池田純矢・岐洲匠「一瞬の出会いが永
遠になる。そんな時間を共有できたら
」~エン*ゲキ#06即興音楽舞踏劇『
砂の城』インタビュー

自由な発想と揺るぎない情熱で“自分たちの”舞台作品を創り続ける池田純矢が企画・作・演出を手がける「エン*ゲキ」シリーズの最新作、即興音楽舞踏劇『砂の城』。中山優馬を主演に迎えた本作は“即興”と謳われるように、同じストーリーでありながら毎公演違った表現が舞台上に生み出されていくという瞬間の芸術に挑む意欲作である。ここでは本番を控えた稽古場から作・演出・出演の3役を担う池田純矢と、重要な役どころを演じる岐洲匠に登場願い、作品に寄せるそれぞれの思いを語ってもらった。
ーー『砂の城』。この、とある国の王と民たちとの間に起きた愛の悲喜劇を即興音楽舞踏で描く、というアイデアはどこから生まれたのでしょうか?
池田:そもそも即興というフォーマットとこのストーリーは別々のものとして持っていて、まず最初は“即興での作品創り”が出発点でした。もう2年半くらい前かな、今回主演の優馬とプライベートで会った時に「僕らで舞台を創るならどんな作品だろう」と話したことがあって。そのとき一番共鳴した部分が、僕も優馬も小器用な人間で、なんていうか…… 失敗したくないタイプ。求められたことに応えたいとも思うし、キャリアとか場数とかも含めてそれがやれる俳優である、というところだった。常に「大丈夫だよ」「正解だよ」っていう完成にはいけるんです。でも、自分でいい芝居したなぁって思っても、それってたかだか90点かなぁっていう感覚がつきまとって、なんだかそれがもどかしくもあるんです。むしろ、そうじゃない人たちを「羨ましいな」と思ってしまう。「あの人0点ばっかり続いてるけど、たまに120点出すんだよな」ってタイプの人たちが。今回の座組で言うと勝吾とかはそっちのタイプかなぁって思うんですけど。
ーー鈴木勝吾さん。エン*ゲキシリーズにも常に参加してくださっている池田さんの“盟友”ですね。
池田:そういう振れ幅で芝居できる人、すごくいいなぁって思うんです。やっぱり性格的に絶対に0点は出したくないんだけど(笑)、でも120点は、どうしたら出せるんだろうって、焦がれ求めているんですよ。それで、僕らがそこに行けるのはやっぱり即興じゃないかな、と思い当たったんです。アドリブではなくて、即興ですね。例えばダンスも歌も芝居も自分の中にないものって絶対生まれない。優馬だったら「自由に動いて」って言われたら今までやってきているジャズ的なダンスの要素が入ってくるだろうし、僕だったらちょっとアクロバティックだったりバレエっぽかったりすると思うんですけど、やっぱり即興となると自分がちゃんと勉強して培ってきたものでしか表現ってできないですよね。だから即興=適当ブッこいていいよっていうんじゃなく、自分に備わっているものを発揮し、稽古もちゃんとして、でも本当に瞬間的にその時に生まれたモノで勝負すれば、僕らは120点に近づけるんじゃないかって。そういう発想からはじまったのが、即興音楽舞踏劇というジャンル、じゃあこれをやろうってなったわけです。
池田純矢
ーーなるほど。出発点から非常に「高い」ところを目指していた、と。
池田:コンスタントに120点、常に120点を出す人間でありたいっていうのがやっぱり理想でもあるし、トップを目指すのならそうでなくてはいけないと思うので……即興をやる意味としては、瞬間的にでも刹那的にでもいいので「稽古したものを披露する」以上のモノが生まれなければいけないと思っているので、ストーリーもやはり本物の物語じゃなきゃ無理。役を演じるというレベルでは絶対無理だから、“己でしかない”状態でいられる内容、自分にしかかけない本当の気持ちを描こうとしたらこの物語になった、という感じですね。
ーー神話や伝説のようなニュアンスも感じます。
池田:うーん……これは別に愛の物語でも死生観の物語でもなくて“巻き起こる事実”。描きたいものも表面のお話ではなくてその裏側にあって、この作品を作ることそのものに意味があるし、これが果たしてなんのか、実は僕にもわからない。でもそういう言葉にできないモノを描けるのが芸術だと僕は思っているので……何かを受け取ってください、ということも全然ないんです。例えばモネは別に睡蓮の花を描きたくて描いたわけではない。それをファクターとして何かを描いたんだと思うけれど、でもそれがなんなのかは僕らにはわからないし、モネも教えてはくれない。けれど、見れば感じるモノはたくさんある。それでいいんじゃないかな、と思います。
ーー美術館に行き目の前の絵画と交わす心のアクセス。そういう非常に個人的な“受信”とこの作品“観劇”することがイコールと捉えると、とても合点がいきます。アートとの対面ですね。その世界へ今まさに飛び込んでいる岐洲さん。本作に出演することへのお気持ちはいかがですか?
岐洲:僕の友達や家族やいろんな人にこの舞台を観て欲しいなと思うけれど、稽古をしていくほどに「こう観て欲しい」という考えは自分の中になくなっていきました。この前やった舞台だったらやっぱり「楽しんでもらいたい」って気持ちが強かったですし、そういう感想を聞くのもとても嬉しかったです。ただ今回はどんな風に感じるかは人それぞれだと思うんですけど、とにかく「観て欲しい」というそれだけで──。
岐洲匠
池田:そう。僕も「観て欲しい」の言葉だけだわ。
岐洲:はい。ただ観て欲しくて、そこにはもう感想の言葉すら必要なくて、ひたすらシンプルに「観て欲しい」っていう気持ちなんです。演じている側と観ている側の感じるものって……どの作品でもまったく同じということはないと思いますが……今回僕が演じるレオニダスとか優馬くんが演じるテオという人物は、全然、違うと思うんですよね。観ている側が感じることと、彼らの心の中は「きっとこういう風に考えているんだろうな」とみなさんが想像する僕らの感情と、本当の僕らの心の中は多分全然違うことを思って生きているんじゃないかと。本当に感じ方は人それぞれだっていうことがここには強烈に起きていて……なんだろう、もう……言葉にするのすごく難しいですね。だから……とにかく「観て欲しい」と、すごく思います(笑)。
ーー「ただ観て欲しい」。その感覚はやはり“答え合わせの不要なアートとの対峙”なんだと思います。
池田:うん。そうですね。
ーー池田さんから見た岐洲さんの印象はいかがですか?
池田:まずはもうビジュアルが抜群にいいっていうのは……。
ーーこの作品のこの物語には欠かせない要素ですね。
池田:顔もそうだし、タッパもあるし、体つきもそうですし、すごく美しいモノを放出できる要素を持っていて、それだけでもとても魅力的だと思いました。それが最初の印象。そして一緒にお芝居を作っていく中でコミュニケーションを重ねていくと共にシンプルにね、とてもいい俳優だな、と感じています。
池田純矢
ーーでは、池田さんの印象は?
岐洲:僕は……何もかも「初めて」を体感させてくれる人って感じです。
池田:ハハハッ(笑)。
岐洲:純矢さんの現場は新しいモノがどんどん湧いてくるし……それは、そこにいるみんなのチカラでもあるんですけど、そこにいると表現に対して自分自身すごい高い壁を感じるし、同時に自分が前に進めてるなっていう実感もあって。純矢さんの目って色々考えているけどすごいまっすぐで力強くって、その期待に応え……られるかどうかはわからないんですけど、でも応えたい、自分も力になりたいって心から思えるパワーがあるんですよ。
池田:嬉しい。
ーー素敵な信頼関係が築けているんですね。池田さん演じるゲルギオスはレオニダスの兄でもありますが、ご自身にとって作・演出と出演を両立させる作品作りという演劇との関わり方は、もう、慣れたスタイルに?
池田:いやぁ、できれば出たくないんですよ。それはもうずっと思っていて……書いていて自分でやるのも違うなと思うこともありつつ、でもそれがひとつ、みなさまに求められている形だとするのなら、自分が出ることで応えられるものがあるならやる意味はあるのかなぁと。創るのは僕の生きる意味だし、自分は創らずにはいられない人間なんだって思いつつ、でも創りたくないしっていう複雑な心境もありますが……それと演じる喜びっていうのは全然違うから、できれば創るときは創るほうに、出るときは出るほうに専念したいという思いはあります。本当はすべての時間を使って役と向き合わないといけないのに、創るほうに時間を割くほど役者のほうの自分は稽古時間も限られて、すごく不利というか……役者の自分に申し訳ないな、と思います。すごく。
ーーでもそこが池田さんの舞台への覚悟の本質。岐洲さんはここ数年舞台での活動も活発ですが、作品を重ねる中で舞台への思いの変化などはありますか?
岐洲:「舞台だから」と特別身構えることはないんですけど、作品によってすごくエンターテインメント性の振り幅が違うので……そこによっての気持ちの持ちようはおのずと変わります。あと、やっぱり楽だったことなんて一度もなくて、毎回「今が一番大変だ」って思いながら挑んでますね(笑)。初舞台はこれが一番大変だって思ってましたけど、次も、その次も、毎回越えなければならない壁を経験しています。それはもしかしたら僕が歳を重ねて……以前は深く考えてなかったことなど、今は余計ことも考えちゃって、自分でさらに複雑にしているのかもしれないです。
岐洲匠
池田:いいんじゃない? それってなんかもう感度の問題なんだと思うよ。今まで難しいって感じてなかったこと、できているつもりになっていたこと、気にならなかったことが今は気になるってことは、僕は成長の証なんだと思いますよ。
岐洲:そうなんですかね。
ーーお稽古はそろそろ折り返しの段階で。
池田:ここまでは即興をやるための稽古を中心にやってきました。自由に表現するのだからこそきちんと作品の世界観を共有し、キャラクターの本質がどこにあるのかをディスカッションし……心の動きをどんなルートを持って表現していったら即興作品として昇華できるのかというところを正確に把握して板の上に乗せられるようしっかり作り込まないと──。
ーー破綻してしまう。
池田:あとはやっぱり演技をしてしまうと嘘になるので、どこがまだ演技しているのかってところを洗い出して、じゃあどうしたら演技しないで本当の状態でいられるか、リアリティーのある感情で舞台に居られるか、をやっています。
ーー繊細で丁寧な作業ですね。
池田:それぐらいやらないと……板の上では全員が命の預けあいをしなければいけないのでね。ここは「芝居をしよう」と思った時点で負け、逃げだから、とにかく逃げない。今、目の前に起こっていることに正直でいるってことが、本質に繋がるんだと思います。
池田純矢
岐洲:そうですね。心から動いて言葉が出るっていうのは日常では当たり前のことですが、舞台に立っていると動く位置とか余計なことを考えたりすることで……観ている方には気づかれないことかもしれないんですけど、リアリティーがぼやけてしまう。それは僕らの間では嘘をついてしまっていることになるので……自分の心に。だからできるだけそういう余計な思いは剥ぎ取って、真に心から動けているっていうのを目指して僕も稽古しています。でも最近やっと「ちゃんと心から動けてきてるな」って感じられるようになったかもという状態で。まだまだ、もっともっとですけど。
池田:僕らがやってることはとってもシンプルなんですよ。奇をてらってるわけではないし、でもあまり他ではやろうとしてなかったんだろうなということをやるんだと思う。いろんな人を信じないとできない作品ではあるから、昔の僕ではできなかった舞台だとは思います。今だからできること、ではあると思います。
ーーつまり「今だから観れる舞台」でもある。
岐洲:はい。観に来た方を絶対後悔させることはないって僕らみんな思っているので、自信を持ってチケットを買っていただきたいです(笑)。

岐洲匠

池田:舞台も、絵も、音楽も、誰かが何かを創造し、受け手はそこからまた勝手に何かを感じていく。それって結局どっちも自分勝手なんだけど、それでも作品というひとつのものを通して多くの人同士人生を交わし合える、その一瞬が永遠になる、というところが芸術の魅力なんだと思うんです。多分、「自分がなぜ生きてるのか」の意味みたいなものを感じたいんでしょうか……わかんないですけど(笑)。今回は特に楽しませようと思って創っているタイプの作品ではないのでなんて言ったらいいのかが難しいんですが……僕は単純に「繋がりたい」と持ってるんです。人と。僕らはここで創りたいものを創っている。そこに嘘はないし、それ以上なにも言うこともない。そうやって生まれた作品を……芸術を通じて僕ら時間を共有したよねって、もう、それだけでいいんじゃない? って思っています。ですので、観に来てくださるだけで嬉しいです。
取材・文=横澤由香

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