シャンソン歌手・佐々木秀実の「第3
楽章」始動。新曲を携え、CDデビュー
20周年コンサートを東京・大阪で開催

シャンソン歌手・佐々木秀実が『デビュー20周年コンサート~歌は我が命~』を、2023年4月に東京・大阪で開催する。阿久悠に見いだされ、アルバム「懺悔」でCDデビューして20年。歌手として活躍する一方、テレビやラジオ番組のコメンテーターなど幅広い分野で活躍する佐々木は、この節目の20周年を「第3楽章のはじまり」と位置付ける。新たなステップへ踏み出すコンサートにかける思いやこれまでの20年間の思い出などを聞いた。(文章中敬称略)

■お祝いのメッセージとともに振り返る、20年の歩み
――まずCDデビュー20周年のコンサートが決まったときのお気持ちを教えてください。
20周年というのは節目の年ですが、本当の「20周年」は、実は去年(2022年)だったんです。でもコロナ禍にあり、事務所とも相談して1年延期しました。その時はちょっと寂しいなという気持ちはありましたが、いよいよ今年4月にコンサートが決まって、本当に嬉しいです。
実は私、3年ほど前にコロナ禍を機に長野市に拠点を移したのですが、まさか自分が生きている間にコロナみたいな疫病が流行るとか、戦争が起きるなんて、予想もしてませんでした。ただ、そうした中でも、私は「佐々木秀実」という歌い手としての布石を打ってきたいと思いますし、だからこそ、この記念コンサートは重要なイベントだと思っています。
また、今はYouTubeなどがあり、インターネットで打ち合わせもできる世の中ですが、たとえそうであっても、生で歌うことは大事にしていきたい。生の歌を通して、お客さまと同じ時間を共有していきたいという気持ちでいっぱいなんです。さらに、シャンソンというと、なんだか難しい音楽とか、マダムがドレスを着て歌っているようなイメージがあると思われがちです。歌舞伎や邦楽などは若い方が頑張っているけれど、シャンソンもちゃんとやっていかないと残って行かない。だからこそ、まずは見に来ていただきたいとも思っています。
――今回のコンサートはどのような内容にしようと考えていますか?
まだ100%フィックスではありませんが……、まず一つは、自分がこれまで歌ってきた中で出会ってきた方々からお祝いのメッセージなどをいただいて、それを読みながら20年間の歩みを振り返っていきたいと考えています。メッセージは、私を一番そばで見ていてくださった方々から頂戴したいなと思っていて、それを紐解くことで、あの時ああいうことがあったなと思い出しながらやっていければと。多分20年以上前の話も出てくるとは思いますけど(笑)。
――佐々木さんのこれまでの歩みを通して、いろいろなエピソードが飛び出してくるかもしれないですね。

■辛かったコロナ禍の3年間を経て、佐々木秀実の「第3楽章」が始まる
――CDデビューからの20年、佐々木さんの人生でとくに印象に残っていることは?
私はプラス思考なんでしょう、過去を振り返ることってあまりないんです。でももしかしたら、一番切なかったのは(コロナ禍以来の)この3年間だったかもしれません。「とくダネ!」に出ていたり、「徹子の部屋」に呼んでいただいたりと、いろいろ取り上げていただいていたあと、ピタッとライブができなくなり、お仕事が少なくなった時に、誰かに言われたんですよ、「秀実ちゃん、まだ歌ってるの?」って。……その方は何気なしに言われたのでしょうが、でも私はすごく複雑な気持ちで、やっぱり表に出ていなきゃいけないな、とつくづく感じました。「また、やってやる」と決意を固めたのです。今後は、マスクが外せるようになって、日本も変わってくると思うので、このデビュー20周年コンサートを一つの大きな節目の第一歩として、自分の第3章のスタートが切れればなと思っています。
――「第3章」というのは?
シャンソンに出会ったときまでが第1章。そこから今までのデビュー20周年のこの時までが第2章で、これからが第3章ね。歌い手になることしか考えてこなかった佐々木秀実が、諦める、やめるということをせず、そういう思いだけで歌ってこられた。これからも、私は生きていく限りきっと、歌とともに生きていきたいと思っています。私、本名と芸名が一緒なので、佐々木秀実は歌っている限り生きている。そんなメッセージも込めてコンサートの副題に「歌はわが命」とつけました。先ほど、この3年間は辛かったと言いましたが、自分の第3章が本当に始まるって考えるとワクワクするし、ウキウキもしますね。
(撮影:西原朋未)

■「命を丸ごと歌い上げる」ピアフの歌に揺さぶられる
――佐々木さんは、どのようにシャンソンに出会われたのですか。
エディット・ピアフでした。私は13歳のときに急性咽頭腫瘍――声帯の脇に腫瘍ができて、その手術のため1年間、病院と学校が一緒になっている施設におり、しばらく母と離れて暮らしていました。母は見舞いにもなかなか来られませんでしたが、私が歌が好きで、歌いたがっていることは誰よりも知っていました。
手術の日はクリスマス――12月25日だったのですが、そのとき母がクリスマスプレゼントに――秀実、頑張れよっていう気持ちだったと思うんですが、ピアフのベスト盤CDと彼女の波乱に満ちた自叙伝を持って、病室に来てくれたんです。ピアフ――彼女は曲がりなりにも美声じゃないですよね。いわゆるソプラノ歌手のような歌い手ではないのですが、本当に魂が叫ぶような、命を丸ごと歌い上げるというのでしょうか、その声を聴いた瞬間、自分は明日、声をなくすかもしれないし、それで歌えなくなったとしても、私はこういう歌に出会えたことが嬉しいし、治ったら私はこういう歌が歌いたいと思えたんです。
ピアフのベスト盤ですから、「愛の賛歌」ではじまり、「バラ色の人生」や「水に流して」なども入っていた。今でもそうした曲を聞いた瞬間、あのひんやりとした薬の匂いのする病室の記憶が甦ってきます。あれは一生忘れませんね。そして自分はシャンソンに出会えて本当によかったと思います。

■日本独自のシャンソン文化。伝え、残したい「詩人の魂」
――先ほど「シャンソンを伝えて残していかなければ」と仰られました。そもそもフランス語の「シャンソン」には普通に「歌」という意味がありますが、日本でいうシャンソンは1930年代から60年代頃の、モノクロのフランス映画の時代の歌のようなイメージがあるような気がします。
はい。日本でいうシャンソンは「日本におけるシャンソン文化」だと思うんです。私はフランス人に「日本のシャンソン歌手は僕たちも知らないような、フレンチポップスになる前の曲を、しかも日本語で歌っている」と笑われたことがありました。でもその「日本におけるシャンソン文化」は大きな歴史のひとつですし、そういうところから守らなきゃいけないと私は思っています。中でも、訳詞。私たちはシャンソンを歌う時、ほとんど日本語で歌います。フランス語のまま歌う時もありますが、それは1割くらいです。そして例えば「愛の讃歌」ひとつにしても、訳詞が実に20種類近くもあるんですよ。
訳詞は、例えばお亡くなりになられたなかにし礼さんは、大学生の頃アルバイトで、他国の言語の直訳のような詩を、日本語の美しさを保ちつつ言葉を紡いでいったりしたわけです。いわばシャンソンにはそういった訳詞者の「詩人の魂」みたいなものも込められているんです。そのようにして書かれた訳詞は日本のシャンソンの大きな財産で、それはやはり守っていかなければならないものだと思います。
(撮影:西原朋未)

■訳詞は台本。「シャンソン」を通して演じる一人芝居
――数ある訳詞のなかから自分で歌うものを選ぶポイントは?
それは台本を選ぶのに近いです。実は私、自分で「イタコシャンソン」と言っているんですが、不思議なことにドラマチックな曲を歌っていると、主人公がすっと降りてくるんですよ、自分の中に。見えないものが見えるというのか、歌の主人公――男の子であったり、娼婦であったりが着ているものも見えたりする。私にとってシャンソンは一人芝居。一番得意な台本がシャンソンなのかもしれません。
でもイタコとしては、自分の体力、気力、喉など限りがある。また昨日と今日、同じ曲を歌っていても、降りてくる主人公は違うんですよ。主人公が強すぎてメッセージが一気に降りて来ると身体を酷使してヘロヘロになってしまうから、歌う前に自分の体をしっかりリセットしておかないと、自分が負けちゃうんです。だからそこだけは気をつけています。粗塩を入れたお風呂に入ったり、水風呂に入ったりしてリセットする。ある意味、儀式ね、やっぱり「歌は命」だから。

■コンサートでは新曲も披露。「生」で歌う佐々木秀実の舞台を楽しんでほしい
――第3章の幕開けである20周年コンサートとともに、新曲もリリースされます。新曲はコンサートでも歌われる予定ですか。
はい、歌います。新曲は2017年以来。自分のシャンソンなり、台本が一つ増えましたから、それも含めてお披露目しなきゃいけないなと。
――今回CDを出そうと思った理由は?
作詞をしてくださった髙畠じゅん子さんが「ぜひ秀実ちゃんに歌ってほしい」と仰ってくださったんです。私も「ぜひ」とお願いしたのですが、でも私は歌というか台本選びに対してすごく貪欲というかわがままなんです。だから普通、歌謡曲の歌い手さんは作詞家の先生、作曲家の先生に書いていただいたらそれをしっかり歌うものなのですが、私は「先生、申し訳ないのですが、ここだけは直してくださる?」と(笑)。生意気だけど、でもCDを出すからにはそのくらいしっかり向き合っていかないと、歌に対して失礼でしょ?
でも髙畠さんも「あなた生意気ね」とは仰らず、一緒に作ってくださった。そうしたこだわりを持ち続けることは、自分が今までずっと曲げずにきた部分なんです。それはどんな新曲であろうと、どんな人に出会おうと迎合することはないでしょう。人間は強いものに巻かれたり偉い人に頭を下げたりしがちだけれど、私は真摯にその人と向き合ってお仕事をしたり番組を作ったり、コンサートを作ったりしたい。これからもそれは変えずに行こうと思っています。
――CDは「愛の詩」「カフェオーレ」の2曲収録で、その内容が全然違うところも特徴的だなとも思います。
新曲「愛の詩」を最初にいただいたとき、ラブソングなのかなと思ったんですよ。でも歌っているうちに、「ありがとう、ごめんなさい、許してください」という言葉が恋愛の相手ではなく、もっと崇めるもの――生きている中で、目に見えないものに感謝することってあるじゃないですか。そういった何か大きなものに対する詩だなと自分は理解したんです。一方、もうひとつの曲「カフェオーレ」の方は、「愛の詩」とは本当に真逆。男女なのか、ドロドロしている感じを歌っていますね。
――最後にSPICE読者の皆さまへ、メッセージをお願いします。
このコンサートで初めて佐々木秀実をご覧になる方が、数多くいらっしゃってくだされば嬉しいなと思います。そして、今まで私のファンでずっと追いかけてきてくださった方も、佐々木秀実って名前は聞いたことはあるけれどまだ歌を生で聴いたことはないという方も、あるいは、コロナ禍の間に私のリモートでの生配信ライブを聴いてくださった方々も、「やっぱり佐々木秀実は生で聴くのがいいな」と思っていただきたいですね。私自身もCDデビューからの20年間を振り返ると、いろいろ感じ入ることがあると思うんです。自分がその日どう演じ、化けるか。これはその日になってみないとわからないし、それがまた楽しみです。
――ありがとうございました。
取材・文=西原朋未

【佐々木秀実(ささき ひでみ) Profile】
16歳で長野から上京し、17歳で日本シャンソン・コンクール東京大会に最年少で入賞
2001年、フランス・パリに留学。声楽をクリスチャン・マセ、ピエール・ボルサレロ両氏に師事する。
2002年、阿久悠に見いだされ、1stアルバム『懺悔』(日本コロムビア)でCDデビュー。
2003年、2ndアルバム『聞かせてよ愛の言葉を』(ゼティマ・地中海レーベル)を発売。タイトル曲がNHK朝ドラ「ちりとてちん」の挿入歌となり話題に。
2009年、コンサート、ライブなどの活動を行う傍ら、フジテレビ系「とくダネ!」コメンテーターとしてレギュラー出演、テレビやラジオなど幅広い分野で活躍。
2019年、長野市に拠点を移す。SBCラジオ「佐々木秀実のちょっと聞きなさいよ!」開始。
2020年、ニューアルバム「シャンソン・ベスト」発売。
2023年4月、新曲「愛の詩」発売予定

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