【wyolica】


取材:土内 昇

“変わらない”と“変わる”その両方を揃えたアルバム

2004年にベストアルバムを発表した後、お互いソロ活動をスタートさせ、06年にアコースティックワンマンライヴで活動を再開したわけですが、まずは原点に戻った?

azumi

so-toくんは作家としていろんな人に曲を提供して、私は自分の音楽をやってみて、そこで得たものをwyolicaに持ち帰ってみようっていうところから始まったんですね。で、“最初に何をやる?”って考えた時、やっぱりファンのみなさんの前でふたりで演奏すること…それしか考えれなかったんですよ。

その後、すぐに音源を作るのではなく、ライヴを繰り返していたというのは、そこは焦らずにって感じだったのですか?

azumi

そうですね。いろいろ状況的なこともあるんですけど、曲自体はあったので、ライヴで新曲として聴いてもらって、みんなの反応を見つつ、力を蓄えてましたね。

そういう活動の中で、wyolicaが向う次のフィールドというものは見えてきました?

azumi

“見えた”というか、wyolicaとして揺るぎないものが確立したという感じですね。変化することは大事だし、変化しないことも大事なので、そこの擦り合わせが、今回のアルバムでうまく表現できた気がします。

アルバムの構想はいつ頃からあったのですか?

azumi

ベストアルバムを発表した後…4年前ですね(笑)。

so-to

トラックとかは、もうその頃からありました(笑)。

azumi

でも、古くなってないでしょ?(笑) なんか、1stアルバムを作った感覚にすごく似ているんですよね。

so-to

1stアルバムは僕がアマチュア時代に作ってた曲…作ってから何年も経ってる曲が何曲か入っているんですね。今回も作ってから4年ぐらい経ったものがようやくパッケージになるっていう感慨深さがあったので、そういうところも1stアルバムに似ているなって。

ソロ活動で得たものが、さらにそこに乗ったみたいな?

so-to

そういうものもありますね。歌は最近入れたものもあれば、去年や一昨年ぐらいに入れたものもあるんで、やはり4年前とは変わってるというか、かなり違ってると思います。

azumi

あと、ふたりだけでやったライヴが大きいですね。あれで馬力が付いたと思う。

内容的にどんなアルバムにしたいと思ってたのですか?

azumi

“変わらない”ってことと…変わらなさすぎるということではない新しいスパイス、“変わる”こと。その両方を揃えたものができればなっていうのは、ふたりの中にあったと思います。

アルバムの曲を選ぶ時は、どんなところを基準に?

so-to

普通に“いい曲”でしたね。プロデューサーの方に自分のデモを聴いてもらって、いろいろ話をしつつって感じで…「カレイドスコープ」みたいなアイデアは自分には出せないものだったし。これが4年前にできていたって考えるとさすがだなって思いますからね。

やはり、このアルバムでリスタートという感じですか?

so-to

スタートっていうか、まずはファンの人たちの反応を聞いてみないと怖い…“これでいいのかな?”ってのがあるんですよ。自信はあるんですけど、気に入ってもらえるかなって。それが一番心配です。やっぱり、ずっと待っていてくれた人たちに“良かった”って言ってもらえないと寂しいんで(笑)。

待った甲斐があるアルバムになってますよ(笑)。

azumi

自分たちでもそう思ってるんですけどね(笑)。

wyolica

azumi(vo)、so-to(g)によるユニット。98年、シングル「悲しいわがまま」でデビューを果たす。その音楽性は、プロデューサーである大沢伸一(モンド・グロッソ)の言葉を借りると「21世紀型フォーキー・ソウル」とのこと。——例えば、70'sフリー・ソウル風なグルーヴ感とトーレ・ヨハンソンを思わせる牧歌的なサウンド・プロダクツ……すなわち、肉体性とオシャレ感が同居したイイとこどりなグッド・ミュージックなのである。99年には、降谷建志(Dragon Ash)プロデュースによる2ndシングル「風をあつめて」を発表、ここで新たにロック的なテンパリ感をも獲得した。00年には待望の1stアルバム『who said"La La…"?』をリリース。この美味しい仕上がりには誰もが「おかわり」必至だ。

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