英国出身の演出家ショーン・ホームズ
にインタビュー 次回演出作『桜の園
』のキーとなるイメージは「亡霊がた
だよっている感じ」

ラスト・シーンで棺の如き大型冷蔵庫の中へと自ら入っていくウィリー・ローマン——2022年にPARCO劇場で上演された『セールスマンの死』で、主演の段田安則から名演を引き出したイギリス出身の演出家ショーン・ホームズ。PARCO劇場開場50周年記念シリーズにて演出するのは、アントン・チェーホフの名作『桜の園』だ。女主人ラネーフスカヤ役の原田美枝子をはじめ、楽しみなキャストが揃ったこのプロダクションへの意気込みを語ってくれた。
ーー『桜の園』を手がけようと思った理由は?
自分から『桜の園』を提案しました。よく知っている、大好きな戯曲なんです。1990年代半ば、イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーでエイドリアン・ノーブルが演出した非常に有名なプロダクションでアシスタント・ディレクターを務めましたが、時代設定に忠実な、エネルギーと軽やかさ、流動性に満ちあふれた舞台で、この戯曲との出会いとして非常にいい経験になりました。今回、『桜の園』を東京で手がけるのが楽しみなのは、昨年PARCO劇場で上演した『セールスマンの死』を扱ったのと同じような手法をとることができる機会だからです。つまり、非常によく知られた、象徴的な作品に、予想もしなかったような、儀式的でない手法でアプローチするということです。それは別に戯曲をこねくり回すということではなく、眼差しを新たに、作品のもつパワーとオリジナリティを可能な限り明確にするということなのですが。
ーー作品をお好きな理由、そして作品のパワーについてお聞かせください。
チェーホフはこの作品で、人間であることの深い矛盾を非常に見事に示していると思うんです。深い痛みと深い滑稽さが隣り合わせに存在している。戯曲の一瞬一瞬に、豊かで、期待の上を行く、パワフルなものが描き込まれていると思います。彼がこの戯曲を書いたのは20世紀初めですが、他の多くの作家と同様、その後何が起こるか察する予言的なセンスがあったとも思うんです。もちろん、チェーホフ自身、ロシア革命が起こるとわかっていたとは思いません。けれども、『桜の園』を読むと、何か大きなもの、災害、脅威が迫っていると彼が感じていたことがわかります。非常に興味深いことに、我々も今、歴史上の同じような瞬間、何らかの大きな変化が起こると予期できる、もしくは起こらなくてはいけないと思っている、そんな瞬間を生きていると思うんです。とりわけ、気候変動、環境問題についてそう思います。誰も、どんな変化が起こり得るのか、どう解決できるのか、具体的にはわかってはいないわけですが。ですので今回、『桜の園』の登場人物を、今を生きる我々により近い人物として描くことに興味があります。
ーー公式ホームページのコメントで、作品について「とっても可笑しいんです!」とおっしゃっています。
とても馬鹿げていて、不条理なところがある戯曲だと思います。シャルロッタが、「私の犬がナッツを食べている」と言うところとか。エピホードフが銃を取り出して自分を撃とうとするところとか、実際にはそうしないだろうなとわかっているから、滑稽ですよね。ピーシチクがラネーフスカヤの薬を全部取ってしまって飲むところとか、喜劇的で奇妙な不条理の瞬間にあふれている作品だと思います。チェーホフ自身、感情的なシーンをあまり発展させないよう、いつでも、何か不安や心配事を抱えた誰かがやってきてその邪魔をするように書いている。ですので、きちんと立ち上げることができれば、とてもおかしくてとても哀しい、そんな舞台になると思います。そのように書かれている戯曲だと思いますし、人生とはそのようなものであるとも思います。
ーー今回、ホームズさんが日本で『FORTUNE』を演出されたイギリスの劇作家サイモン・スティーブンスさんによる上演台本を使われます。
サイモンの上演台本を用いる理由は2つあります。ひとつは芸術上の理由、もうひとつは実務上の問題ですね。後者の理由の方から申し上げると、東京でこれまで上演してきた『FORTUNE』と『セールスマンの死』はもともと英語で書かれており、原作と日本語訳が存在するという状態でした。『桜の園』の場合、原作のロシア語から日本語訳されたものを英語に逐語訳した台本と格闘するより、よくできた英訳版を用意することが重要だと思いました。芸術上の理由としては、以前、ロンドンでサイモンの上演台本によるチェーホフの『かもめ』を演出したのですが、今回のサイモン版『桜の園』とも共通点があると思っています。それはすなわち、逐語訳ではいささか古風に思われるところ、例えば響きが複雑に感じられるロシアの人物名などを取り去り、セリフについても、チェーホフのスピリット、意図に非常に忠実に、もっと現代的で言いやすい言葉に置き換えています。重要なのは、サイモンは、スラングを使ったり現代の何かを引用をしたりしているということではないのです。チェーホフの意図に忠実でありながら、チェーホフの時代と今の時代とをエレガントにつなぐ台本だと思っています。
PARCO劇場開場50周年記念シリーズ 『桜の園』
ーー今回のキャスティングのポイントと、日本の役者と仕事をする上で意識していることを教えてください。
キャスティングのプロセスですが、ロンドンで行なうときと、東京で行なうときとでは当然違ってきます。日本の役者についての知識、オーディションについての知識なども限られているので、戯曲について、登場人物について考えていること、直観的に求めているものなどについて、プロデューサーの佐藤さんと語り合い、その上で、佐藤さんの直観や考えに信頼をおき、連携しながら進めていきました。今回、東京で一緒に手がける3作目の公演になりますが、これまでの作品、そして今回の作品についても、一人ひとり才能と力強さ、深みがある方たちに集まっていただけたと幸せに思います。もちろん、何作か手がけていく中で、前にご一緒した方とまたご一緒するということもあるわけで、今回の『桜の園』にも、『FORTUNE』に出演した市川しんぺーさんと、『FORTUNE』『セールスマンの死』双方に出演した前原滉さんが出演します。
日本で仕事をする上で、日本の役者のプロフェッショナリズムと全力を捧げる姿勢にいつも心打たれます。大勢の役者がいる稽古場で仕事をするとき、ロンドンでは、みんなに静かにしてもらうために多くのエネルギーを使ったりしますが(笑)、日本ではそういうことはないですね。それから、例えば10人くらいが登場する大勢口のシーンを稽古して、一週間後くらいにそのシーンに戻ったとき、イギリスでは多くの人たちが「どうだったっけ?」みたいになりますが、日本ではそういうことが少ないですね。稽古場の雰囲気ですが、イギリス人演出家からすると、最初のうちはちょっとフォーマルな感じがするんです。イギリスの役者と比べると、自分の意見を言いたいと思うことが、最初のうちは少ないのかもしれない。けれども、気づいたのは、稽古が進んでいくにつれて、僕の進め方と日本の皆さんが慣れているやり方との間に何かとてもいい結合点が見つかってきて、僕たちだけのハイブリッドなルールができてくるということです。非常に生産的だし、やりがいがあるなと毎回感じています。他の国からやってきたアーティストとして、異なる文化の中に身をおいて仕事をするとき、自分自身を変えることはできませんが、母国でやるのと同じことをするよりは、行った先での文化や慣習、やり方を尊重してやっていくことが非常に重要だと考えています。
ーー日本語で上演され、日本の観客が観劇する舞台を作る上で意識することはありますか。
特に意識することはありません。どの国に行って演出するときでも、自分自身と同じような観客のために作っているんだと思うんです。もちろん、観客がどう思うかについては大いに考えますが、実際に観客がどのような人々であるか知ることは難しいと思います。演出家の仕事にはさまざまな側面があると思っていて。もちろん作品の作り手であるわけですが、その一方で、観客の視点、観客はこれを好んで観るだろうかという視点をもつことも大切だと思うんです。だから、それで、「自分自身と同じような観客」を想像して作っていると言ったわけなんです。ちょっと飛んだ言い方かもしれませんが、そんな言い方の中にも真実はあると思っていて。というのも、自分自身がわくわくするようなものを作ったら、他の人もわくわくする可能性が高いんじゃないかなと。観客がどう考えるかについて悩んだり、遠慮がありすぎる現場はあまり創造的ではないとも思っていて。観客は自分と共にあると考えて作った方がいいと思うんです。
ーー『セールスマンの死』ではラストの冷蔵庫の扱いに心を奪われました。今回、どんなイメージの舞台になりそうですか。
『セールスマンの死』の舞台、そのイメージを気に入ってくださって、アリガトウゴザイマス(と笑って)。今回の舞台ですが、頭の中にあるイメージについて、今は明確には申し上げません。ただ、よい戯曲、すばらしい戯曲というものは、文字通り、あるいは無意識下において、亡霊にとりつかれていると思うんです。そしてとりわけ『桜の園』は、物語が始まる6年前に溺れて死んでしまったラネーフスカヤの若い息子のみならず、常に過去の亡霊がただよっている作品だと思います。ですので、今回のプロダクションのオープニングやキーとなるイメージについては、過去、現在、未来を問わず、亡霊がただよっている感じになると考えています。
ーー世界が変化していく中、劇場の果たす役割についてどうお考えですか。
まずひとつあげるとすれば、劇場ができるのは人々をひとつにするということだと思うんです。人生の中で3時間携帯電話を切っていられる場所というのは、今となってはなかなかないですよね。観客も舞台上のキャストも含めて、我々は劇場で、何かを共有する。​パンデミックの間、我々からはそんな時間、経験の場が奪われていました。演劇は、ジャーナリズムでも政治でもなく、クリアな道、クリアな選択肢を示すことはできません。ただ、劇作家が、世界がどちらに進んでいるかを最初に気づいたり認識したりすることが多いというのは非常に興味深いことです。だからこそ、我々は、新たな書き手、新作に投資する必要がある。そして、演劇とは、エンターテインメントであり、刺激であり、挑発であるということも忘れてはいけないと思っています。イギリスの劇作家エドワード・ボンドと仕事をしたことがあるのですが、「演劇、ドラマなしに民主主義はあり得ない」と言っていました。演劇も民主主義も古代ギリシャの同じ時期に生まれ、進化していったこと、そして、独裁政治がまず手始めに劇場を封鎖するものであるのも、非常に興味深いことです。演劇とは不思議な働きかけをするものであり、変化、不安の時代にはとりわけ重要性が増すものだと思っています。
取材・文=藤本真由(舞台評論家)

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