【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#118
シンガーソングライター・長谷川きよ
しの言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

僕の歌に癒やされる人もいるだろうが、本当は衝撃を与えたい、人の気持ちを変化させたい。人の心に嵐を吹き起こす音楽を考えていた

より

長谷川きよしは、このインタビューで「フォークソング全盛時代、『人々をなごませる音楽』と言った人がいたが、僕は、その考えは、絶対に嫌だった」と語っている。そして、今回の名言につながる。長谷川は、現代社会にあまりにもはびこる「癒し」という言葉に対して疑問を呈しているのだ。この記事は、16年前のものだが、今もなお「癒し」はもてはやされ続けている。音楽、そして芸術などに、本来、人は何を求めるのか? 確かに、「癒し」は、満足感や充足感とは違う。今、日本の音楽界にかつてのような元気がない理由がそこにあるような気がする。

長谷川きよし(はせがわきよし)
1949年7月13日生まれ、東京都出身。シンガーソングライター、ギタリスト。緑内障により2歳の時に失明。12歳からクラシックギターをはじめる。クラシックギター奏者の小原佑公に師事。1967年、高校3年生の時、日本シャンソン界の草分けとして知られる石井好子の主催によるシャンソンコンクールで入賞する。1969年、「別れのサンバ」でレコードデビュー。発売当初はあまり売れなかったが、深夜放送から火がつき大ヒットとなった。野坂昭如のデビューシングル「マリリンモンロー・ノーリターン」(1971年)のB面の曲「黒の舟唄」を1972年にカバー。長谷川の代表曲のひとつとなる。のちに、桑田佳祐吉幾三など、名だたるアーティストがカバーしている。
1974年、加藤登紀子とのデュエット・シングル「灰色の瞳」を発表。フォルクローレ(南米の民族音楽)というジャンルをブームに導く。フォークソング全盛期であったデビュー当時、長谷川は超絶的なギター演奏を武器にサンバやボサノヴァなどブラジル音楽を取り入れ独創的なスタイルを追求した。日本におけるワールドミュージックの草分け的存在といえる。2010年には、フランス、ドイツ、イギリスの3ヶ国5都市8会場で初のヨーロッパコンサートツアーを行う。現在もなお、ライブ活動など精力的に活動を続けている。