『歌妖曲』で任侠演じる山内圭哉「不
良の大人がいっぱいいた」ーー中川大
志、松井玲奈ら平成生まれが抱く昭和
スター印象も

11月6日(日)より東京の明治座、12月8日(木)より福岡のキャナルシティ劇場、12月17日(土)より大阪の新歌舞伎座で上演される音楽劇『歌妖曲〜中川大志之丞変化〜』。昭和の歌謡界を舞台に、戦後の芸能界に君臨する「鳴尾一族」をめぐって、さまざまな思惑が交錯する。今回は芸能界のスター、桜木輝彦と闇に葬られた鳴尾一族のひとりである鳴尾定の二役を中川大志がつとめる。そして、鳴尾一族に恨みを持つレコード会社社長の蘭丸杏役の松井玲奈、歌謡界の裏側で暗躍する任侠界の大物、大松盛男を演じる山内圭哉が記者会見を実施。その様子のほか、山内圭哉への単独インタビューの内容もお届けする。中川、松井の個別取材の模様は後日公開。
左から山内圭哉、中川大志、松井玲奈
●中川大志、松井玲奈が記者会見で語った「昭和のイメージ」
――中川さんは今回、ひとり二役に挑まれますね。
中川:定、桜木という二役です。でもひとり二役というイメージは持っていません。湧き出ている感情は、定も桜木も同じものを共有している。光を浴びているときと闇のなかにいるとき、その両方の時間が影響を及ぼしあって互いに生きていると思うんです。ただ、放っているオーラは異なるはず。そういう姿を舞台上で観せたいです。
――松井さん、山内さんは今回の作品の魅力をどのようにとらえていますか。
松井:物語に寄り添うような昭和の歌謡曲が出てくるところです。観終わったあと、メインテーマを口ずさんでもらえるんじゃないかな。シェイクスピアの『リチャード三世』がもとになっていますが、気負わずに昭和歌謡の世界をのぞきにくる感覚で楽しんでもらいたいです。
山内:『リチャード三世』はピカレスクロマンの中で圧巻の物語ですよね。なんであんなに魅力的なんやろうと思います。それを昭和の芸能界に置き換えて、妬み、嫉み、憎しみが巻き起こる。昭和という設定ですが、いろんなリアリズムを感じてもらえるはず。でも『リチャード三世』に沿っているわけではなく、あくまでフレーバーなんです。
左から山内圭哉、中川大志、松井玲奈
――時代背景となる昭和のイメージについて、みなさんどう感じていらっしゃいますか。
中川:平成10年生まれの自分にとっては、戦争から復興していく人々のエネルギーがあふれていて、ファッション、カルチャーなどいろんなものがミックスされていたように思えます。現代は規則的で綺麗になりすぎていることも多い気がするので、昭和のごちゃまぜな雰囲気は、今となってはまぶしく見えたりします。
松井:ファッションが素敵ですよね。流行があるようでないというか。いろんな時代のものを、みなさんが好きずきに取り入れて着ている印象です。ちょっと飾りたてている感じが素敵だし、写真や映像からも楽しんでいる様子が伝わってきます。今回の作品でも昭和の服を着られるのが楽しみなんです。
山内:昭和には不良の大人がいっぱいいたんです。僕の師匠の中島らももそうです。なにをやっているか分からんけど、おもろいおじさんがたくさんいた。だから「大人になったら楽しいことが待ってるんや」と思っていました。芸能の世界には入ったら犯罪を犯さなあかんと思っていましたから(笑)。でも今はコンプライアンスとかがあって、不良の人たちも「不良じゃないよ」と言わなきゃいけなくなりましたよね。そこがちょっと複雑な気分です。
――中川さんにとって昭和のスターとはどういうものでしょうか。
中川:その時代の歌手を調べると、ステージにひとりで立っている方が多いですよね。そこに立つことで、その方が背負っているもの、辿ってきた人生など、バックボーンが音楽のエネルギーとして乗っている。昭和のスターのみなさんはそこがカッコ良いと思います。
●山内圭哉「吉田鋼太郎さん、古田新太さんはいまだに不良」
山内圭哉
――山内さんは昭和46年生まれ。昭和という時代のなかで少年時代を過ごしていらっしゃいます。当時はテレビの時代で、芸能界の影響力も強かったですよね。
当時のヒット曲は、親から子まで全員知っていましたよね。今は世代によって流行りの歌が違うけど、昭和はBGMのように流行りの歌謡曲が常に流れていて、みんながテレビなどを通して聴いていた。現在の若者はテレビをほとんど観ないじゃないですか。当時はみんな、同じ番組を観ていましたから。それこそ大人も子どもも『ノックは無用!』(関西テレビ)を観ていましたし。
――昭和と令和では芸能界のスターの意味合いも違ってきているような気がします。
スター自体はいっぱいいると思うんです。でも「こんな大人になりたい」という先輩たちはたしかに減ってきました。そんななかでも、演劇の世界にはまだそういう「不良」が存在します。吉田鋼太郎さん、古田新太さんとかがまさにそう。そもそも演劇はちゃんとせんでもええですから。あの人らもまだまだ暴れてくれてますし。
――記者会見でもお名前が出ていた、中島らもさんとかはどうでしたか。
あの人はスターというより、当時のサブカルそのものですよね。今はサブカルも言葉の意味が変わっちゃいましたけど。たとえば、みうらじゅんさん、いとうせいこうさん、リリー・フランキーさんとか、「本業はなんなん?」という人が本やCDを出したりして。そういうおもしろい人らがいっぱいいて、「大人になってもちゃんとしなくて良いんだよ」と思わせてくれていた。
山内圭哉
――やはり今は違いますか。
ええ。今は役者を目指すにもちゃんとせなあかんから。でも正直、ちゃんとしたところでおもろい芝居はできるんかなと、ちょっと疑問なんです。演劇の世界は破綻している人間ほど認められるところもありますし。それが良いかどうか分からないし、他人を傷つけたりするのはもちろんあきませんけどね。
――山内さんはかつてめちゃくちゃ尖っていらっしゃいましたし、私たちの世代のなかには、山内さんのそういうパンキッシュなところにスター性を感じていた人も多かったはず。
自分はどうなんか分かりませんけど、どうバランスをとっていくかは考えてやってきました。大きな仕事をいただけるときに、昔と同じ方法論でやっていても迷惑をかけるだけなので。だからその答えのひとつとしては、自分が好き放題できるカンパニーを持つことなんです。僕は福田転球さんとふたりでそういうことをやっていますけど。ここ10年くらい、その重要性を実感しています。
山内圭哉
――山内さんにとってスター性とはどういうものですか。
自分でなんとかできるもんじゃないですよね。劇団に入りたての頃、桂枝雀師匠とお話をさせていただいた時に、芸人の起源についてこうおっしゃったんです。「太古の村で、男らは山へ木を切りに行って、しんどい日々を送っていた。そんなある日、ひとりの男が飯のとき「屁をここうとしたら、ミが出たんや」と言ったら、みんながわーと笑ったんや。で、その話を聞いて「仕事が楽になった」という人がたくさんいた。そして男はこう言われた。「木を切りに行かんでええ。そのかわり、みんなが飯を食うときにそういう話をして笑わせてくれ」と。それが芸人の起こりなんや」と教えてくれたのです。
――なるほど。
スターは自分が志すものではない。みんなから「やってくれ」と求められる人なんですよね。周りがかたどってくれるもの。僕はいまだに役者になろうと思ってないんですけど、昔、たまたま中島らもさんと知り合って、「お前は芝居をやれ」と言われてそのまま続けている。そして芝居で食っていけるようになった。自分はスターではないけど、オファーが途切れずここまでやってこられたのは、「お前は芝居をやれ」と言うてくれる人がいたからなんです。そういうもんなんやろうなと思います。
山内圭哉
取材・文=田辺ユウキ 撮影=高村直希

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