作曲家・坂東 祐大インタビュー~ポ
ートレート・コンサート『耳と、目と
、毒を使って』で魅せる異次元の「音
楽」と独創性

今、熱い視線を集めている現代音楽の作曲家、坂東 祐大(ばんどう ゆうた)。芥川作曲賞(現、芥川也寸志サントリー作曲賞)を受賞するなど、現代音楽を担う新世代の旗手として才能を発揮してきた。また、米津玄師宇多田ヒカルの楽曲アレンジや、映画・アニメ音楽を手がけるなど、クラシック音楽の枠に留まらないマルチな活躍を見せている。坂東は先ごろ30代になったばかりだが、今年1月には自身初となる作品集『TRANCE / 花火』を発売するなど、その活躍は留まるところを知らない。そして、2022年10月16日(日)、待望の自作品だけを集めたポートレート・コンサート『耳と、目と、毒を使って』が浜離宮朝日ホールで行われる。坂東による作品の個展が東京で行われるのは今回が初めて。このコンサートでは、「これまでの『常識』を問い直し、覆す」と言う坂東。今回のコンサートで演奏される作品や彼が目指すものを聞いた。
耳と目と毒を使って、音楽の仕組みをくすぐってみる
――まずは、今回のポートレート・コンサートに寄せるお気持ちを聞かせてください。
作曲家として色々な委嘱を頂き、初演にも何度も立ち合ってきました。ただ、自分の曲だけを一晩でまとめて演奏していただく機会はあまりないので、すごく楽しみにしています。今回のコンサートに先立って、今年3月に京都芸術センターでの公演がありました。その時の作品は全て取り上げますが、実はほぼ全てに手を入れています。京都公演にも半年間、今回の公演に向けても半年間のブラッシュアップをするなどずっと準備してきたので、とても大変でしたがかなり力が入っています!
――「耳と、目と、毒を使って」というタイトルは意味深ですね。
実は、2020年3月に予定されていたコンサートが、コロナで流れてしまいました。その時のタイトルは「感情の作られ方」というもの。『悲しい曲の何が悲しいのか。音楽美学と心の哲学』(源河 亨著、慶應義塾大学出版会 2019)という本を読んで、感情をテーマにしようと思ったんです。お客さんの側が受け取る感情を、あらかじめ設定した形で作曲できないかというちょっと危険なことを考えていました。「人ってこうしたら感動する」みたいな悪魔のようなレシピ(笑)。それを体系化することでカタログ化できるんじゃないかなと思っていたのですが、自分のメンタリティーがついていかず、創作途中でドツボにはまって、一度、全てを破棄してしまいました。そうこうしている間に、コロナ禍になって演奏会自体も飛んでしまいました。テレワークで満員電車に乗らなくてもよくなったり、それまで無駄だと思われたものに気づいたり……音楽の仕組み自体も「こうだ!」と思っていたものが、実は「そうじゃなくてもいいんじゃないか」というところから創作を始めてみようと思ったんです。
――「耳と、目と、毒を使って」とは、どういう意味なのでしょうか?
実は、「耳と、目と、毒を使って」というタイトルには続きがあります。「耳と、目と、毒を使って、音楽の仕組みをくすぐってみる」。色んな知覚を使って音楽の仕組みをくすぐることで、思い込みを、一旦、全部外していくというコンセプトを込めました。
坂東祐大「耳と、目と、毒を使って」チラシビジュアル
――具体的には、どういった方法でくすぐっていくのですか?
例えば、1曲目の「言い訳の方法」。バッハに代表されるようなバロック作品は、器楽曲であっても音楽と言語(テキスト)とが密接な関係を持っています。「レトリック(修辞法)」といって、音楽においてもテキストと関連のある言い回しの技術があって。レトリックはロマン派以降の作品にも脈々と受け継がれてきたわけですが、現代音楽になると、突然意識されなくなってしまって。そこで、レトリックにもう一度フォーカスを当ててみたら面白いんじゃないかなと考えたんです。ただし、ここで「毒」を使います。レトリックが用いられるテキストを、無茶苦茶な日本語を用いる政治家や官僚の発言にしました。政治家はインテリなはずなのに、煙に巻いたような発言をする。テキストに起こしても……何を言っているのか正直良く分からない。こうした空虚な発言のレトリックを抽出して、ヘンテコな音楽として表現したのが、この作品。フルートの多久潤一朗さんの超絶技巧にも関わらず終始おかしさあふれる演奏を、元のテキストを想像しながら聞いてもらいたいですね。
――確かに、それは「毒」ですね。
今回一番の猛毒は、4曲目の「ドレミの歌」かも知れません。ドレミの歌は、「ドレミ~ドミドミ~」ときますが、これを「ドレファ~レソファファ~」という具合に、全て違う音名でずらして生で歌っていきます。
――歌う人はすごく大変じゃないですか?
確かに、ここでしか聞けないっていうのは本当。いや、本当どうかしていると思います。
――次に演奏される「上手にステップが踏めますように」は、どのような作品なのでしょうか。
この曲は、一種のダンス・ミュージックなのですが、「ずっとこけてる」みたいなひたすら居心地の悪いリズムが続いていきます。ボケとボケを続ける、噛み合わない漫才みたいな感じでしょうか。ステップを踏ませてなるものか!という作曲家側からの圧力というか…… (苦笑)
また、タイトルの意味は二重にかかっていて、一つは演奏者に対して、そしてもう一つは聴き手に対してです。間(ま)の悪いリズムは、正確に楽譜に書かれていて。でも、それが段々とグルーヴしていって最終的には踊れるようになるんです。ただし、超激ムズなステップ!東紗衣さんのクラリネットも大家一将さんのパーカッションによる演奏が僕も楽しみです。
京都公演の様子
――ひとつひとつが、濃厚ですね。LEOさんに演奏いただく琴を使った作品はいかがですか。
「残像と鬼」という作品ですが、元々は「間(ま)の観察」という作品でした。邦楽には、五線譜には起こせない「間(ま)」があります。洋楽のポーズとは根本的に違うもので、安易に取り入れようとすのはあんまり好きじゃない。以前の曲は、メトロノームと一緒に演奏するという意地悪な作品でした。強制的にカチカチされて、「間」が何秒かかったかが分かってしまう。これを、今回は、メトロノームなしのバージョンとして改訂しました。それが「残像と鬼」です。メトロノームはありませんが、ずっと演奏者、今作でいうとLEOくんの持っている「間の感覚」を前提に、それをいかにくすぐれるか、ということを試しています。結果的にそれは、不思議なリズム感覚と空間を作りだしています。抽象度の高い作品です。
――「逆に」という作品も面白そうですね。
「逆に〜」という言説、あるじゃないですか。あれを音楽で表現しました。普通ならこうするだろうってことを、「逆にフォルテ」、「逆にピアニシモ」というふうにいく作品です。今作はトラックメイカーのPause Cattiさんと共作で作った作品です。Pause Cattiさんのトラックも本当にクールで、しかも毒っぽい音響になっていて!サックスの大石将紀さん、ピアノの山中惇史さん、そしてエレクトロニクスの有馬純寿さんの超絶なコントロールの三つ巴で終始挑発しあう、かなりスリリングな演奏が聞けると思います。
――そして、最後を飾るのが「声の現場」ですね。
今回の公演で、一番、「どうかしている」作品ですね(笑)。この作品は元々、2021年の12月から今年の1月にかけて詩人の文月悠光さんと共にTOKAS(トーキョーアーツアンドスペース)で行ったインスタレーション作品が元になっています。テキストは、が2020年3月から12月ぐらいのロックダウンがあった時期に文月さんがメモしていた日記。あの時期、とんでもないことが起こったじゃないですか。政府がお肉券やお魚券を配ろうと本気で考えていたり、売り場からホットケーキミックスやトイレットペーパーがなくなったり……こうしたことを、作品にして記憶しておこうとというところから始まりました。
――この作品を作っていく際に、大切にされたのはどんなところですか。
テキストのカットアップは、文月さんと一緒にやりましたが、悲観すぎる話にも、笑いの話もしたくない。まだコロナ禍が続いていて断定的なことも言えないので、ただそこに置いておく、ペンディングにしたいと思っていました。段々とドライブが掛かっていって、カオティックになっていきます。始めの情報量は序の口で、最後には、矢部華恵さんによる生の朗読も相まって、洪水のような情報量を浴びることになります。情報の暴力みたいな(笑)。
「名曲って何?」という問いに自分のなりの意見を出してみたい
坂東祐大 (c)Shinryo Sasaki
――これだけ刺激的な作品を作っていく根底には、どんなお考えがあるのでしょうか。
世の中、普通は上質で立派なものを志向しようとするのですが、自分がアーティストとして創作活動をする上で何をやったらいいのかなとなった時、そこはあまり興味が向かない。そしてみんなで同じ方向を向くことも、あまりよいこととは思っていません。むしろ、「何がいいんだろう」って考える方が面白い。ただ上質なものをつくるよりも、「異質なもの」を作って社会に問いを投げかける方がずっと豊かなのではと思っています。
――確かに、異質なものを提起できるのがアートですよね。
もっと踏み込んだ話をすると、「音楽は人を癒す」という言説のように、音楽の存在自体が「いいもの」みたいに言われていますが、歴史を見ると絶対にそんなことありません。悪用されることも多かった。だから、音楽は、もっと「よく分からないもの」であって欲しい。簡単に理解できるような生易しいものじゃないんです。ただ、今の世の中には、そういった価値観や表現をするフィールドが、あまりにも少ない。それは、社会にとっても良いことではないと思います。ずっと、そういった「もやもや」が自分の中にはありました。今回の個展では、音楽創作に対する自分なりの意見を作品を通して表明したいです。
――今回のコンサートには、そういう想いが込められているのですね。
そうですね。「感動する曲」というより、「本当に腰を抜かすぞ」っていう作品。「常識や感覚を揺さぶってみせるぞ」みたいな(笑)。
――それぞれの作品で、新しい聴体験ができそうな予感がします。最後に、コンサートを楽しみにされている読者のみなさんに向けてのメッセージをお願いいたします。
毒を使って音楽の仕組みを一つずつずらして、そこから何が見えてくるか……感じたことのない「なんだこれ」という禁断の扉が開くはずです! 猛毒かもしれませんが、音楽の仕組みに少しでも興味がある人にとっては絶対に面白いはずです。現代音楽を全く知らない方でも何かしら面白がってくださるはずです。刺激がほしいという方には、全力で予想を上回る刺激を投げかけます。楽しみにしていて下さい!
取材・文=大野はな恵

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