【ライヴアルバム傑作選 Vol.2】
ソウル・フラワー・
モノノケ・サミット
『アジール・チンドン』は
阪神淡路大震災の被災地から生まれた
日本の流行歌の正統なる後継
カバー集に留まらない作品の精神性
オープニングがM1「復興節」である。原曲は1932年の関東大震災直後に作られたものだという。これをアルバムの頭に持ってきたところからして、本作がいつどんな想いで創作されたのかということが明確に分かる。また、続くM2「美しき天然」は、もともとチンドン屋がよく演奏していたことで世間に広まったと言われている楽曲。これを収録することでモノノケ・サミットのスタイルを提示していると思われる。優れたDJのプレイの如く、1、2曲目でアルバムとバンドの本質を的確に表した見事な選曲である。
また、明治、大正、昭和の流行歌や民謡、唱歌をそのまま歌うのではなく、モノノケ・サミット流に歌詞をアレンジしている。そこにも彼らの“意気”が感じ取れる。
《家は焼けても神戸っ子の 意気は消えない見ててよネ/アラマ オヤマ ホンマの人間ここにあり/笑って 怒って 涙はいらない デッカンショ/阪神復興 エーゾエーゾ/淡路復興 エーゾエーゾ/日本解散 エーゾエーゾ》(M1「復興節」)。
《国際化 ボーダレスと言うけれど 地球の裏側の島国の/言葉をしゃべって得意顔 ほんまの祭りはどこにある》(M3「ラッパ節」)。
《ウチナチュもアイヌもイヤサッサ/ヤマトンチュもコリアンもドッコイショ/アイヌもウチナンチュもヘイエイホー/コリアンもヤマトンチュもアリアリラン》(M8「東京節」)。
よもやそんな抗議はないと思うが、“伝統的な民謡や唱歌を替えるなんて…”という向きが万が一にもあるかもしれないので念のため言っておくと、これはむしろ本来の流儀と言える。M5「デモクラシー節〜デカンショ節」がまさにそれで、そもそも「デカンショ節」は[兵庫県丹波篠山市を中心に盆踊り歌として歌われる民謡であり]、その節に独自の歌を載せたものが「デモクラシー節」である。M8「東京節」もそうだ。原曲は米国の「Marching Through Georgia(ジョージア行進曲)」で、原曲とはまったく関係のない大正期の東京の風俗をそこに乗せたものだ。当時の世相を絡めてアップデイトしていくことが正しきマナーなのであって、モノノケ・サミットはそれを行なっていたのである。そう考えると、彼らは日本の流行歌の正当な後継者と呼んでもいいかもしれない。
TEXT:帆苅智之