「自分を開放させる時代」に生きるTENDRE・河原太朗が音楽と向き合う姿勢 | Music DNA #33
ーベースやサックス、鍵盤などマルチプレイヤーとしてたくさんの楽器を演奏されていますが、最初に手にした楽器は何でしたか?
一番最初に触れた楽器はピアノです。幼稚園の時にジャズミュージシャンである両親が仲間のピアニストを度々家に連れてきていたので「好きな曲を教えてもらったら?」という流れで、先生が自ら起こしてくれた簡易的な譜面で好きな曲を弾き始めたんです。だからクラシックとかではなく一番最初は「ゲゲゲの鬼太郎」でした。いろんな楽器に触れ始めたのは中学からですね。
ー中学ではどんな楽器をやっていたんですか?
吹奏楽部に入ったので1、2年はトランペットをやってました。そこから、3年の時に何故か一番低音のバリトンサックスに移動しました。今、主となってるはベースを始めるのはもう少し先なんですけど、その頃から低音楽器というものへの興味が芽生えてたんだと思います。父親がベーシストだっていう影響もあるのかも知れないですね。
ーそこからはずっとサックスですか?
高校でも引き続き吹奏楽部に入って、そこではアルトサックスをやってました。でも、中学は全国大会に行くような大きな部活だったんですけど、高校はもっと規模が小さくて、周りのパートで人数が足りない時に持ち替えを頼まれることがすごく多かったんです。
例えばサックスパートだったら、頻度の少ない楽器を横に置いて持ち替えながら演奏するんですけど、高2の頃に僕以外サックスパートがいなくなっちゃって、4種類全部を周りにおいて演奏していた時期もありました。他にもバスクラリネットとかホルンとか、金管木管を行き来してましたね。なぜだか頼まれることが多かったんです。そのおかげで、自分の中で何のためらいもなく色んな楽器に触れることができたんだと思います。
ー各パートを覚えるのはそんなに簡単なことではないですよね。相当練習に時間を費やしたんじゃないですか?
部活って毎日あるじゃないですか。授業が終わって夕方以降何かしら楽器を練習する日々が続いていたんですけど、その時はそれが当たり前としか思ってなかったんですよね。今思うと貴重な時間だったし、今に一番生きている時間なのかなって感じます。