eyes」だろうと思う。中でも全米2位となったシングル「Lyin' Eyes」は、本作中唯一デビュー時のイーグルスを思わせる作品であり、演奏、リードヴォーカル、コーラスのどれをとってみても、イーグルスらしさがよく出た名曲である。この曲でグラミー賞のベスト・ポップ・ヴォーカル賞を獲得したのもうなずけるところだ。
 フライが、イーグルスに取り入れるべきだと主張したように、ソウル風のハードな曲そのもののタイトル曲、「One Of These Nights」はヘンリーのヴォーカルがすごいし、コーラスも最強。彼のイメージ通りに仕上がったのがこの曲だろう。また、この曲はフェルダーのギターソロが最高! 「Hotel California」(これはジョー・ウォルシュとのツインギター)と並ぶ、ロック史上に残る名演だ。
 マイズナーのヴォーカルは、イーグルス参加前から定評があるが「Take It To The Limit」(全米8位)でのハイトーンは、何度聴いても素晴らしい。デビューシングルの「Take it easy」で、フライとハモってるのもマイズナーだ。
 レドンが主導権をとったオカルト風の「Journey Of The Sorcerer」は、一般的に評判はよろしくないが、ジム・エド・ノーマン(ゲスト参加。ヘンリーとはShilohで一緒だった)のオーケストレーションや、レドンの幻想的なバンジョー、デビッド・ブロムバーグ(ゲスト参加。ディランのバックでお馴染み)のフィドルなど、何度も聴いているうちに良くなってくる逸品。本作の最後に収録されている「I Wish You Peace」はレドンがリードヴォーカルをとっていて、「アルバム中、この曲が一番好きだ」というイーグルスファンは意外と多い。レドンのゆるりとした“まったり感”に癒やされるらしい。イーグルス脱退後、レドンは友人のマイケル・ジョージアデスと一緒に『Natural Progressions』(’77)というアルバムを、グリン・ジョンズ(!)のプロデュースでリリースしている。「I Wish You Peace」が好きな人なら絶対に気に入ると思うので、聴いてみてほしい。今なら日本盤が1200円…ワーナーの新名盤探検隊シリーズで出ているが、すぐに廃盤になってしまうかも…。
 この後、メンバー間のいざこざやドラッグ、ツアー疲れなどで、グループとして最悪の状態になってしまうが、レドンの替わりにジョー・ウォルシュを迎え『Hotel California』(’76)をリリースし、アメリカ最高のグループと評されることになる。確かに『Hotel California』は、捨て曲のない良くできた作品だと僕も思う。しかし、ロックスピリットがあるかと聞かれたら“かつてはあったが、もうない”と答えるだろう。そんなわけで、まだロック精神を感じる『One Of These Nights』を紹介したのだが、実はイーグルスの最高傑作は73年の2nd『Desperado』なんだよね。
 このあたりは、また別の機会に!

著者:河崎直人

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