戦後の日本を代表する芸術家・岡本太
郎の圧倒的なパワーが炸裂! 『展覧
会 岡本太郎』レポート

圧倒的なパワーで突きつけられる作品群を、あなたはどう見るだろうか。戦後の日本を代表する芸術家・岡本太郎の人生を史上最大規模の展示で振り返る『展覧会 岡本太郎』が、2022年10月18日(火)から12月28日(水)まで、上野の東京都美術館にて開催されている。
会場エントランス 上:《光る彫刻》1967年 川崎市岡本太郎美術館
本展は大阪の中之島美術館で大盛況のうちに幕を閉じたのち、東京都美術館へと巡回してきた。興味深いのは、大阪、東京、そしてこの後に控えている名古屋のいずれの会場でも、美術館によって展示の見せ方が大きく異なるという点である。東京展から新たに加わった展示品もあるので、すでに大阪展に足を運んでいるアートファンにとっても見逃せない機会となるだろう。 
それではエネルギー溢れる展示の中から、見どころの一部を紹介していこう。
理屈はいらない。TAROワールド全力発進!
展示風景 中央:《若い夢》1974年 川崎市岡本太郎美術館
展示は序章+第1章〜第6章で構成されるが、序章からいきなり面白い。制作年の時系列や、絵画・彫刻といったジャンル分けを大胆に取っ払って、展示室全体に岡本太郎の代表作が散りばめられているのである。もちろん順路もない。どこからでも、かかって来い! と言われているような気分だ。中央では頬杖をついた《若い夢》が “岡本宇宙” にいきなり投げ出されて戸惑う来場者たちを楽しそうに見ている。
《森の掟》1950年 川崎市岡本太郎美術館
1950年、岡本太郎が39歳の時に描かれた代表作のひとつ《森の掟》。レッド・パージが横行して右傾化してゆく日本社会への風刺が込められており、チャックのついた怪物は民主主義の皮を被った軍国主義、という解釈が発表当時から主流だが、画家自身はそれを肯定も否定もしていないという。実際に見ると、でかでかとチャックのついた怪物とは、相当滑稽だ。逃げたり見ないふりしていないで、みんなで飛びかかって開けてしまえばいいのに……、なんて思いは楽観的すぎるだろうか。齧られている人物はかなり痛そうである。
《反世界》1964年 東京国立近代美術館
見ていると心がざわつく《反世界》。無数の触手のように見えるもの以外、何が描かれているか説明することは難しい。が、目が離せない。こちらは岡本が日本各地のフィールドワークを経て、より呪術的なものへの関心が深まった時期に描かれた作品。「芸術は呪術である」という彼の言葉が初めて登場したのも、同じ1964年のことだ。
《愛》1961年 岡本太郎記念館
立体作品《愛》。白く滑らかな2体は、向き合って眠る恋人のようだ。お互いに決定的に異なる形の凸凹を持ち、ぴったりひとつになることはできなさそうである。ギザギザとぷよぷよのフォルムは、次章にある初期の絵画作品《コントルポアン(対位法)》とそっくり。対極的なものが一緒にあることで爆発的な力が生まれるという、岡本太郎の提唱した「対極主義」の、ロマンチックな解釈のように捉えられるのではないだろうか。
展示風景 左:《若い闘争》1962年 川崎市岡本太郎美術館、中央:《まひるの顔》1948年 川崎市岡本太郎美術館、右:《ノン》1970年 川崎市岡本太郎美術館
冒頭から、ただの受け身でいることを許してくれない展示である。自分の感覚を頼りに歩き回り、「私はこれが好きだ」「よくわからないが怖いぞ」と、作品とぶつかり合ってみる。息を止めて見入ってしまうものもあれば、逆にあまり心に引っかからないものもあるだろう。来場者それぞれにとって、岡本芸術が密やかな “自分ごと” になるのだ。この先の展示を見ていく上で、最高の導入だと思う。ちなみにこの大胆な序章は、東京展独自で追加されたものだそうだ。
失われたパリ時代をしのぶ4点が集結
さて以降は、スタンダードな回顧展のように時系列に沿って展示が進んでいく。第1章では岡本太郎がパリで過ごした20代の頃に描かれた作品について。といっても、展示されているのはすべて40代になってから再制作されたものである。岡本は1940年に最後の引き揚げ船で帰国したが、持ち帰ったパリ時代の作品は彼の出征中に空襲で燃えてしまい、1枚も残らなかったのだ。
《痛ましき腕》1936年/1949年 川崎市岡本太郎美術館
パリ時代を代表する《痛ましき腕》。当初は《腕》だったものが、再制作された際に改題された。ピカソに感銘を受けてから抽象芸術運動に打ち込んでいた若き岡本が、やっぱり抽象画とはいえ「手に触れ得るものを描きたい」と独自路線を歩み始めた、記念碑的作品である。この作品がシュルレアリスム運動のリーダーであったアンドレ・ブルトンに激賞されたことで、パリでの岡本の評価はさらに確たるものになった。
画集『OKAMOTO』G.L.M 1937年 岡本太郎記念館/愛知芸術文化センター
戦火で失われた彼の作品たちは、パリ時代に出版された画集『OKAMOTO』で辛うじて当時の姿を知ることができる。戦後に“復活”したのは、そのうちの4点のみ。本展ではニューヨークのグッゲンハイム美術館からの協力を得て、その4点すべてが展示される。
左から:《露店》1937年/1949年 ソロモン・R・グッゲンハイム美術館、《コントルポアン》1935年/1954年 東京国立近代美術館、《空間》1934年/1954年 川崎市岡本太郎美術館
手前が、約40年ぶりの日本公開となる《露店》。笛吹きに没頭する売り子の女性はリアルなタッチで描かれているのに対して、画面上部の風車などは奥行きを奪われ、モノというよりデザインに近くなっている。具象的な表現と抽象的な表現が混在する画面には、芽生えたての岡本流「対極主義」を感じることができるだろう。
【初公開】限りなく岡本と思われるブルー
推定 岡本太郎《作品B》《作品A》《作品C》1931年〜1933年 ユベール・ル ガールコレクション(パリ)
恐ろしくタイムリーなことに、2022年2月パリにて、超初期の岡本作品と推定される3点が発見された。絵の具の蛍光X線分析や筆跡鑑定、研究家たちによる協議の結果「岡本太郎本人の作品である可能性が極めて高い」という。本展では、その3点が一般への初公開のときを迎える。完全に失われたと思われていた、岡本太郎20代初期(推定)の貴重な作品である。発見の経緯や鑑定についての解説とともに、ぜひ注目してみてほしい。
戦後の日本画壇でのTARO
第2章は戦後の日本の美術界を挑発する、アヴァンギャルドの旗手としての岡本太郎が紹介される。真っ赤な壁に、原色で描かれた力強い作品が並ぶ “これぞ岡本太郎” な展示エリアだ。
展示風景 左から:《夜》1947年 川崎市岡本太郎美術館、《赤い兎》1949年 富山県美術館、《作家》1948年 川崎市岡本太郎美術館
《夜》は、岡本が文学者の花田清輝、安部公房らと発足させた前衛芸術運動の研究会「夜の会」のネーミングの元になった作品として知られている。後ろ手に刃物を隠して、上方の髑髏と対峙する少女……というモチーフが詩的である。“髑髏(死)と少女(生)”と言えば、西洋の伝統的な絵画によく見られる「いつかは死が訪れる」といった教訓や無常感を表す対比的な存在なのだが、この作品では少女が死と刺し違えんとする気迫がすごい。さらに少し離れて見ると、巨大な樹は目を血走らせた怒りの形相に見えるよう仕掛けられており、シュルレアリスム絵画で見られるダブルイメージの手法が取り入れられているのがわかる。
左:《燃える人(ドローイング)》1955年 岡本太郎記念館、右:《燃える人》1955年 東京国立近代美術館
第五福竜丸の被曝事件をテーマにした《燃える人》は、隣に展示されているドローイングと併せて鑑賞することで、さらに理解が深まるだろう。岡本はひとつの絵画作品を制作するときに、自身の「内的な衝動」が明確になるまで何度でもデッサンやドローイングを繰り返したという。
土着の力、血に刻まれた記憶
折り返しとなる第3章は「人間の根源 ー呪力の魅惑ー」と銘打たれている。岡本太郎にとってターニングポイントとなった縄文土器との出会い、各地での民俗学的取材で撮りためた記録写真、そしてそれらの成果として彼がたどり着いた、書にも似た呪術的な作品群が紹介される。岡本芸術を知るうえで外すことのできないパートだ。
右手前から:《縄文土器(長野県出土)/東京国立博物館》1956年、《角巻きの女》1957年、《竹富島の道》1959年 全て川崎市岡本太郎美術館
パリ大学では民俗学の大家マルセル・モースに師事していた岡本。芸術家人生を通じて、土着の信仰や民族行事への強い関心が貫かれている。特にそれが明確になったのが、1951年に東京国立博物館の展覧会で縄文土器の複雑怪奇な美しさに衝撃を受けてからと、1959年に沖縄・久高の聖地を取材してあまりの “何も無さ” に打たれてから。それぞれへの深い考察と思いは『日本の伝統』『忘れられた日本(沖縄文化論)』などの著書に結実している。
左:《装える戦士》1962年 川崎市岡本太郎美術館、右:《愛撫》1964年 川崎市岡本太郎美術館
1960年代、岡本太郎50代の頃からの作品はこれまでと雰囲気が変わり、書道の文字のような形体が見られるようになる。密教の梵字への関心や、岡本の祖父が書家だったという背景も無関係ではないだろう。抽象度は上がり、画面としては何が描かれているのか(さらに)分からなくなったと言えるのだが、作品から噴き出すエネルギーはより純度を増し、剥き出しになったような印象も受ける。
「芸術」を超えた親しみやすさ
第4章ではパブリックアートやグッズの展開など、人々の生活に広く浸透していった岡本太郎の芸術あれこれを振り返る。テーマパークのようなパッと明るい展示空間に、ちょっと心をほぐしながら見ていこう。
展示風景 左:《手の椅子》1967年 川崎市岡本太郎美術館、中央:《駄々っ子》1969年 川崎市岡本太郎美術館、上:《TARO鯉》1981年 岡本太郎記念館
東京在住ならきっとお馴染みの、こどもの城エントランスにあった《こどもの樹》も。幼い頃、怖くて直視できなかったのを思い出す……。テーブルには岡本が手がけた食器やファッションアイテムが飾られ、壁のモニターでは、流行語大賞になった「芸術は爆発だ!」のCM映像を見ることも。これらの多岐にわたる活動はすべて、芸術は一部の金持ちやインテリのためのものではなく、大衆に向かって開かれたものである、という彼の信念に支えられている。
ちなみにここでは東京展で新たに追加される展示品として、岡本太郎が携わった映画・演劇の関連資料を見ることができる。日本初のカラー特撮映画『宇宙人東京に現わる』での宇宙人(パイラ人)のデザイン画などが見られる貴重な機会だ。
《坐ることを拒否する椅子》1963年 川崎市岡本太郎美術館
ちょっと一休みということで、いくつか設置された《坐ることを拒否する椅子》に腰掛けてみるのもいいだろう。おすすめはこの赤い椅子だ。瞼のエッジが立っていて、座られることへの拒否が半端ではない。
燃え上がれ、伸び上がれ人類
そして第5章では、いよいよ岡本芸術の真髄と言える大作《太陽の塔》と《明日の神話》、同時期に制作された “ふたつの太陽” に注目する。《太陽の塔》は大阪の万博公園に設置されているものの1/50スケール模型が、《明日の神話》は渋谷駅に設置されているものの1/3サイズで描かれた精巧な下絵が展示されている。視界に収められる大きさにまでいったん縮めることで、こういう作品だったのか、と改めて把握できるのはとても新鮮だ。
展示風景 手前:《太陽の塔(1/50)》1970年 川崎市岡本太郎美術館、奥:《生命の樹 全景模型》2017年 岡本太郎記念館
模型、内部模型、映像資料、ドローイングなど、あらゆる角度から《太陽の塔》の解析を試みる。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げた1970年の大阪万博において、この腕を広げた怪物のような謎の巨塔は、人々から賛否両論を持って受け入れられたという。しかし未来都市構想そのものである丹下健三の「大屋根」に穴を開け、突き破るというレイアウトが初期構想段階から決まっていたこと。そして塔の内部に、枝とも血管とも取れる“生命の樹”を抱いていること……それらを合わせて考えると、岡本がこの “べらぼうな存在” に託した根源的な生命賛歌を感じ取ることができるだろう。
《明日の神話》1968年 川崎市岡本太郎美術館
《明日の神話》は、もともとメキシコのホテルのロビーに飾られる予定だったものだという。ホテル計画の頓挫によって一時行方不明になっていたものの、2003年の発見・修復を経て渋谷駅への設置が決まった。この作品が人類と原子力(もうひとつの太陽)の関わりを描いたものだということは、福島の原発事故の直後にChim↑Pomが右下部分を加筆して騒動になったことで、わりと広く知られているのではないだろうか。
中央で炎に包まれる骸骨は、原子力の火に焼かれているというよりも、岡本自身の言葉でいう「全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらく」状態のように見える。原子力の礼賛でも批判でもなく、今ここから私たちはどうするべきなのか、自覚的であれと突きつけられているように感じてならない。神話というのは、いつだってその時点から見て過去の出来事だ。「明日の神話」とは、すなわち「今日」のことなのだと思う。
衰えることない創作意欲
展示風景 手前:《面》1975年 川崎市岡本太郎美術館
最後の第6章では、1970年以降の作品が並んでいる。真っ黒く塗りつぶされた目玉のモチーフが、何度も何度も繰り返されるのが印象的だ。「眼は存在が宇宙と合体する穴」「宇宙に開かれた窓」と岡本が語っているように、目玉の向こうには個を超えた闇が広がっているようだ。近年発売されて話題になった、光をほとんど反射させない「暗黒ブラック」の絵の具をもし彼が手にしていたら、きっとこの目玉の部分に採用したのではないか……と想像する。
岡本太郎は最晩年まで創作意欲が衰えることはなく、絵筆を握り続けていたという。自身の過去作品にも手を入れ続け、たとえすでに高い評価を受けていた作品であっても果敢なアップデートを試みた。実際に加筆された作品群の展示を見ることで、どこまでも挑戦者であり続ける彼の姿勢を実感することができるだろう。
手前:《雷人》1995年(未完)岡本太郎記念館、奥:《午後の日》1967年 川崎市岡本太郎美術館
絶筆とされる未完の《雷人》は、最後の作品とはとても思えないほどのエネルギーに満ち溢れている。最後の展示室にはこの一枚と、多摩にある岡本太郎の墓碑となっている彫刻《午後の日》だけが、言葉少なに展示されていた。
太陽はこちらを見ている
数々のキャッチーな名言、パブリックアート、そして太陽の塔によって知られている岡本太郎は、近代日本で一番有名な芸術家といっても過言ではないのではないのだろうか。けれど知っているようで、自分はその芸術活動や人生について実はほとんど何も知らなかったことに気付かされた。この『展覧会 岡本太郎』は、「芸術は爆発だ」の人……といったイメージから、ひとまわりもふたまわりも大きい、人間・岡本太郎の作品と生き様を全力でぶつけて来てくれる。
出口付近にて、こちらをニュッと見下ろしてくる太陽の塔を発見。ちょっと怖くて、ちょっと可愛い。
挑発され、背中をバシッと叩かれるような、エネルギーを感じさせてくれる展覧会だった。理屈抜きに元気が出るので、会期中にもう一度行こうと思っている。
『展覧会 岡本太郎』は2022年12月28日(水)まで東京都美術館にて開催。その後、2023年1月14日(土)より愛知県美術館へと巡回予定。

(c)岡本太郎記念現代芸術振興財団
文・撮影=小杉 美香

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