L→R 招鬼(Gu&Cho)、狩姦(Gu&Cho)、黒猫(Vo)、瞬火(Ba&Vo)

L→R 招鬼(Gu&Cho)、狩姦(Gu&Cho)、黒猫(Vo)、瞬火(Ba&Vo)

【陰陽座 インタビュー】
20年を経た陰陽座を
そのままかたちにした
作品を作りたかった

僕にとってはヘヴィメタルは
無限の音楽性を有したジャンル

続いて、11分を超える大作の「白峯【しらみね】」についてお願いします。

僕は基本的に“長い曲を作ってやろう”と思って取りかかることはなくて、結果的にこういう尺になりました。『雨月物語』という江戸時代後期に書かれた短編小説集のような本がありまして、その中に「白峯」という一篇があって、日本の伝承の中でもトップクラスに強力な怨霊である崇徳院のことが書かれているんですね。「白峯【しらみね】」は原典があるものを音楽にするといったコンセプトで作られていて、短編小説だからそんなに長い話ではないですけど、非常に内容が濃いので、それを忠実に音楽にするのに必要最低限でこの尺になったんです。

どんどん場面を展開させていけば簡単に長い曲になりますが、散漫さを感じさせないためには総てのセクションが上質であることが必要だと思います。「白峯【しらみね】」は、まさにそういう楽曲になっていますね。

そうだと嬉しいです。ロックの長い曲というと、同じパートを繰り返したり、冗長なパートがあったり…それが魅力になる場合ももちろんありますが、僕は以前から作ってきている大作主義的なものすべてにおいて、ただただ長いことだけを誇ろうというような気持ちではなく、ある物語を最後まで歌いきるために結果としてその長さになる、という気持ちで作ってきましたし、最後までちゃんと楽しむためには、さっき言っていただいたように、どの瞬間も良くないとダメなんです。それに、陰陽座の場合は常に歌が軸になるんですよ。なんとなくソロで間延びしているようなものではなくて、場面が変わったらその場面のことを歌う。ヴォーカルパートがどんどんかたちを変えながらつながっていっているので、素直に歌を聴いていれば“気がついたら10分が経っていた”となると思います。

そうなりました。それにしても、「白峯【しらみね】」のような曲はコンポーザーとしてかなりな胆力がないと不可能ですよね。おっしゃったとおり同じセクションの繰り返しがなくて、どんどん場面が変わっていく構成ですので。

いわゆるAセクション、Bセクションと数えていくと…Nまでいきますね(笑)。例えば“Jメロが最高だな”となってJメロを無駄に繰り返すとそこで飽きてしまうので、そこは惜しげもなく、“次に、次に…”と移っていく構成にします。でも、陰陽座の長尺の曲の中でこの曲が特に展開が多いわけでもないですけどね。

昨今はコンパクトな楽曲が主流ですが、「白峯【しらみね】」を聴かせていただいて、完成度の高い大作の魅力を改めて感じました。他にも洗練感を纏った「迦楼羅【かるら】」や瞬火さんがメインヴォーカルを取られているブルージーな「覚悟【かくご】」なども聴きどころです。

「迦楼羅【かるら】」は自分に備わっているもの…それは能力でも物でもいいのですが、自分が当たり前のように持っていたものが、ある日何かのきっかけで失われたとして、当然持っていたものがなくなるんだから名残惜しいし、“なくて不便だ! 困る!”と言いたくなると思うんですよ。だけど、最初からそれを持っていない場合だってあるわけで、少なくとも命はまだ持っているし、“まだこれがあるじゃないか”と思えたら進むことはできるんじゃないかということを歌っています。別に説教のようなつもりではなく、前を向くための気持ちの持ちようについて書きました。楽曲としてはヘヴィメタル然としているというよりは、ちょっと歌物的というか、歌を聴かせるかたちになっています。

いい意味で、ある種J-POPに通じる匂いがありますね。少し艶っぽいヴォーカルも含めて、バンドとしての表現力の幅広さを感じます。

ヘヴィメタルはギターが必ず歪んでいないといけないとか、ヴォーカルは必ずシャウトしていないといけない、ドラムは2バスを踏んでいないといけない…というような考え方はまったくナンセンスだと思っているんです。凶悪な2バスを踏んでもいいし、踏まなくてもいい、叫んでもいいし、叫ばなくてもいいのがヘヴィメタルだと思っているので。むしろ、そういう音楽はヘヴィメタルしかないんですよ。だから、僕にとってはヘヴィメタルは他の何よりも無限の音楽性を有したジャンルなんです。陰陽座では“これはメタルなの?”というようなものでも、ちゃんとした信念とテーマ性と音楽性があれば陰陽座流のヘヴィメタルであると言いきれるので、「迦楼羅【かるら】」はまさにそういうものですよね。

ヘヴィメタルは平坦な音楽だと思われがちですが、実はいろいろな要素を内包していて、どの部分をフィーチュアするかで印象が大きく変わりますよね。「覚悟【かくご】」については?

これは本当に泥臭いハードロックというか、ブルージーで愚直なリフに熱い歌が乗るという、それだけの曲です(笑)。

“だけ”ということはないです(笑)。

どうなんでしょう?(笑) このアルバムの中では突出してストレートで…いろいろ凝りに凝ったり、10分を超えて物語が展開していくような曲もやるけど、こういうストレートなものもやるというところが、まさに無限の可能性というか、音楽性というか。普通に考えたら、これを同じバンドがやっているのはおかしいじゃないですか。それをやれるのが陰陽座だという自負はありますね。

どの曲も説得力があると同時に魅力的です。それに、『龍凰童子』は9曲目辺りから表情が広がっていきますが、そこに至るまでのメタルチューンが上質だからこそより効果的な構成になっていると思います。

そう感じてもらえたなら本望です。いろんな音楽性を持っているからと適当にばら撒いたのでは散漫になって、興奮が続かないと思うんですね。これだけいろいろ変化する音楽性をひとつのものとして聴いてもらうために、曲の流れにはすごく気を遣っています。今回もおっしゃるとおり、頭から中盤までというのは聴き続けるに足る流れとクオリティーがあって、そこで得た満足感を持って中盤のもっと充実したところに踏み込んでもらって、そこがさらに充実しているからこそ最後まで聴こうと思えるものにしたかったので。それは口で言うほど簡単なことではないけど、今回は久しぶりのアルバムになってしまったので、できるだけたくさんの楽曲を収録したい想いもあったんです。ただただ詰め込んだだけでは不要な曲が出てきてしまうので、楽曲のクオリティーや曲順には本当にこだわりました。だから、前半からずっと上質で、中盤に山があって、最後まで聴けるアルバムだと感じていただけたとしたら、それは僕が作りたかったものが作れているということなので嬉しく思います。

15曲というボリュームのアルバムですが、一気に聴くことができました。そんな『龍凰童子』を締め括るのは「心悸【ときめき】」という明るいナンバーなんですね。

陰陽座のアルバムの最後の曲は楽しい曲というのが定番なんです。ライヴを楽しく終わらせるのと同じような気持ちで締め括りたい想いがあるので。「心悸【ときめき】」は歌っている内容としては、生きている人なら誰でも持っている心臓という器官がありますよね。心臓は別に人間が“動け動け!”と言っているわけじゃないのに一生懸命に何十年も動いてくれる、言ってみれば信じられないくらい質実で精密な器官で。心臓が動いていることを常に意識しながら生きているわけではないけど、ふとした時に“こいつはずっと脈打っているな”と思うとすごく愛おしくなるんですよ。つまり、「心悸【ときめき】」は心臓への感謝を歌っているんです。心臓が動いているということは生きているということで、ひいては生きている喜びを歌っていて、生きているからこのアルバムを作れたわけだし、生きていればライヴという場でまたファンのみなさんに会えるかもしれない。そういうことまで含めた命の喜びを歌っている…メンタルではなく、フィジカルな命の根幹と言える心臓そのものを讃える歌です。

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

新着