Arche新作ダンス公演『パンタレイ』
座談会 井田亜彩実×大小島真木×笠
松泰洋〜私はいつまで〈私〉なのだろ
うか? 私はいつから〈私〉なのだろ
うか?

縁というものは面白い。イスラエルで活躍していたダンサー・井田亜彩実が長野県に住み始めたと思ったらFacebookでつながっていた音楽家・笠松泰洋とひょんなことから創作を開始し、長野県で公演を行った。一方、井田は前から気になっていたという気鋭の美術家・大小島真木と北村明子が振付・演出したKAAT神奈川芸術劇場『ククノチ テクテク マナツノ ボウケン』で出会った。そしてこの11月に井田が率いるユニットArcheの新作『パンタレイ』で3人が顔を合わせ、長野と東京で公演を行う。まぁ長野県に暮らす筆者が縁に感じるのは、さらに大小島が長野県立美術館で展示をしたり、諏訪でアーティスト・イン・レジデンスをしていたからなんだけど。それはともかく、パンタレイ(万物流転)は流転し、変容しつづける〈私〉たちによる、乱舞饗宴になるのだそう。参加せずにはいられない!
『パンタレイ』出演者の面々
――今公演はとても面白い顔ぶれになりましたね。それぞれの出会いについて井田さんに教えていただけますか。
井田 真木さんのことは、実は知り合いが「亜彩実が絶対に好きな世界観を描いてる、すごい人がいる」と紹介してくれて、作品のパワーにとても興味を持っていたんです。そしたら『ククノチ』でご一緒することができて。私が惹かれたのは、真木さんが人間だけじゃなくすべての生命に愛を持って作品づくりをされていること。『ククノチ』はキッズ向けだったのでかわいらしさを前面に出されていましたが、普段はもっと生きること死んでいくことをリアルに捉えていらっしゃる。今回は真木さんにその部分を出してほしいとお願いしたんです。引き受けていただけたのはハッピーすぎです(笑)。
笠松 僕はその『ククノチ』を見ていて、強く印象が残っているんですよ。だからその方たちと一緒にやれるのがうれしいですね。
井田 笠松さんとは2年前に『Granatus』という作品でご一緒させていただきました。
笠松 Facebookでつながっていて、たまに井田さんがご自分で描いた絵を載せているのを面白いなと見ていたんですよ。
井田 たまたまメッセージのやりとりをする機会があり、勢い余って私が「音楽をつくっていただけませんか」とお伺いを立てたんです。そうしたら、驚くことに作曲してくださるということになって。こちらもうれしすぎる展開でした!
笠松 そのダンス公演がすごく面白くて、僕が主催した公演にもその曲を使い、井田さんにも出てもらったんです。
大小島真木(右)と井田亜彩実
――真木さんは『ククノチ』でダンス公演に携わった経験は何かにつながったりしているんでしょうか。
大小島 そうですね。もちろん現代アートの世界でもパフォーマンス的なことが行われたりはしますが、ダンス作品の場合はもっと濃縮した時間が常で、その肉体の見え方や時間軸の捉え方の中で舞台美術がどうあるべきか考えることは新しい挑戦でした。今回は、よりダイレクトに亜彩実さんとの話し合いの中でクリエイションが進められていて、私のアイデアを亜彩実さんが身体で形にしたり、亜彩実さんのアイデアを私が美術として形にしたりという往復運動がとてもダイナミックで、また新しい挑戦をさせていただいている気持ちでいます。
――真木さんは今回、共同演出というクレジットになっています。
大小島 それは亜彩実さんがそうしてくれただけで、私は本当にアイデアをちょこちょことお伝えしたりするくらいです(笑)。やっぱり舞台における主役はダンサーさんたちの身体そのものですからね。
――井田さん、『パンタレイ』のプランはどういうことからスタートしたのですか。
井田 もともと私は細胞に興味があって、これが生きていく死んでいくことにどう関わっているのかずっと考えていました。ダンサーさんにもよく「細胞を感じて動いて」と言ったりするのですが、その瞬間には細胞はもう失くなって新しいものに生まれ変わっている。今存在している身体は一瞬一瞬に細胞が生まれ紡いでいるものなのです。そして真木さんの作品の解説を読んで「動的平衡」という概念を知ったのですが、私がいつも生きていく上で感じていたことだった。輪郭は変わらないけれど、身体ではさまざまな変容が起きていて、ずっと同じではないということを取っかかりとして作品を構成していきたいと考えたんです。そのときに真木さんが『パンタレイ』という素敵なタイトルをつけてくださった。また私は作品を見るときに、見る側見られる側に分けるのがあまり好きではないんです。見ている人も演じている人もひっくるめて変容していく、一瞬たりとも同じ瞬間はない、その変容の先に何があるのかを見てみたい、そこにチャレンジしたいと思っています。
――真木さんからはどういうアイデアをもらったんですか。
井田 めちゃくちゃたくさんあるんですけど、まずはそういう話をしたときに文章で表現したりチラシの解説もまとめてくれて、おかげでどう先に進んだらいいかが見えたし、こういう美術はどうか、こういう見せ方はどうかと意見をくださって。道具を使うんですけど、それも真木さんが絵で描いてくれて、そこから身体表現に変化していくことを私が考えたりしています。私は直感的に考えるタイプですが、真木さんはコンセプトの部分をわかりやすく、根気強く私に話してくださるんです。
大小島 あはは! 付け加えるなら、亜彩実さんが興味を持っている「私はいつまで〈私〉なのだろうか? 私はいつから〈私〉なのだろうか?」という言葉は、単に比喩的な表現ではないんですよね。たとえば骨なら2年間、細胞だったら毎日、実際に入れ替わっているわけです。大前提として私たちの生は一つの状態に固定されたものではない。亜彩実さんは身体を使いながら、その変容していく私たちというものを捉えようとしているんだと思っています。「動的平衡」は分子生物学者の福岡伸一さんがおっしゃっている言葉ですが、私はこの言葉を、細胞が常に動的に入れ替わり続けていることで辛うじて生きながらえているのが私たちの生のありようを表すものとして捉えているんです。もっと言うと、生命とは、最初に生があって最後に死があるというような、単純なものではない。常に生と死が入れ代わりながら、有象無象の生き物たちと絡まり合いながら動いている、ひとつの現象のようなものだと思うんです。自分たちが食べるものは自分たちの体内に住まう細菌たちに分解されることで栄養素となり、やがて自分たちを構成する細胞へと変化していく。私たちとは私たちが食べているもののことでもあり、あらゆるものが生成変化していく上でのひとつの場のようなものでしかないと感じます。そのように身体を考えていったとき、パンタレイ=万物流転という言葉がすごくしっくりきたんです。自分たちは世界と共に常に変容し続けている、万物は流転していくことをその本性としている、これが『パンタレイ』という公演の大きなテーマの一つだと思いながら創作しています。
井田 ね、もう説明がすごく素晴らしいんです!
笠松泰洋(右)と井田亜彩実
――笠松さんはそうしたお話を聞いたり、真木さんの絵などをヒントに曲をつくられたわけですか?
笠松 実は井戸さんと昨年やった『Species -種-』も生命とは何かがテーマでした。今回はそれをもっと掘り下げるために、真木さんとの共同作業を選んだのだろうと思いましたね。僕は具体的に踊りをつくり始めて動いた映像を見て、音のイメージに対する言葉をもらってつくっています。「もうちょっとこうしてください」というやりとりはもどかしいので、井田さんに僕の家に来てもらって、その場で意見を聞きながらどんどんつくっています。そういう作業を繰り返す中で、これだという音にたどり着く。もう完全共同作業です。
――笠松さんにとってはこのテーマはいかがですか。
笠松 僕自身の中でやりたいテーマがいくつかあって。かつて僕は時間があれば野山で昆虫採集をしたりキノコ採りをするような子どもで、そのころから環境破壊を考えていたんです。だから環境問題とか人間が生きるということはどういうことなのかはすごく身近なテーマです。最近も人間はどう生きるかをもう一度見つめて表現してみようというダンサーさんたちからなぜかをお話をいただく。そういう感覚をどことなく発信している者同士、引き寄せ合っているのかもしれません。だから今回も、美術も踊りもぴったりきていて、やっていてめちゃくちゃ楽しいです。
――井田さん、現場はいかがですか? 
井田 当初はダンサー陣も苦戦していました。身体がめちゃくちゃ効く方ばかりだから動きは素晴らしいけれど、変容することを表現するにはやっぱり細胞が変化していかなければ見せかけになってしまう。今回はそのことへのトライをみんなでやっています。そういう意味では派手ではないのですが、繊細な部分のクオリティをどこまであげられるか、ダンサー陣としては挑戦です。でもみんなスイッチが入ってきているので、ここからもう一段階、コンセプトと動きとのすり合わせがうまくいけばいいなと思っています。あとは真木さんの美術も徐々に増えてきているので、それらをどう使って見せていくか、これもトライです。
『Granatus』より
――どんな美術が生まれているんですか。
大小島 今回はわりと具体的に描いたりつくったりしているのですが、それが違うものに変容していくというか。『ククノチ』も含めこれまでは造形物を自分が主体となってつくることがメインでしたが、『パンタレイ』では自分が何かをつくるというより、ダンサーたちの身体をより変容させるということに意識を向けながら、美術がもっとダンサーの身体に絡まっていくような仕掛けをと思っているんです。たとえば大きな1枚の布があるんですけど、これは幕でもあり、膜でもありダンサーと関わったり、あるいはいろいろなイメージを生み出していく。私自身は舞台装置そのものをいかに『パンタレイ』的に流転させていけるかということにトライしていますが、今回はそれらを通して私自身が何かを表現するというよりも、舞台上でダンサーさんが動くことによって生命を吹き込める、そこで初めて完成するというものを目指していますね。
――笠松さんは生演奏はされるんですか。
笠松 今回は録音したものを使います。息の音から風の音から自分自身で出して録音して、それをいろいろと波形を変えたりして素材として使っています。ボイスパーカッションに近いことまでやっています。
井田 やばいですよね。こんなすごい方に私は何をさせているんだろうと思うと笑いが止まらなくなります(笑)。笠松さんのクレジットを音楽とボイスパフォーマンスにしようと思ったくらいです。
笠松 ありとやらゆる部分を使っています。もう僕は井田さんに徹底的に付き合いますよ。5年、10年前だったら僕自身が対応できなかった。でも今の自分は枠がどんどん外れて自由になっている。技術的にも幅ができた。楽器は知恵を結集した塊ですが、人間が音楽的な表現をする中のごく一部しかできないと思うんです。そこから外れたものも取り込んでいかないと新しい表現にできないなって。同じ風の音を形容させるにしても尺八になる文化とフルートになる文化があるけれど、その両方でも表現しきれない、そこを超えたものじゃないと井田さんの欲求にはついていかれないんですね。それこそ細胞レベルまで戻らなきゃいけないのに、歴史や文化を背負っている楽器など使っていられません。
取材・文:いまいこういち

アーティスト

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