京都でしか鑑賞できない大回顧展『ア
ンディ・ウォーホル・キョウト』レポ
ート 日本初公開約100点を含む約20
0点以上の作品が揃う特別な機会

今秋、ついに京都市京セラ美術館新館「東山キューブ」でスタートした『アンディ・ウォーホル・キョウト/ANDY WARHOL KYOTO』。本来ならば2020年、同館のリニューアルオープンを記念して行われるはずだったが、新型コロナウイルスの影響でやむなく延期に。2年の時を経て待望の開催となった。本展はアメリカ・ピッツバーグにあるアンディ・ウォーホル美術館の所蔵品のみから、日本初公開の作品約100点以上を含む約200点以上が展示される。生前二度にわたり京都を訪れていたアンディ・ウォーホル。その際の見聞は彼の制作に大きな影響を与えたそうだ。本展は「ウォーホルと京都」というキーワードに大きく焦点を当てた、京都でのみ行われる非常に特別な展覧会。初期作品から、彼の生い立ちや晩年の作品などが包括的に展示され、ウォーホルと日本の関わりにも触れられる貴重な機会だ。今回は一般公開に先駆けて9月16日(金)に行われた開会式に続き、プレス内覧会の模様をレポートする。
『アンディ・ウォーホル・キョウト』展示の様子
展示会場に入ると、巨大な展覧会ロゴとアンディ・ウォーホルの肖像画が出迎えてくれる。プレス内覧会はアンディ・ウォーホル美術館館長のパトリック・ムーア氏と、本展キュレーターをつとめたアンディ・ウォーホル美術館のホセ・カルロス・ディアズ氏の解説を織り交ぜつつ行われた。ここからは展覧会の内容について、パトリック氏とホセ氏の言葉を借りながら紹介する。
「第1章 ピッツバーグからポップ前夜のニューヨークへ」
商業イラストレーター時代の作品
本展覧会は全5章で構成されている。「第1章 ピッツバーグからポップ前夜のニューヨークへ」では、商業イラストレーターとして活躍していた1950年代初頭から1960年代にかけての作品が展示される。アメリカ・ピッツバーグで生まれ育ち、1949年にカーネギー工科大学(現カーネギーメロン大学)の絵画デザイン学科を卒業したアンディ・ウォーホルは、同年ニューヨークに移住し、広告業界の人気クリエイターとして多くの作品を手がけた。当時彼は、ドローイングに簡単な版画技法を合わせた「ブロッテド・ライン(にじみ線)」という手法を確立し、その人気を不動のものにしていた。また、東方カトリック教会の敬虔な教徒として育った彼は、幼い頃から宗教美術に馴染みがあり、作品に金箔や銀箔を使うようになる。実はこの技法に大きく影響を与えたのが、第2章で詳しく紹介される京都旅行だ。
金箔と「ブロッテド・ライン(にじみ線)」の技法を使用
日本初公開の《孔雀》は、ウォーホルの恋人であったチャールズ・リザンビーと共に出かけた1956年の世界旅行で触れたアジアの美術品に影響されて金箔を使用したそう。カトリック教会と京都の寺院での金箔の使われ方の違いに刺激を受けたようだ。他にも金箔ドローイングの作品などを見ることができる煌びやかな章となっている。
「第2章 ウォーホルと日本そして京都」
1956年、世界旅行の一環で訪れた最初の京都旅行
「第2章 ウォーホルと日本そして京都」は、1956年と1974年に京都を訪れた彼の足跡を辿る章。彼の最初の来日は1956年、世界旅行の一環だった。恋人とともに世界15都市を巡り、日本には6月21日〜7月3日の約2週間滞在した。カメラを持たず、写生しながら旅行したというウォーホルは、京都で多くのスケッチを残した。本章では、町並みや寺院、舞妓さんなどのドローイング、そして恋人チャールズが撮影した写真の数々を、地図やお土産などの資料とともに紹介する。
左:アンディ・ウォーホル美術館のホセ・カルロス・ディアズ氏
本展キュレーターをつとめたホセ氏は「今回初めてチャールズ・リザンビーが撮った写真が展示されます。ウォーホルのイラストと写真が同時に展示されるというのも、もちろん初めてです」と見どころを語った。
京都の寺院や舞妓の姿を描いたドローイング
アンディ・ウォーホルが資料として集めていた生け花の本
二度目の来日は1974年。東京と神戸で初のアンディ・ウォーホル展覧会が開催されることから、展覧会の合間に京都に立ち寄った。この頃、彼は既にセレブリティとして世界に名を馳せる有名人となっていた。生け花などの豊かな文化に触れたようで、その影響は大判の手彩色の生け花のドローイングに見てとれる。他にもウォーホルがコレクションしていた生け花関連の書籍や、日本滞在中に購入した着物、母に向けて送ったハガキなど、貴重な資料を展示。帯同したカメラマン・原榮三郎が撮影した写真とともに楽しむことができる。
葛飾北斎からも影響を受けたという
花(手彩色)と1956年の旅行で来日した際に購入した着物
また、葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』から影響を受けた作品も展示されている。彼がインスピレーションを受けた日本の魅力や日本との関わりについてたっぷりと知ることができる本章。彼が影響を受けた京都で、この内容の展示を見られるのは本展だけと言えるだろう。
「第3章 「ポップ・アーティスト」ウォーホルの誕生」
第3章展示風景

著名人の肖像画

アメリカでポップアートが開花すると、そのムーブメントの中心人物になったウォーホル。第3章では、彼の代表作のひとつでもある《キャンベル・スープ》や《ブリロの箱》をはじめ、著名人の肖像画シリーズが勢ぞろい。
《花》1970年 紙にスクリーンプリント 91.4 x 91.4cm
有名な作品のひとつであろう《キャンベル・スープ》と《ブリロの箱》
パトリック館長は「イラストであるにもかかわらず、広告のような、まるで機械で描かれたかのようなものを作っているのが、アンディ・ウォーホルの非常にラディカルなところです。《ブリロの箱》も非常に有名なものです。マルセル・デュシャンがレディーメイドのものをアート作品にしていったように、アンディ・ウォーホルもただの白い箱にシルクスクリーンを施すことによって自分の作品にしていきました」と説明した。
《銀の雲》のインスタレーションの再現
また、1966年にレオ・キャステリ・ギャラリーで開催された個展で登場した《銀の雲》が、ソニーミュージックグループの協力により再現された。ウォーホルの作品や彼自身の写真が壁面に投影される中で、ヘリウムガスが入った銀色の四角い雲が、部屋の中を不規則にふわふわと浮かび上がるインスタレーション作品。観る者を没入させてくれる体験をしてみよう。
「第4章 儚さと永遠」
展示風景
1960年代以降、当時注目を集めていた独創的な人々を描くようになったウォーホル。彼自身もセレブリティとして著名な俳優、ミュージシャン、作家、裕福なパトロンに囲まれるようになったことで、ますます影響力を増していき、ポップ・アーティストの代表的存在となり、アメリカ美術界において確固たる地位を確立する。「第4章 儚さと永遠」には、門外不出と言われた《三つのマリリン》が初来日。彼がポップスターであるということを存分に示す章となっている。
《ジャッキー》1964年 麻にアクリル、シルクスクリーン・インク 50.8 x 40.6cm
《三つのマリリン》について、パトリック館長は「アンディ・ウォーホルは自分が育ったピッツバーグの工業土地の薄暗い雰囲気や現実から逃れるため、子供時代からハリウッド映画を観ることでハリウッドの世界へと逃避していました。様々なハリウッドの名優たちをひとつのアイコンとしてとても輝かしい人物と思っていた一方で、彼らが持つ翳りのようなものにも注目していました。マリリン・モンローは悲劇の死を遂げたわけなんですけれど、彼の作品は悲劇でもありながら、彼女の若さ、名声、栄光、その全てが感じられる作品です。彼の様々なマリリン作品を比べて観ていただきたいのですが、特に《三つのマリリン》は、美しさの中にも翳りやグロテスクさが感じ取られる作品だと思います」と述べた。
著名人の肖像画
肖像画のためのポラロイド写真
また、著名人の大肖像画シリーズについて「1970〜80年代、アンディ・ウォーホルは、肖像画プロジェクトでとてもよく知られていました。クライアントたちはまず初めにポラロイドをたくさん撮られ、それが40 x 40cmの大きさの作品となりました。シルベスター・スタローンやアレサ・フランクリン、坂本龍一。彼が後期の頃に撮っていたポートレート作品を今回は収蔵しております。もうひとつ、この展覧会で特別に見ていただきたいのが、壁紙の部分です。実は壁紙自体もウォーホルが作ったものです。こうしてセレブのポートレートを撮りながら、ウォーホル自身が神話的なセレブリティにもなっていきました」と解説した。
「第5章 光と影」
1976〜1977年頃に制作された《ハンマーと鎌》シリーズ
最終章の「第5章 光と影」は、死と闇に焦点を当てる。名声と悪評により、謎に包まれるようになっていったウォーホルの存在。彼自身矛盾に満ちた人物として<生と死><神聖な文化と世俗的な文化>といった、相反する主題と対峙していた。「これまでは年代順にウォーホルの作品を紹介してきましたが、第5章は年代順だけではなく、彼の<生と死>に関わる作品を集中してご紹介しています」とパトリック館長。
1979年に制作された《影》の版画・絵画シリーズ
抽象的な作品制作にも興味を持っていたウォーホルは、陰影を用いた《影》シリーズを制作。形から連想される具象的なものよりも、影そのものに焦点を当てている。ダイヤモンドの粉が散りばめられた《影I》や《影V》は、観る角度や場所で表情を変えるため、様々な鑑賞方法で観てほしい。
《最後の晩餐》1986年 麻にアクリル、シルクスクリーン・インク 294.6 x 990.6cm
展示の最後に鎮座するのはこちらも日本初公開の《最後の晩餐》。高さ約3m、横幅約10mにわたる巨大作品だ。「1987年にウォーホルは予期せぬ死を遂げますが、そのちょうど数か月前に展示されたのが《最後の晩餐》というシリーズです。絵画のような形で様々な振る舞いが手に取れる作品になっております。ただ一方で、彼自身のパーソナルの部分、同性愛者であること、東方パトリック教会の敬虔な信者であるという側面を強く伝えている作品でもあります。紙やキャンバスに描かれたこのシリーズは1984年から描き始め、2年間かけて100もの作品を作っていますが、その中から今回ひとつご紹介をしております。《最後の晩餐》はもちろん聖書にまつわる主題となりますが、同時に人間の生きる世界が儚く移り変わっていくことも表現されています。真ん中に<BIG C>と描かれています。Cというのが<Christ=キリスト>で、言葉遊びをしています。また、同性愛者の間でエイズによる癌が広まっている時期だったので<Cancer=癌>ともかけ合わされています。今まであまりパーソナルな部分が出てこなかったものに対して、これは彼のバックグラウンドが非常によく見て取れる作品だと言えます」とパトリック館長は《最後の晩餐》について説明し、「本展覧会には素晴らしい作品が揃っておりますので、ぜひじっくりご覧になってください」と締め括った。
アンディ・ウォーホルの遺した言葉も展示室のあちこちに登場する
ミュージアムショップでは、本展オリジナルグッズが多数並ぶ。デザイン性や独創性の高いグッズばかりでファンは必見だ。
グッズが非常に豊富なミュージアムショップ
ファン垂涎のグッズたち
さらに文化庁移転記念事業として、体験型イベント「ウォーホル・ウォーキング」も同時開催される。アンディ・ウォーホルが過去二度にわたり京都を訪れた際の足跡を辿りながら、自分も京都の街を歩いて楽しむというもの。三十三間堂、清水寺、京都駅前、祇園・白川筋、岡崎・京都市京セラ美術館の5つのエリアでアンディ・ウォーホルの作品が展示されている。たとえば三十三間堂では、1956年に彼が三十三間堂を訪れた際に描いた千手観音菩薩立像の貴重なスケッチと、2度目の訪問時に撮影された写真が日本初公開されている(※別途三十三間堂の拝観料が必要)。秋の京都の町並みを楽しみながらウォーホルの軌跡を追体験してみよう。
屋内・屋外兼用の無料オーディオガイド
なお、本展覧会の入場チケットを購入すると、美術館内と京都市内で使える屋内・屋外兼用のオーディオガイドが利用できる。屋内のオーディオガイドは乃木坂46の齋藤飛鳥が担当しており、屋内ガイドではアンビエント、ジャズ、ロックの3つのジャンルからオリジナルBGMがセレクト可能だ。自身のスマホから無料でアクセスできるため、こちらもぜひ活用してみよう。ちなみに本展のテーマソング『Mannequin』は常田大希がインディーズ時代に手がけた楽曲である。
『アンディ・ウォーホル・キョウト/ANDY WARHOL KYOTO』は2023年2月12日(日) まで京都市京セラ美術館 新館「東山キューブ」で開催中。アンディ・ウォーホルファンはもちろん、アートファンやデザインが好きな人にとっても見逃せない大回顧展だ。チケットはイープラスにて販売中。

文・撮影=ERI KUBOTA

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