「王とサーカス」米澤穂信(東京創元社)

「王とサーカス」米澤穂信(東京創元社)

知りたいという欲求は、常に正義か。
米澤穂信「王とサーカス」

ジャーナリストとは、世の中の時事と向き合って事実を報道していく人のことだ。
たとえ戦場であろうと、災害現場であろうと、その事実を世間に伝えていく行為は正しく、尊い。隠ぺい行為は恥ずべきことだ。人は、真実を知る権利がある。
この言葉に、いささかも疑問を持たない人は多いのではないだろうか。“知る権利”は否定されるものではない。
「でも、」と、作者はここでふと立ち止まる。“知るという快楽について小さなひっかかりが生じた”とは、作者自身の言葉だ。こうして発表されたのが、「王とサーカス」なのである。

2001年、ネパール。太刀洗万智が遭遇し
た、王族殺害事件。

主人公の太刀洗万智は、フリーランスのライター。旅行記事の取材のために、ネパールのカトマンズにやってくる。
トーキョーロッジという名の宿に宿泊した万智は、宿泊客はじめネパールで暮らすさまざまな人びとと出会う。路上、寺院、川岸の火葬場、祈りの声、ヒマラヤの峰々などが丁寧に描かれ、牧歌的ともいえる序盤から一転、国王を含む王族殺害事件が勃発する。
急きょ事件についての記事を依頼される万智。ジャーナリストという立場で真相を伝えようと画策する彼女の前に、新たな殺人事件が起きる。被害者は、万智も出会った人物。はたして、事件の真相は? 真犯人は誰なのか?

世界には、ニュースという娯楽が常に溢
れている。

ジャーナリストが主人公、ということもあって、「王とサーカス」のテーマは“知りたい”という欲求についての考察だ。我々は日々、ニュースという養分を欲し、与えられ、そして消費していく。たとえ涙を流し、憤り、社会を変えるべきだと考えたとしても、翌日には新たなニュースを求めている。途中、とある人物が万智に向かって言う。
「自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ」
この言葉は重い。万智の心の中に、最後まで棘のように刺さっている。そしてそれは、読者の心の中にも刺さっている。
「王とサーカス」は、“フーダニット”というミステリーの慣例に従いながらも、刺激的なニュースに誰もが食らいつくこの時代に一石を投じた作品なのだ。

今、乗りに乗っている作者、米澤穂信。

山本周五郎賞ほか、数々のミステリー賞を受賞した『満願』に続いて発表された「王とサーカス」。主人公の太刀洗万智は、『さよなら妖精』にも登場しているが、本作と直接の関係はない。ただし彼女のキャラクターは確立されているので、『さよなら妖精』の頃の太刀洗万智がどんな高校生だったか、読んでみるのも一興だろう。
「王とサーカス」米澤穂信(東京創元社)

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