MORRIE
- Key Person 第27回 -
MORRIE
“まだ可能性がありそう”
そこがやり続ける一番のところ
人生で具体的に
何をどうするとか考えていない
MORRIEさんがロックに目覚めたきっかけって何だったのでしょうか?
“これだ!”という感じではないんですよね。母の従兄弟なのですが、お兄ちゃんみたいな人がいまして、彼はロックが好きで、僕が小学生だった頃に部屋に遊びに行くと、怪しげなポスターが貼ってあって、レコードをかけているわけですよ。それがDeep Purpleだったり、Pink FloydやLed ZeppelinやQueenなどの70年代のロックで、それがある種の洗礼だったとは思います。小学6年生の時にテレビで観て“なんや、このませた女たちは!?”と驚愕したThe Runawaysや、ラジオで聴いたVan Halenとかもそうですね。まずはFMラジオを聴いて、いい曲が流れたら録音して、それを繰り返し聴く。レコードは自分が直観的に“よし!”と思ったものを買って、部活から帰ったら繰り返し聴いていました。
その当時に思っていたロックの魅力とは?
兵庫県の山奥に住んでいましたので、まず情報がないんですよ。ラジオを聴いて曲が気に入るかどうかだけなんです。あとは、だいぶ離れたジャスコみたいなところにレコード屋があったので、日曜日にそこへ行って、レコードを片っ端から見て、“これ良さそうやな”と思ったら、多くはない小遣いで買うみたいなね。音を聴いて、ジャケットやインナーの写真を見て、自分の中で想像を膨らませるしかなかったので、ある意味純真な聴き方ではあったと思います。
MORRIEさんのステージデビューは高校3年生の時だそうですね。
高校1年の終わりにギターがやりたくなったんですけど、田舎だからロックみたいなものを聴いている人はクラスにひとりかふたりくらいでした。別のクラスにThe Beatlesが好きでギターを弾いていた友人がいたので、彼からリッケンバッカーを借りて最初に教わったのが、スリーコードの「I Saw Her Standing There」。最初はギタリストになりたかったんですが、音楽の授業で歌っていると、それなりに歌えて声量があるとか思われたんでしょうね。高3の時に東洋大姫路高校のバンドがオーディションに出るためにヴォーカルを探していて、“お前は声がいいし、洋楽を知ってるから歌ってみてよ”と誘われ。面白そうだと歌ってみたのがThe Policeの「Message in a Bottle」。オーディションに通って、出場権を得た姫路の文化センターがお客さんの前での初ステージでしたが、その時に「Message in a Bottle」他、Led Zeppelinの「Stairway to Heaven」、Pink Floydの「Time」、Deep Purpleの「Burn」とか…6、7曲をやりました。
その時は楽しめましたか?
あっと言う間で覚えていないですけど、妙な解放感があっていいなと思いました。
周りにロックを聴いている人があまりいなかった中でロックバンドをやるというのは、道から外れるような風潮があったのでは?
ありましたし、それは田舎を出てから神戸や大阪に行っても外れていましたね。髪の毛を伸ばして染めていたらアウトサイダーでしたから。まぁ、そこは腹を括るというか。自分や人生に対する無根拠ながらもというか、無根拠ゆえの妙な信頼がありますので、今でもそうですけど、人生で具体的に何をどうするとか、人生計画のようなものは考えないんですよ。行き当たりばったりできているので、当時は“バンドをやりたいからやる”というだけでした。自暴自棄とか投げやりな感じということでもなく、当時から“死ぬ時は死ぬし、それでいいんちゃう?”という構えでしたね。
1984年にはDEAD ENDを結成しますが、80年代の音楽シーンはMORRIEさんから見てどんな印象があったのでしょう?
面白かったですよ。80年代初頭から色んなジャンルで新しい感覚を持った面白いバンドが出てきて、日本では80年代前半から中期はインディーズブームがありましたし、ライヴハウスにもよく行っていました。当時はヘヴィメタル、パンク、ハードコアパンク、ニューウェイブ、ロックンロールとか、どのジャンルの人なのかがファッションで分かるんですよ。DEAD ENDはメタルをやりたいとか、パンクをやりたいとかではなくて、とにかく面白いことをやりたいメンバーで集まりましたね。あの頃はいろんなバンドが混在していて、社会感覚として、何でもありみたいな感じがありました。90年代はそれがもっと細分化されていったと思いますけど、80年代の時点で“どれだけ変な恥ずかしいことをするか?”“どこまで過激なことができるか?”っていうものの競い合いみたいなところがありました。いつの時代も鬱屈した衝動を抱えたラジカルな若者はいるわけですが、僕らの世代は政治運動というようなことはまったくなく、暴力破壊衝動が音楽として発芽したような感じだったと思います。
DEAD ENDはそういった競い合うような気持ちを持っているバンドには思えなかったのですが。
バンドの方針というか統一的意志みたいなものはなかったので、バンドとしてはなかったと思います。煎じ詰めればこの世のことって全て好みなんですよ。メンバーそれぞれが“俺はこれがやりたい”“俺はこれだ!”って好きなものに邁進する派でした。“お前違うで”“俺が正しいで”と、敵と味方になったら永遠に戦わなくてはなりませんから。当時からそんな感覚はあったと思います。
アーティスト
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