合言葉は「泣け! 叫べ! 盛り下が
れ!」 アーバンギャルド主催『鬱フ
ェス』の批評性とは

(参考:筋肉少女帯、新アルバムでももクロ「労働賛歌」カバー 秋には東名阪巡るライブツアーも)

 『アーバンギャルド Presents 鬱フェス 2014』のコンセプトは、夏フェスに呼ばれない、あるいは呼ばれてもアウェーになるアーティストと、インドアなリスナーを集め、新たなフェスの形を提案するというもの。早い話が、日焼けの似合わない人たちの集会である。合言葉は「泣け! 叫べ! 盛り下がれ!」。

 発案者であるアーバンギャルドの松永天馬と浜崎容子による、不健康と不健全を称揚する開会宣言からスタートした『鬱フェス』は、確かに空の下で繰り広げられる夏フェスとは異なる雰囲気があって面白かった。

 会場では正面にメインステージ、その右わきにサブステージがあって、交互にライヴが行われた。1960年代のグループ・サウンズのパロディで、当時の流行語「失神」をキーワードにしたザ・キャプテンズ。クラブやディスコというよりはゴーゴーと昔風に表現したいダンスをしながら歌い、アニメ「魔女っ娘メグちゃん」主題歌もカヴァーした情熱マリ子。アコーディオンを使った姉妹ユニットで、PAブースに乱入しつつシャンソン“愛の讃歌”を歌い上げたチャラン・ポ・ランタン。「スーパーマリオ」、「ファミスタ」、「ドラクエ」などのファミコンサウンドを再現したサカモト教授。70年代グラム・ロックをベースにしたROLLY & GlimRockers。フォーク、歌謡曲的な失恋ソングを切々とピアノで弾き語る夜子。「鬱」の字を付けたカラフルな衣裳の革命的ブロードウェイ主義者・上坂すみれ。サブカルからの多数の引用という点で、アーバンギャルドの先輩といえる筋肉少女帯。

 以上のようにマニアックな芸風のメンツが、次々に登場した。多くに共通するのは、昭和的でレトロな要素が目立ち、同時代的ではないこと。過去を重視する後ろ向きな表現は、不健康さを讃えるこのイベントの主旨にふさわしい。

 また、ファミコンカセットを挿せるロボット的な頭部を装着したサカモト教授をはじめ、派手なファッションやメイク、キャラ設定など、どこか芝居っけのあるアーティストが多かった。音楽のライヴではあるけれど、小劇場やレヴュー(批評のことではなく、歌、踊り、寸劇などで構成するショーのほうね)に近い感覚なのである。

 出演者のなかでは例外的に自然体であり、新人コンテストへの出場時からロック・イン・ジャパンに出演し続ける真空ホロウは、「本日一番普通の鬱バンド」と自己紹介していた。普通な彼らは、むしろ浮いていたくらいだ。とはいえ、彼らの「家に帰ったら現実ですよ」というMCは、上坂すみれの「吐き癖ある人っていますか?」と並んで『鬱フェス』の空気感をよく反映した言葉だったし、観客は楽しそうに笑っていた。
 メインステージ各30分程度、サブステージ各15分、トリのアーバンギャルドでも1時間弱しかない。様々な濃い世界が、短い持ち時間で数多く披露される。『鬱フェス』は、まんだらけをはじめ、レトロ趣味、コレクター向けの小さな店が並ぶ中野ブロードウェイの光景を思い出させるイベントだった。

 当然のことだが、『鬱フェス』の性格をよく体現していたのは、主催者アーバンギャルドと、彼らに少なからぬ影響を与えた筋肉少女帯である。この日の筋少は、短いステージだからかキーボード抜きの編成だったが、『鬱フェス』にふさわしい曲として「蜘蛛の糸」を選んでいた。教室で友だちのいない少年が、ノートに猫の絵を描きながら世界を呪う歌である。一方、アーバンギャルドは、自分撮りを自傷行為の一種と見立て、「自撮」を「じさつ」と読む「自撮入門」を演奏した。これら2曲は、中二病的な鬱屈した自意識過剰をテーマにしつつ、騒がしいサウンドでストレス発散に結びつけている点などで、2バンドが共通する体質を持っていることを示していた。

 この日は聴けなかったものの、10月8日発売の筋少の新作『THE SHOW MUST GO ON』の「霊媒少女キャリー」には、アーバンギャルドから浜崎容子がゲスト参加している。そして、『鬱フェス』ではアーバンギャルド『鬱くしい国』収録の「戦争を知りたい子供たち」が、アルバムと同じく筋少の大槻ケンヂを加えて演奏された。この曲には、アーバンギャルドの方法論がよくあらわれている。

 『鬱くしい国』とは、安倍晋三・現総理大臣の本の題名でスローガンでもある『美しい国へ』のパロディであろう。「戦争を知りたい子供たち」という曲名は、1971年にジローズが発売した反戦歌「戦争を知らない子供たち」(作詞はザ・フォーククルセダーズで活動した北山修)のもじりである。「戦争を知りたい子供たち」を作詞した松永天馬は、過去のカルチャーを引用しつつ、好戦的な感情というネガティヴなものをあえて前面に出すことで、右傾化するこの国の現状を皮肉っている。

 ここまで政治的ではないにしても、現在の空気へのなじめなさから、過去を嗜好した表現に向かう。不健康でネガティヴなフィクションやイメージをあらかじめ自分の鎧にすることで、ネガティヴな現実から距離を置く。現在の現実に対するある種の武器として過去や不健康を使う。そうした感覚は、『鬱フェス』のアーティストの多くにかいま見られた。アーバンギャルドからは、昨秋にキーボードの谷地村啓が脱退したのに続き、今年10月4日のステージを最後に、ドラムの鍵山喬一が脱退するという報告もあった。そういうマジ鬱な出来事をはね返すためにも、このフェスのような武器としての“鬱”は有効なのである。日焼けする夏フェスとは違う、日影のエンタテインメントを求める人々は、私を含め、いつの時代にもいる。それを確認できたイベントだった。

 だから、当日の出演者たちが並んだステージで、アーバンギャルドが「君の病気は治らない だけど僕らは生きてく」と繰り返す「ももいろクロニクル」で締めくくったのは、最高に“盛り下がる”大団円だった。(円堂都司昭)

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